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子ども!

こども期に特有の様相を捉えるのは、どこまで行っても奥が深く楽しい試みです・・・

子どもを軽んじないけれど


こども期特有の様相を捉えながら、かつ「子ども扱い」しない、という頃合が大切だと思うこの頃です。
「子ども扱い」という言葉の類義語を調べてみました。
軽んじられる、冷遇される、見縊られる、などが出ています。
子どもを軽んじることがよくないなってことはすぐに誰しもピンときます。

ところが、
こども期特有のこどもらしさ故に、
対応が軽んじられるような発想が起きることもあるな、と思います。

2年前の冬。
ある子が、数日前から自分のお誕生日を宣言していて、
みんなにおめでとうを言ってほしいというリクエストがありました。
そうかと思って、誕生日が過ぎた最初の活動日。
ホワイトボードに大きくおめでとうメッセージを描いて、待ち構えました。

ところが、
「あ、うん・・」くらいの反応になっていました。
ご家庭で盛大にお祝いしてもらって、
お誕生日が過去になっていたのです!

なんて素敵に今を生きているんでしょう!
その時は本当にすっかり忘れているその子に拍子抜けすると同時に、
その子どもらしさに感嘆しました。

こんな風に今を生きる子どもらしさから、
「子ども」というものを解像度荒く観てしまうと、
すぐ忘れるでしょ、という扱いにつながりかねません。
事実、子どもの年齢が小さければ小さいほど、
気をそらせる対応がよく観られると感じます。
(気をそらせる対応が良い時もあるとは感じます)

子どもに観えているもの


今を生きつつ、奥深く思考する、哲学する存在でもあるのが、子どもだと感じます。

『子供!』という本に出会いました。
174名の生の声が、とても真摯な姿勢で聞き取り&編集されています。

ここに出てくる子どもたちのエピソードに出会いながら、あることを思い出しました。
私には到底気づくことのできなかった視点で観ていただろうクラスメイトの存在です。
2年生の時に転校してきたY君のこと。
担任の先生は年配の女性で、私は季節ごとにはがきやお手紙を出すほど慕った先生でした。
良い先生だったという印象しかありませんでした。

Y君は、5年生で再び転校しました。
その学区は、後に高校で私の親友となる子の学区でした。

ですので、5年~中学3年・高校1年というわけで、5年の月日が流れた後のことです。
たまたま親友の家で、その子の小学校の卒業文集を見せてもらっていたら・・
Y君の文章に遭遇したのです。
転校が多かったので、その小学校6年間を綴ることが難しかったからでしょう。1年の時は・・・2年の時は・・という書き方でした。
その注目の2年の時の話。
「えこひいきをする先生だったので嫌いでした」というようなことが書かれていました。
ハッとしました。
私はひいきされていたのか、って。
だから疑いもなく良い先生だと思っていたんだな、と。

私にとって教訓の多い出来事です。
『子供!』に出てくる一人ひとりの声も、
Y君の言葉と同じく、ハッとさせられる出会いになっています。

心模様


「それだったら意味はわかる」と子ども自身が感じられるような問いかけで、一人ひとりの子に話しかける必要があると思います。
「その言葉の意味がわからない」と率直に聴ける子であっても、そうでなかったとしても。
そして、直接的な体験、体感を通して、時に間をおいて、
その子が語り出せた時、
驚くばかりの表現に出会うことがあります。
そんなによく観えていたのか、という驚き、
そこまで相手に思いやりを向けることができるのか、という驚き、
そして根底にある、よりよくしたいというエネルギー。

そのこども期の豊かな心模様を、
挨拶が、片付けが、生活態度が、教科学習が・・・といった、
わかりやすく見えているものに囚われ過ぎずに、
見つけていきたいと思います。

そして何より、
その豊かな心模様で子どもたち同士が出会うことの
環境設定をしていきたいです。

そうそう、体験に来た子が、
「かのこに参加して心が落ち着いた」と感想をお家の方に伝えてくれたそうです。
え?あんなに騒がしかったのに?という第一印象の次に、
大人の良かれ、と
子どもにとって良い、は
同じではないことが本当に多いものだと感じました。

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