見出し画像

20数年前に、桜井章一から学んだこと

編集部の稲川です。
正確な日時を忘れたが、かれこれ20数年前になるだろうか、私が高校時代からあこがれていた人物に出会った。

桜井章一。

私が高校生であった当時、彼は20年間無敗の雀士としてマンガになり、彼の生きざまを夢中になって読みふけった。
放課後の部室で、暇つぶしに部員たちとカード麻雀(もちろん賭けたりはしていない)に高じていた私は、「20年間無敗なんて本当だろうか?」と、正直疑っていた。

そもそも麻雀は運が大きく作用する。
確率的には33万分の1と言われている、配られた手配(配牌)で上がってしまう天和(テンホー)という役が、しかも2回連続でくれば、その時点で何もせずともほかの3人は負けとなる。

まあ、33万の2乗分の1など、24時間一生麻雀を打ち続けてもあり得ない確率であるが、どう言っても「運7、実力3」くらいが妥当で、4人の実力差がそれほどなければ、麻雀は勝ったり負けたりするものだと思う。

あまり麻雀の解説をしていると、それだけで終わってしまうので閑話休題、櫻井章一の話から、本の紹介にいく。

桜井章一に出会ったのが20数年前。
誰の紹介であったのか、その経緯も忘れてしまったのだが、当時、桜井が経営していた雀荘「牌の音」で「雀鬼会」というメンバーがひたすら麻雀を打ち、実力を磨く会があった。
その雀鬼会で選手部長をしていた安田潤司氏に会い、桜井章一の本をつくろうということになったのがいきさつだったと思う。

ちなみに、安田は「伝説の雀鬼」など原作原案を作成し、Vシネマ「雀鬼シリーズ」に大きく関わった映画監督、映像作家である。

とにかく、安田は桜井に師事し、下北沢にある桜井の雀荘に毎日いたように思う。スキンヘッドでパンクのいで立ちながら、年下の私にも律儀なまでの礼儀で、不思議と彼とはすぐに打ち解けてしまった。

彼の礼儀は、師匠である桜井に対する行動からすぐに理解できた。
桜井は、話していても麻雀を打っていても、とにかくタバコの煙を絶やすことのないほどのチェーンスモーカーなのであるが、桜井が次のタバコを手にした時は、安田がスッとライターに火をつける。

安田は、1日に100回近くこれを繰り返しているのだ。
年下の私を客人扱いしてくれるのも、普段からのこうした行動が体に染みついているがゆえだ。

桜井章一に出会った最初の印象。
彼については多くの著書で人物像が語られているが、そこで述べられている通り、オーラがあふれていた。なんとも陳腐な表現であるが、ひと言で語るとこれしか思い浮かばない。

初めて対面したのは、下北沢の雀荘。
そこには数卓、雀鬼会のメンバーが黙々と麻雀を打っていた。雀荘「牌の音」は、その名の通り“牌の音”しかしない静かな場所であった。
安田と軽く本の打ち合せをしていると、階段を上がる靴音が聞こえてきた。すると安田は、それが桜井の登場を察知したかのように、入り口に向かい挨拶とともに師を向かえ入れた。

ゆったりと肩を揺らしながら桜井が入ってくると、それまで麻雀を打っていたメンバーたちもいっせいに立ち上がり挨拶をする。
やくざの事務所に組長が現れたような光景。
私はただ黙って、桜井の一挙手一投足を見守るしかなかった。

桜井は私の姿に目もくれず、自身の席で事務的な書類を眺め、安田にいくつかの指示を与えたあと、いぶかしげな目を私に向けた。
すると、安田はどうやら私の説明をしたらしい。
ゆっくりと私のほうに近づいてくると、いくぶん、それまでの鋭い目つきが穏やかになって、「何を書きたいんだい?」と聞いてきた。

それまで、私が桜井の大ファンであったこと、麻雀の話ではなく自己啓発的な話を聞きたいことなど、用意していた自己紹介のシナリオが一気に崩れてしまった。

その後、何と言ったのかまったく覚えていないが、若造がいきなり自己啓発とは生意気な企画であったのかもしれない。

ただ、「聞きたいことは何でも話してやるよ」と言われ、用意してきた質問をぶつけていった。
しかし、質問が悪かったのか抽象的な解答で、これが果たして本になるのだろうかと思いが先に立った。

そんな私の様子は、桜井に完全に見切られていたのだろう。すでに背中がすすけていた私に、桜井はこう言ったのだ。
「俺がよく行く宿があるから、そこで話してやるよ」

おそらく、私が彼を目の前にして緊張していたのが初めからわかっていたのだろう。しかも、桜井章一の人生における考え方など、一介の若造に理解できるほど単純なものではないとも思ったのだろう。

彼は、旅行をしながら話すと言ってくれたのだ。
憧れの桜井章一と一緒に過ごせるなんて、これ以上の幸せはない。
私は桜井、安田の2人と、2泊3日で上高地へ向かうことになったのである。

旅行当日、ワンボックスのレンタカーに乗って3人の旅が始まった。
もちろん運転は安田。私が助手席に座った。東京から長野までの長旅だ。
私はあくまで取材者であるため、テレコ(当時ICレコーダーはなかった)を片手に、車の中でも聞けることは聞こうとした。

しかし桜井は、車の中ではしゃべろうともしない。
「まあ、先は長いんだから、ゆっくりやればいい」
そうひと言告げて、桜井はただ外に映る景色を眺めていた。

宿について、我々が案内されたのは離れの1軒だった。
20畳近い和室の中央には囲炉裏があり、天井は立派な梁が施され、外にはプライベート露天風呂まである。20代の私には高級すぎる宿だ。

少し落ち着いたところで、それまでほとんどしゃべらなかった桜井が急に語り出した。
食事の時も、一緒に風呂に浸かっているときも、就寝するまで彼は休むことなく、思いのままに語り続けたのだ。
宿についてからというもの、私は片時もテレコを手放すことができなかった。

桜井は睡眠をとらないことでも知られている。
代打ち稼業をしている時など、麻雀を打つ前日は一睡もしない。そうすることで感性が研ぎ澄まされていく。また、アルコールはやらない。酒が飲めない体質でもあるが、桜井にとって酒は判断を鈍らせていくものでしかないからだ。

それゆえに、夜は長い。
話し疲れて少し横になると言って休むものの、十数分したら起き上がり、また話を始めるのだから、こちらも息を抜けない。

今になっては何を聞いたのか、取材メモも起こしの原稿も手元にない。
ただ、その後に桜井は自己啓発書を数多く出版しているので、私が聞いたことのほとんどは、そこで述べられているはずだ。

そう、私は膨大な彼の話を本にまとめることができなかったのだ。
なぜまとめられなかったかは、様々ないきさつがあるのだが、最後まで完遂できなかったのは、当時編集者としての力量がなかったからであろう。

ただ、桜井に一貫するのは、「人生は自然の流れるままに生きる」という、何ものにもとらわれない生き方である。
麻雀で一度も負けたことがないのは、自然の流れをつかんでいたからであり、そこに寄りそうことで必然的に運の流れを引き寄せていたからだ。

しかし、自然の流れを引き寄せるには、それまでの自身の姿勢、行動、あり方すべてが作用する。だからこそ桜井は、日々の生活に覚悟を持って臨んでいる。

桜井のすごさはそこにあると思っている。

桜井と長く共にしたことで、私は彼のプライベートも聞くことができた。
何の話になったのか、物欲について話していた時、桜井の奥様の話になった。
「うちのは、浪費家でね。この前も何の話もなく100万近い家具を買ってた。部屋にいきなりあるからね」
物欲を嫌う桜井が、そのパートナーが物欲の権化のような存在というのがおかしかったが、彼はそれも宿命だと言った。
彼女には苦労をさせてきたという罪滅ぼしもあるのかもしれない。奥様の浪費行動に関しては何も言わないという。

そんな話をしながら、桜井が共感したという、ある1冊の本の話を始めた。

『パパラギ』という本だった。

パパラギ

この本は、西サモアのウルボ島に暮らす酋長ツイアビが、ヨーロッパに行き、島に暮らす人々に向かって文明社会という悪に警鐘を鳴らした、口述本である。

パパラギとは、白人を差す言葉で、物に取り憑かれた彼らを揶揄する言葉として象徴されている。

「俺は『パパラギ』に書いてある生き方が、本当の人間の生き方だと思うよ」

桜井は、そうさらりと言ったのだが、文明社会に生きる人間は物によって感性が失われていくのだそうだ。

「俺が一番好きなのは、サメ。彼らの前では人は何もできないからね」

そう語る桜井は、強い者にあこがれている。負けを知らない強者であるにもかかわらず、それでもなお強さを求めているのだ。
ちなみに、格闘技好きな桜井は、柔術家のグレイシー一族とも親交が深い。

自然の前では人間は無力であること、自然に逆らってはいけないこと、そして自然に対して畏怖の念を抱くことを、桜井は常に重要視している。ゆえに、『パパラギ』の考え方は忘れてはならないものとして、桜井の生き方の通底にあると言える。

宿で生活を共にしている時、桜井は少し茶目っ気に宿自慢をした。
「この川沿いに、この宿が所有する露天風呂があるから行ってみな。俺はいいけどな」

桜井は行かないと言う。
そこで、安田の誘いで、彼と共にその露天風呂に行くことにした。
数百メートル歩き到着すると、ほぼ川面の崖上に吹きっさらしの状態でポツンと露天風呂があった。

ただ、普通の露天風呂とは決定的に違った。
それは、湯舟の上を飛び交う、それこそ数百頭のホタルの灯す明かりだったのだ。

安田と2人、露天風呂の照明を消して、ホタルの灯りだけで彼らの飛び交う姿を、ただただ追っていた。

自然が織りなす光景は、先ほど桜井が言っていたことを何も言わずに教えてくれていた。

桜井章一、現在78歳。
今も著作活動をされている。久しぶりに新刊を読んでみようと思う。


※今回は本の紹介までが長く、しかも本の内容には触れずにすみません。
 また、桜井章一氏、安田潤司氏の敬称を省略しましたことを記します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?