見出し画像

【著作権の話#2】あまりにレベルが低すぎてガッカリする原稿ランキング

この仕事をしていると、「ガッカリする原稿」に出会うことが多々あります。ランキング形式で紹介しましょう。


第4位 日本語として成り立っていない原稿

読む気が起きません。
しかし、私は文芸書をつくっているわけではありません。要素さえしっかり入っていれば、良しと考える場合もあります。改稿することで見違えるものにできる可能性がありますから。

第3位 何か言っているようで、何も言っていない原稿

次のようなスローガンが多用されている原稿はガッカリです。
とにかく中身(要素)がないため、改稿しようにもできません。著者に書き直しを指示しなければなりません。

「がんばりましょう」(心のツッコミ:いや、具体的にがんばる方法を教えてください)
「努力は報われます」(心のツッコミ:報われないことなんていくらでもありますよ)
「願えば叶うんです」(心のツッコミ:その理屈、あなたの中だけで成立している話ですよね?)
「注意が必要です」(心のツッコミ:具体的にどう注意すればいいの?)
「わくわくすることをやりなさい」(心のツッコミ:実績やカリスマ性がある著者が言えば説得力はあります。でも、あなたの顔も経歴も知らない読者に、あなたの上っ面の言葉は響きませんよ)

いくら正しい日本語を使い、レトリックがすばらしくても、中身のない原稿は論外です。

しかしながら、以上は「内容に関してのガッカリ」なので、まだマシです。
信じられないかもしれませんが、もっと「根本的にガッカリする原稿」があります。

第2位 Word原稿の一部の単語が青文字になっていて、かつ傍線(下線)が付いている原稿

見た瞬間にWikipediaか何かからのコピペだとわかります。
ちなみに原則としては、Wikipediaの原稿はクリエイティブ・コモンズの表示・継承ライセンスの条件のもとで、二次利用、コピペできると定められています。
しかし、そんなコピペだらけの本なんか誰も読みませんよね。
これまでの経験だと、高齢の著者に多い印象です。
とはいえ、ここまでリテラシーが低いと、逆にすぐ気づくことができるぶん、助かります。全部黒文字で傍線(下線)を消されていた場合は、コピペに気づかない可能性だってあるんですから。
したがって、本当にガッカリする原稿は次になります。

第1位 執筆者の実力以上に整いすぎている原稿

以前、知り合いの編集者にけっこう長めの脚注原稿をつくるように依頼したことがありました。予定よりも早く納品され、文章も整っていました。
でも、ここで喜んではいけません。
私ももうベテランの域に入った編集者です。
嫌な予感がよぎらなければ編集者失格です。
納品された原稿の一部をコピペしてGoogleで検索してみると……、微妙に言葉尻や接続詞が違っているものの、余裕で90%以上合致する原稿が載っているページがたくさんヒットして……。
ほとんどの原稿がそんな調子でつくられていました。
web上の原稿だったから気づけたのですが、他の本からパクってきたとなると、検証するのは非常に難しくなります。性善説に立って、書き手の良心やリテラシーを信用するしかないですね……。


以上のように、内容云々以前に、コピペ系の原稿は論外と考えます。
第2位の著者については、「これは“引用権”を使ったまでだ!」と強弁されたことがある、という編集者がいました。
参考までに、先週紹介した宮本督『これだけは知っておきたい「著作権」の基本と常識』の中から、「引用」に関する箇所を見てみましょう。

引用であれば許諾がいらない
著作物は「引用」という形であれば、許諾を得なくても利用できます。書籍の内容についても同様です。
引用と認められるには、次のようないくつかの条件を満たしている必要があります。
①自分の文章がメインで、引用部分がサブであるという主従関係が明確であること
②自分の書いた部分と引用部分が明瞭に区別されていること
③引用する必要性があること
④引用部分の出所(出典)を明記すること
⑤内容の改変をしないこと
ただし、安易に引用の体裁だけを整えても、引用とはみなされない場合があります。

『これだけは知っておきたい「著作権」の基本と常識』
引用のイメージ

②~⑤は当たり前のことですが、①については、明確に線引するのが難しいところがあり、本をつくっているときも非常に気を使います。

ちなみに、弊社のnote記事でも弊社の本からの抜粋記事(主従関係における主になるため引用ではない)が多々ありますが、これは出版契約の段階でこうした使用をする許可をいただいています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(編集部 いしぐろ)

*参考


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?