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夏が暑い


これは2024年7月21日に書き始めた文章です。
なんで24日に公開しているのか……
それは察してください。



 夏が暑いと、つい「夏が暑い」と言ってしまうのは俺だけだろうか?
 昨日も暑かったが、今日は滅茶苦茶熱い。昨日の長雨で微かに残っていた梅雨の残滓が完全に吹き飛んだらしい。
 油断して昼寝をすると、起きる頃には、「あぁ、これだよこれ、これが夏なんだよなぁ……」って感じの汗が、否応無しに薄いシャツにしみ込み、背中にぴったりとくっ付いていてきて、実に気持ちが悪い。季語に使える。6月くらいに滅茶苦茶暑くかった時に、「もう夏かよ(笑)」とか言ってたのに本物の夏は格が違った。
 また今年も夏が来てしまった。出来れば来ないで欲しかった……今からでも帰ってくれないかなぁ。無理だよなぁ……
 なんて事を考えている、夏の日の午後3時。

 ・・・いや、分かっているんだ。

 老若男女、貧富貴賤問わず、日本人み~んな「暑い」って言ってることくらい。
 そんな言葉を俺が言ったところで希少性の欠片も無い事くらい。
 汎世界的感情を元に文章を書いてみた所で、没個性性を強調し、自分が取るに足らない一般人Aでしかないと声高に表明することと何ら変わらないことくらい。
 そんなことは分かっているんだ……
 
 多分だけど、日本人の1億2000万人中、1億1500万人くらいは今、夏に対して「暑い」って言ってるだろうな。
 残りの500万人は、言葉が話せないか、冷房が24時間フル稼働している部屋に引籠ってるか、暑いと言ったら余計に暑くなるという信念を頑なに信じている人だ。

 もしくはインド人。




「夏が38度? 日本人はひ弱だね~、インドの夏は50度だよ(笑)」https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-05-30/SE9ZXJT1UM0W00

 そんな事を宣って来るインド人もいるだろうがそいつはインド人だ。申し訳ないが日本人の統計からは外れてもらう。
 さて、そのインド人を除いた500万人だけを抽出した空間で、「夏が暑い」って当たり前の事を呟けばギョッとした目で見られるだろう。
 そりゃそうだ。その空間じゃ俺がマイノリティである。夏暑くない民500万人が東京ドームにぎゅうぎゅうに詰め込まれて居る訳だからな。ギョギョギョっ!!


ギョギョギョっ!!

 俺がその空間の中で、一人だけハコフグの帽子を被って無くても、やっぱり一人だけ黒い頭を無造作に晒していたら浮いてしまう。さかなクンは優しいから、差別なんかしないだろうけどもさ。
 俺はと言えば、ハコフグを被って来るか直前で悩んだものの、常識人だという自負から被らなかった。ほんっと馬鹿だな俺って奴は。先見性の欠片も無い。
 そうこうしている内に、500万ものサカナ君と一緒にいる中で、自分だけハコフグを被っていないことが無性に恥ずかしくなってきている。
 「あぁ、やっぱハコフグ被ってくればよかったなぁ……」って。
 自分で確固とした決意でその道を選んだはずなのに、後になってやっぱりやめておけばよかった(やればよかった)と後悔するのは俺の人生では良くあることだ。この部屋の窓から眺める代わり映えのしない景色と同じだった。
 こう言うのを”自分が無い”っていうんだろうなぁ……
 おまけに気を遣って振られた魚トークでもなんも面白いことも言えんかったし…… だって魚の知識なんて大して無いよ、俺は。
 マグロとイワシの違いさえ分からないんだから……

逆にさかなクンは天皇陛下の前でも自分を貫くメンタルお化けだ。マジリスペクト。


 
 ……えーっと、なんの話だっけ?
 まぁ、こんな風に脱線するのも夏の暑さのせいなのだ。
 マジで暑すぎるだろ夏。ふざけんなよ俺を殺したいのかよ!つーかなんでこんな暑いんだ?夏だから暑いのか。暑いから夏なのか。いや、1月とかに30度越えしても夏では無いな。それは暑いだけの冬だ。暖冬とか冷夏とか言うし。そう考えると、やっぱり夏だから暑いと考えた方が良いのかもしれないが、よく考えてみると地軸が傾いてるだけだ。子供には背筋をまっすぐにしろとか理不尽に言うのになんで地球にはお咎めなしなんだよ、差別だろマジで……

 まじであっつーあつあつあつあつい。
 暑い暑い暑い厚いあついあついあつい熱ちぃぃぃ……


 ……とか、夏の暑さに対して文句を云々言ってるくせに、実は今クーラーを付けていたりする。

 ・・・・・・・・・・・・ハァ?

ハァ?


 サーセン(笑)だから今とっても涼しいの。
 設定温度は20度の極寒。環境保護団体に撲殺されても文句は言えない。
 「夏の暑さを感じながら頑張って執筆しよう。臨場感とか大事だし!」とかちょっとは思っていたんだけど無理だった。だって暑いし。一人で部屋にこもって、もくもくと孤独にタイピングしていると、滝のような汗と一緒に、文学のエスプリも一緒に流れ去っていく感覚を感じる。
 まぁ、今冷房付けてるんだけど(笑)
 冷房を付けながらこんな文章を書いているとか我ながら締まりがないし情けない。
 そういえば、汗を掻いた後に扇風機とかエアコン付けると気化熱で涼しくなるんだってさ、知ってた?

 うん。やっぱ暑いと脳が働かない。赤道に近ければ近いほど、文化や科学の水準が低いのは、暑さが原因でもあるのだろう。脳味噌を働かせるって熱を産生するって事だからなぁ。下手したら熱中症で取り換えしのつかないことになるから暑いときに頭を働かせないのは正解かもしれない。
 熱中症ってのは熱によって、脳のタンパク質の組成が変化する事らしい。生卵を温めるとゆで卵になるのと同じで不可逆的な変化だから、治すことは出来ないんだってさ。
 だから、水を飲むとか、冷房をつけるとか、扇風機を回すとかやった方が良いよ!!(日本で一兆回ぐらい言われてるアドバイス)

   取り返しのつく状態。    取り返しのつかない状態。


(どっちもつかないと思うけど・・・)


 暑いことで頭が働かなくなるのなら、逆に寒い地方は頭が働くことになる。

 そう、思考し放題だ。(パケホーダイみたい)
 考えてみると、偉大な文学者ってロシアとか北欧とか出身のイメージがある。
 逆に赤道付近で言うと思いつく奴は少ない。……う~んガルシア・マルケスとか? まぁ途中で読むの止めちゃったけどね、百年の孤独。(でもあれこそ暑くないと書けない小説だと思うが……)

 産業革命を起こしたイギリスは北海道よりも緯度が高い。近代科学を牽引してきたドイツとアメリカもやっぱり高緯度だ。人類じゃなくて恐縮だが、マッコウクジラも深海の冷たい海水温に適応する為に、脳を巨大化させて発熱器官にしていたりもするしな。緯度が高ければ高いほどに頭が良くなると言うのであれば、イヌイットが人類中で一番頭が良い事になるのだろうか。……う~ん、じゃあ、違うか(失礼)

 冬は人間に内面にひたすら籠らせる。安楽椅子に座りながら、自分の精神が暖炉の中で燃えて極大に膨れ上がる。暖炉の中で考える。その考えを元にまた考える。そうこうしている内に、ひたすらに自分が高まってくる。熱せられた鉄を何度も折り返し鍛え上げて一本の剣を鍛造するように自分の精神を研ぎ澄まされる。

 逆に夏は、暑いだけだ。それ以上でもそれ以下でもそれ以外でも無い、ただ暑いだけ。誰であれ暑いという感情に支配させることで、内面全てを漂白させていき、「暑い」という感情のみに支配される。”心頭滅却すれば火もまた涼し”と言うが真相はむしろ逆で、暑いからこそ人間の心頭は滅却されていく。

 それは窓から眺める景色とは随分対照的だった。
 冬は雪で白一色に染まるのに。
 夏はノイジーで、カラフルで、フランシーで、バラエティが豊かであるというのに……

 

んじゃ、ここで一旦CM。

俺の風景フォルダが火を噴くぜ!



木と雪
森と雪
森と雪2
紅葉と雪
猫と雪


 うん。やっぱ冬は白くて代り映え無いね~、良い風景だけどさ~

 んじゃ、次は夏行ってみよ~! イェ~イ!

 ※(夏っぽいBGMを掛けながら見るのオヌヌメ)



ひまわり畑
木とジャガイモ畑
死んだトンボとクモ
ハイビスカスと海
昆虫採集する兄妹
入道雲
カブトムシとクワガタ
宿題する兄妹
電話ボックス?
坂と海と女子高生
入道雲と麦わら帽子の女性
入道雲2
入道雲3
電車を待つ自転車に乗った女性
海と子供
海と女性
夏祭り
夏の影
打ち上げ花火
線香花火
スイカ
セミ


 ……とまぁ、こんな感じ。


 「良い風景だなぁ・・・」なんて思ったら是非とも外出してみてくれ。知ってたか、今って夏なんだぜ?
 俺はニートだからどこかに行く予定なんかないけどね(爆)



 さて、季節が人間の認識に及ぼす作用をついて話をしよう。
 でも春や秋は捨て置く。
 奴らは、暑くも無く寒くも無く、花がピンクか葉が紅かったり黄色かったりするだけだ。(つーか今、桜の美しさを長文で語られても反応に困るだろ、「今かよ!」って)
 だから重要なのは冬と夏だ。春も秋も人間を規定しない。冬と夏が人間という存在を決め付ける。それが正しいかどうかは別として、彼らを通して人間は人間を知る。
 冬は無個性だ。ただ白いだけ。だからその中にいる人間の各々の違いを浮きあがらせる。

 だが夏においては人はただ、「暑い」と言っているだけの人になる。
 そこに自己と他者の明確な違いは無い。あったとしても取るに足りない。魚に興味ない人にとってのブリとハマチみたいなもんだ。俺も分からん。
 やがて旅人は太陽の暑さに負けて服を脱ぎ始める。その服とは人間が今まで生きてきた中で身に纏ってきた“自分と思い込んでいた何か”だったりする。これは俺がニートだから言う訳じゃないが、人間なんて素っ裸になればなんも変わらん。「暑い」と口に出すだけの、タンパク質で出来た肉の人形だ。さっきまでの俺みたいにな。

 だから、暑いという事は万人に通用する共感を生む。
 というよりも暑さでしか人は繋がれない、と言った方が正しい。どんな耳触りの良い思想や主義も暑さの前では屈服せざるを得ない。

 これがいわゆる、『夏が暑い現象』である。

 ……うん、「皆様なご存じのあの」みたいな感じで言ってみたはいいが聞いたことないと思う。うん、今俺が始めて言った。(少なくとも俺は聞いたことない)
 まぁ、結局の所、夏って暑いよね~って感覚は全人類共通であると言う事だ。
 考えても見て欲しい、「俺、夏に暑いなんて思った事ねぇわ~(笑)」なんて言ってる奴、見たことあるか? 前言撤回するが、多分500万人もいないだろう。
 つまり夏の暑さを強調すれば、なんであれ、誰からでも共感を得ることができ、高い評価がもらえると言う訳である。 ちなみにエアコンはタイマーの時間が来て、とうに動くのをやめている。あ~暑いなぁ~(チラ)



 まぁ、とにかく、この手法を使えば良い作品になりやすいのだ。小説にしろ、アニメにしろ、ゲームにしろな。良い作品の絶対の条件ではないが、それなりに必要性の高い条件だ、『共感性』って奴はさ。

 そして、史上最もこの現象を上手く使った作品がある。




 さて、それはなんだろうか……




 そう『AIR』である。
 


まごころを、君に ……ではない方。
 AIRとはKeyが2001年に発売したPC用の恋愛アドベンチャーゲーム。


「2024年にAIRってお前……」そんな声も聞こえてきそうだが、まぁいいじゃないか。何時やっても名作だから名作は名作って言うんだ。
 俺がやったのは何時の頃だったか……15年くらい前に中古で買ったんだよなぁ。(なので間違って覚えている部分があるかもしれないが、その点はご了承願いたい。)

 俺は夏にいい思い出は無い。別に夏だけじゃなく、春秋冬にもいい思い出は無いのだが、今はそれはおいておこう。
 だからよくよく考えてみると俺はAIRに自己投影する要素を持ち合わせていないことに気付く。

 俺には人形を動かす能力も無いし、「がお」が口癖の恐竜好きの少女と出会ったことも無い。
 勿論、田舎の海の見える町にふらりと立ち寄った事も無いし、カラスで肩にとまった事も無かった。

 それでも投影できる。共感できる。できてしまう。

 何故か?

 ……暑いから。

 俺がAIRというゲームに感情移入して感動できたのは、夏が暑くて、その暑さを感じるだけの機能が俺の身体にあったからだ。
 だから、たぶんインド人だって感動できると思う。いや、むしろ”夏が暑ければ暑いほどAIRに感動できる”という理論の元に立てば、彼らの方が涙腺崩壊を起こしやすいのでは?と、割と真面目に思っていたりする。

 ……しかし、よく考えてみるとAIRって構成されている要素は地味だ。良く言えば素朴。悪く言えば地味。
 派手なADV作品っつーのは、学園物とか、人類の存亡をかけて戦うとか、バイオレンスとか、ハーレムとか、魔法少女をごにょごにょ……と、まぁ、そんな感じだ。
 一例を挙げよう、まぁ派手さの極みの作品の。


テスタロッサではない方のFate


 そうFateである。
 AIRから3年後に発売されたこのゲームもまた覇権だ。つーか今更言うまでも無い。今だって覇権だしな何故か。多分この調子で行くと100年後も覇権なのだと思う。
 本筋からは少し外れるが、Fateの派手ポイントを少し挙げておこう。(……今言う必要ある?)

 Fateの主人公はなんやかんやあって聖杯戦争を戦う事になり、人々を守る為に、現代に蘇った英雄共と斬った張ったの大立ち回りを繰り広げる。
 主人公は魔術を使える。人形を動かすなんてチャチな能力じゃなくて投影魔術だ。
 おまけに有名どころの神話や英雄がバンバン出てくるのだから滅茶苦茶熱い、「うぉぉおおお!!!」ってなる。(当時は。今Fateのネタバレ踏まずにプレイするの不可能だろ(笑))
 しかも未来においては主人公はああなるのだし、やっぱスペクタルでエキサイティングだ。

 その点、AIRは放浪者の青年と田舎の港町に住んでいる少女とのひと夏の心の交流を描いた作品だ。
 ……って、うん、今の時代だったら絶対に通報される奴。ぶっちゃけ半分ホームレスだし客観的に見ると完全に事案だ。
 俺がふらりと港町に訪れて、少女に声を掛けたらどうなるかなんて想像もしたくも無い。下手しなくても豚箱行きだ。……まぁ、イケメンだしな主人公。『ただしイケメンに限る』だ。

 話を戻す。 
 法律や社会通念はともかく、基本的にはこのゲームはやはり地味。
 でもだからこそ、夏の暑さ的表現が身に染みる訳である。
 夕方の田舎の港町には”凪”という気象現象が起こる。
 昼間は海から陸に向かって風は吹き、夜には陸から海に向かって風は吹く。そして夕方時にはどちらに吹くことも吹かれることも無く、ちょうど無風の状態になる。これがだ。

 そして、この時が一番暑いのだ。気温的には昼間の方が暑いのに。
 何故かと言えば昼間は風が吹いて気化熱で涼しくなっていたのにそれが無くなる。おまけに風が生み出していた音が無くなることで温感に意識が向いてしまう。極めつけはその色だ。昼間には青空と青い海が視覚から涼しさを提供してくれるが、血のような夕陽にはそんな慈悲は期待できない。なんでも青色は体感温度を2度低下させ、赤い色は体感温度を3度上昇させるらしい。

 AIRはそんな情景が良く表現されている。本来であればフレーバー的な物でしかない”夏”という物を、絵、文章、音楽を駆使して、キャラクターレベルの存在感にまで高めている。
 いや、夏の暑さが良く表現されている……というのも勿論あるだろうが、それよりも夏にプレイするからこそ実際の季節との相乗効果が高いのだと思う。AIRを冬にプレイする奴0人説。やったことが無いので分からないが、冬にプレイすると魅力が半減するに違いない。
 ……つーか温度を使ってくるのってズルい。他のADVは文字と絵と音で勝負しているのに、そこに更に温感を使ってくるなんてさぁ……卑怯だぜ麻枝准!
 ……いや、決して責めている訳では無い。褒めているのだ。日本代表だってマリーシアを覚えてから結果を出し始めたのだ。
 やっぱ使える武器は使うべきなのだ。かつてその美しいストーリーに心を抉られたからこうしてぐだぐだと書いてる訳で、やっぱり正解である。
 では寒さはどうなのか? 暑さが作品の没入感を高めるとすれば寒さも有効ではないか?
 ……う~ん、それは恐らくあまり良い手ではない。
 暑さは人間にとって許容範囲だ。気温なんて上がるにしても、どんなに高くても50度前後だ。だから、汗がジメっとした不快感を感じるだけで済む。人類は暑さに対しては非常に強い生き物だ。
 でも寒さはそうじゃない。下がる時はどこまでも下がるし、簡単に人間の息の根を止めてくる。という訳で、人間にとって寒さは致命的になりやすいのだ。雪山ではたった数分指先を出してトイレをするだけで凍傷にさえなるし、5度の水の中に落ちると人間は15分で意識を失う。だから寒さを感じると生命の危機のシグナルを出しやすいように人間は出来ている。具体的に言うと、温度センサーである温点の数は少ないが冷点の数は多いのだ。
 だから寒さは扱いが難しい。
 冬を題材にした名作は数多くある。だがそれらは別に寒さという武器を使ったわけでは無く、むしろそんな寒さの中で、人間同士が生ずる温かさを描いている気がする。いや、そう思うのは俺が今、夏に居るからかもしれないが……
 
 まぁとにかく、暑さを武器にするのは非常に有効である。
 そんな武器を使っているから、人間は夏にAIRをプレイする時、今感じている暑さが、画面を通して伝わってくると錯覚してしまうのだ。脳が誤作動を起こす。
 これがいわゆる『AIR症候群』だ。(聞いたことねぇわ)
 なんせ絵や音や文字は画面を通して伝わってくるのだからな。そんな中で『暑さだけを例外と思え』と言うのは、意外とポンコツな人間の身体には酷というもの。血流を制限しながら筋トレをすると効果的だったり、メントールを塗ると冷たく感じるけど実際には体温は下がらないのと同じだ。(だから熱中症対策にはメントールは使うべきではない)

 でもそれで良いし、それが良い。
 何故なら我々は錯覚したがっているのだから。決して現実には存在しない登場人物たちの生き死に、色恋に、一喜一憂するのが我々なのだから。
 だからかもしれない、プレイしてから十数年と経っているのに、夏の暑さを感じると夏影が何処からともなく流れ始めるのは。ふと空を眺め、消える飛行機雲を見送りたくなるのは。
 AIRのCD-ROMから夏の暑さが出力されていると錯覚するように、ただ暑いだけでAIRをプレイしているような気になってしまうのが俺の脳味噌なのだと今更気付く。パブロフの犬である。
 言ってみれば、この夏の暑さだけが、あの美しいゲームと俺の人生を繋ぐ扉なのだ。
 ……と、ここまでで、ゴールとしておこう。もう疲れた……


 さて、書いてる間、暑さについて色々考えてみたが、結局よく分からなかった。暑さってなんなのか、人間にとっての暑さの意味、暑くなかったら夏では無いのかとか、そう言った哲学的な事は正直分からない。何故地球に夏はあるのか、何故神様は地軸を曲げてしまったのか、何故さかなクンはハコフグを被っているのか、インドは今何度なのか、他の惑星にも夏があるのか、あったとしてもその住民たちの夏への印象は如何なるものなのか、そんなことも分からない。元から分からなかったのか、それとも夏の暑さにやられて不可逆的な蛋白質の変性が起き、俺の思考力がオワコンになっているのか……それすらも定かでは無い。
 もしも将来、この地球の背筋が真っすぐになったとして、この太陽系第三惑星から夏が消え去ったとして、俺はどう思うのだろう。涼しくてサイコー!ってなるのか、それとも寂しいとでも思うのだろうか……

「昔、地球には””ってのがあってのぉ……」
「なぁにそれ?」
「夏ってのはのぉ、クッソ暑くて、滅茶苦茶ジメジメしてて、雷で電化製品が破壊されたり、台風で家が破壊されたりする季節の事じゃよ」
「無くなって良かったね、おじいちゃん」
「…………そうじゃのぅ」



 ただその時にはAIRをプレイしても、今日の日の様には感動できないだろうな……という確信に近い予感はある。だって夏ねぇし。
 夏のない世界でやるAIRってのはなぁ、カツの無いカツ丼、ルーの無いカレーみたいなもんだぜ!

 だからこの世界に夏がある間にAIRをするべきだ!!!!


 ……て言うのが、ここまで書いてきての結論みたいです。「そうなるのかぁ」と、自分でもびっくり。
 まぁ、結局分からないけどな。俺の事も、地球の事も、未来のこともさ。大体、地軸に変化が起きるなんて何億年後の話だっちゅーねん。そこまで生きてないっつーねん。
 俺に解るのは、今この瞬間、俺が夏に対して暑いと感じている、という、ただそれだけだ。

堤防を歩く少女



 いや、ほんっとーに夏が暑い!!


 


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