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ここは自由なんだよ!

ことさらに、「自由な場」と言ってきていないのですが、メンバーはそう認識しているようです。

あるメンバーの叫び

先日、あるメンバーが活動中に叫びました。
「かのこは自由な場なんだよ!
ぼくは、ここにほっとしに来ているんだ。
だから、これじゃ台無しだ!!」
って。

どうも、他のメンバーから、ああしてこうしてと指示されたことが嫌で言い返した様子。

彼の叫びにいろんなことを想いました・・・

メンバーの認識

「ねーねー、かのこをフリースクールにしようよ」と言われたことがあります。
内心、あら?私はそう思っていたけれどと、なりました。

メンバーにとっては、拠点があり、開催日もより全日制に近いものが「フリースクール」というイメージがあるようで、それもそうだな、と感じます。

逆に、自由かどうかについては、
こちらから、自由だよと伝えてきたわけではないけれど、
ここは自由だとみんなが感じているようです。

私自身は、そのことへのよしあし両方感じているので、
ただ“そうかメンバーはそう思っているんだな”、と受け止めています。

日常に自由がない

今、こどもたちが置かれている環境に、本当に自由が制限されることが多いことを想います。
「走らない!」「順番!」「一人1回まで!」「きちんと」「きれいに」などなど・・・

プレーパーク界隈では有名な、こどもはAKU(悪にかけて)、
A=危ない
K=汚い
U=うるさい。
危ないこと、汚れること、騒ぐことが、こどもの、ある意味ではノーマルな姿ではないかと感じます。

特にコロナ後は、このこどもらしい姿の制限が社会を覆い尽くしています。

水を得た魚

そのためか、かのこに来る子は、ほとんどの場合、まずは思い切り発散したがります。
その姿はまさに「水を得た魚」。
水がないところで生きてきて、水を得たらこうなるのはわかります。
でも、私としては、発散型でない活動も取り入れたいと思っているので、社会にもっとこどもたちの自由があればな、とついつい考えてしまいます。

ただ、自由に泳ぎまわった結果、
この彼のように、
明確に「ここにほっとしに来ている」と言えるのも、すごいことだなとも感じます。
自分がどうしたいのかがわかっている、
そんな当たり前のことも制限されているのではないかと思うと危機感を覚えます。

メンバーが、この場をどんな風に表現してくれるようになっていくか・・
そんなことを想いながら今後の方向性を決めていけたらいいなと思います。


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