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もう、いい加減自分を許してあげよう

「自分のこと、大切にしていますか?」

そう聞かれると返答に困る。
困るということは、「大切にしていない」ということなのだろうか。
ちょっとさみしくなる。

「自分で自分を褒めてあげたい」
ある女性がオリンピックでメダルを獲得した直後、インタビューで答えた言葉がある。

その時の彼女は泣いていた。
泣き崩れてはいるんだけど、どこか吹っ切れたような、解放されたような清々しさが感じられた。

恐らくだけど、ここまでずっと自分に厳しく向き合ってきたからこその涙だったんだろう。

自分を大切にするってことは、いろんな形がある。
コレって決めつけられるものじゃない。

私にはずっと「強くなくてはならない」という感覚があった。
言い換えると「自分を許せていなかった」のだと思う。

振り返ると、それは母が亡くなってからだ。

以下、
備忘録的な内容になりますが、思ったことをそのまま書き残します。


母のこと

一人っ子で兄弟がおらず、ずっとずっと母に頼りきりだった。
甘えたり、わがままを言ったり、助けを求めたり。
何でもかんでも頼りっぱなしの24年間だった。

身体がもともと弱く、病弱だった母。
たぶんきっと、そういう状況も幼い自分はよく分かっていたんだと思う。

分かっているけど、分かりたくない。
母が目の前からいなくなるなんて、ありえない。
信じたくもない。

そういう気持ちが、私をさらに母に頼らせた。
あらがえない現実にささやかだけど、本気で立ち向かっていたんだと思う。

24歳の時、母が亡くなった。

当時、その現実を受け止めることに苦慮した。

「あたりまえ」のものが、
「あたりまえ」でなくなることに慣れていなかった。

亡くなった翌日からは不思議なものだった。
いつもの風景、いつものTV番組、いつもの時間の流れ。
それなのに、そこに母だけが欠けている。

こんなものなのか。
こんなにも、あっけらかんとして世界はいつも通り、
何ごともなかったように繰り返されていくんだろうか。

そんな風に思えて、少し拍子抜けしてしまった。

と、同時にこれからは何の後ろ盾もないことに気づいた。
途端に怖くなった。
恐怖に包まれた。

母に頼りっぱなしだった自分のちっぽけさに気づいた。

そこからの行動は早かった。

「こんな自分じゃ、この先の人生を生きていけない」
と感じ、「強くならなきゃ」と次々に行動を起こしていった。

そこからだ。
「強くならなくてならない」
と、常に自分に課題を課して許せていなかったのは。


強くなくてはならない

それから現在に至るまでずっと、
「強くなくてはならない」=「自分を許せていない」
が存在していた。

私には「感情のダム」が存在していた。
言うなれば、さまざまな感情がダムに溢れかえっている状態。

溢れそうだけど、それを必死に溢れさせまいと踏ん張っている私がいた。

それはなぜか?

もし、ダムの中に溜まった感情が溢れてしまったら、
もう二度と立ち戻れなくなりそうな気がして怖かった。
それをとにかく恐れていた。

だからこそ、どんなことがあろうと「強くなくてはならない」と自分に言い聞かせ、泣かないようにこらえて、こらえて。

そうしているうちに、いつの間にか心があまり波立たなくなっていった。
否、「動かなくなっていった」という表現の方が正しいかもしれない。

いつしか「淡々としている」「常に感情が一定」と言われることが増えた。

悪い部分よりも、良い意味で仕事面でどのような場面に応じても動じない、
「ブレない」姿勢を評価していただけることもあった。

でも、
「強くなければならない」という思考はずっと残ったまま。

だから、誰かに頼ることも出来なかった。
仕事でも、プライベートでも、妻や子どもにも。


もう、いい加減自分を許してあげよう

最近、私自身のことをとことん深掘り、考える時間をもらった。

私一人ではたどり着けなかった境地だったと思う。
同じように、過去の自分と葛藤し続ける仲間がいたからこそ、たどり着けた。

そこで出た答えが、
「感情のダムを決壊させること=自分を許すこと」
だった。

「感情のダム」に向き合った時、
当初はダムを無理矢理にでも破壊し、溢れかえった感情を解放させようと考えていた。

少々手荒いかもしれないけど、良くも悪くも自分の中に在り続けている「強くなければならない」感情をどうにか解放させたかった。

でも、
本当はそうじゃなかった。

本当はそんなことしたくなかった。
それこそ、無理矢理自分の感情に答えを押し付けているのと同じだから。

大切なことは「自分を許す」ということだった。

いつの間にか「強くなければならない」と勝手に自分自身を追い込み、苦しめていた。

全然自分に優しくなれていなかった。
優しくなければ、当然満たされきれない。

満たされていない人が、周りの人を満たせるわけがない。

自分を頼れず、人も頼れず、苦しめていたのは自分自身だった。

その時、
心から「もういい加減、自分を許してあげよう」と思えた。

自分を許してあげるということは、
大切な人を心から信頼して、とことん頼ること。

これまでの自分が出来ていなかったことだ。
でも、今なら出来そうな気がする。
出来る。

これまでは、独りで強くなろうとしていた。
でも、「強さ」というのは何でも独りでやろうとすることではない。

人に頼ること、信頼して待つことも強さ。
誰かが一緒だからこそ強くなれる。

それが分かってなかった。
でも、そんな自分を認めることも「強さ」だと今は思える。

「感情のダム」は壊すという手段ではなく、
自分を満たし、許すことで緩やかに放流していってもいい
ダムから流れ出た感情たちが解放され、やがて新たな川となって流れ続けていく。

感情も満たされるほどに湧き出て、ダムも新たな感情で循環されていく。

とても抽象的だけど、私の中ではとても腹落ちしている。
今までにない感覚。

そう思えてから、
「もういいんだよ」「大丈夫だよ」
って声が聴こえてきた気がする。

これまで強がってきた自分に対して、亡くなった母からかけてもらえたような、そんな気がした。

あなたは独りじゃない。
もう独りで頑張ろうとしなくていい。

「大丈夫、一緒にいるからね。
一緒に頑張ろうね。」

昔、母からメールで送られてきた言葉。
実は亡くなった後も、時折読み返しては勇気をもらっていた言葉。

ずっと強がっていた心が、
解きほぐされた感覚。

気づけた今だからこそ、
また新しい何かを生み出していけそうだと確信している。


おわりに

今回のお話したことは、私の物語。

みんなそれぞれ、生きていると色々ある。
色々抱えている。
だからこそ「人間」だと言える。

「強くなくてはならない」は、
自分を文字通り強くもしてくれたし、人生を前に進めてくれた。
この気持ちには感謝している。

ただ、これまでは許すことを疎かにしがちだった。

そこに気づけた今の私は、改めてどちらも含めて自分自身だと思えている。

簡単にいうと「バランス」なのだけれど、これがまた難しい。
簡単じゃない。

でも、
今ここに気づけたことに意味がある。

どちらも自分であることを自覚したからこそ、見えてくるものがある。
そう信じています。

まだまだ続く人生。

これからが楽しみで仕方がない。


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