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アナウンス

先日1回目のワクチンを打ちにバスに乗って
隣町の病院へ行ったときの話。

バスに乗っている時間が20分位あったので
乗ってるあいだに本でも読もうと思いました。

そして本を読み始めて5分くらい経った時に
バスのアナウンスを聞いていてふと思うこと
があって、それはバスの運転手の声やアナウン
スの音声がひっきりなしに続いているなと思っ
たんですね。

それは日本に住む人間としては当たり前の日常
で気にもしていなかったことです。

バスの次の停留所やその周辺にある施設の
情報や、バスが動き出す時や停車する時に、
「動きます」や「止まります」など(そこまで
する運転手としない運転手がいると思います)
必ずその旨をこちらにアナウンスしていたん
ですね。

それらを聞いていた時に僕は少し違和感を
感じたんですね。

そして病院へ向かったその日は天気が荒れていて土砂降りの雨が降っていました。
その関係でバスが数分遅れていたんですね。
そのことに関しても今何分ぐらい遅れているか
と言うことをしきりに伝えていました。

これは日本に暮らしている人ならば当たり前の
感覚なんだと思うし、もちろん僕もその感覚で
これまで暮らしてきました。

僕はバスの運転手に文句をつけているわけでは
全くありません。ただただそんな日常的なアナ
ウンスに少し違和感を覚えたんですね。

これは電車の中でも同じことでたくさんの車内
放送よく聞きます。

もちろんこれに関しても同じことで、体が不自
由な方もいるし出産を控えた妊婦さんや杖をつ
いた年配の方など、それに犯罪防止にもつなが
ると思う。

そもそもこのバスや電車の中の日常に慣れてし
まえば何も感じなくなると思います。

しかし、何度も繰り返されるそのアナウンスが
耳に入ってくると、僕としてはなんだか管理さ
れてるような気がしてくるのです。それと同時
に自分の頭で考えなくなる気もしてきます。
そのアナウンスによって自動的に頭で考えずとも導かれるようになっているのかもしれないなぁ
と思うんですね。

もしかしたら日本のアナウンスと言うものは、
教えすぎなのかもしれません。

何も考えなくても導いてくれるのは一見ありが
たいことかもしれませんが、問題でもあるかも
ですね。

このアナウンスというものにすっかり慣れてし
まって考えることをやめてしまうと、例えば
車掌さんが次が東京駅ですと嘘をついて、
実際には東京駅のひとつ前の駅だったとしても
全く疑うことなく降りる人がいるかもしれま
せん。実際に車掌さんがそんな嘘をつくことは
ないですが考えないとはそうゆうことなのかも
しれません。

考えずとも教えてくれるので一見便利で楽なよ
うにも思うのですが急に起きる「イレギュラー」に弱くなるとも言えます。教えすぎるというこ
とも程々にしないといけないのかもしれません。

みなさんはどう思いますか?

改めてそんな日常的なアナウンスを耳にして
ふと思った違和感を書いてみました。

読んでいただきありがとうございました!

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