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理想は人を不幸にしかねない

私が記事を投稿するには

・文章化できるレベルでネタを思いついている

・仕事が大して忙しくない

上記2点が満たされてないとあかんねんな。

つまり、最近投稿回数が減ってるのはどちらかが満たされていないからであって、決してサボってるわけではないねん。

せやねん。

もう飽きたとかではないねんで、ほんま。

やぁ、私だ。

嬉しいことに、前回書いた記事に結構な数のいいねを頂いたので、同じようなベクトルで投稿したいと思う。

クソ映画のレビューするよりよっぽど楽しいしな!

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隣の芝は青く見える

「あ〜、あの人出世したんだ〜、いいな〜」

「あの人新しい車買ったんだ、羨ましいな」

「友達の結婚相手いい人だな。それに比べて俺は・・・」

人間、隣の芝は青く見えてしまうもんや。

なんでかって言うと、そこには自分の理想と相手への羨望が入るからやな。

そういうのって大抵自分が持ちっていないものやから、自分の理想が100%反映されてまう。

実際にはネガティブな部分もあるはずやのに、理想100%で見てしまうから良いものにしか見えなくなってしまうわけや。

さっきの例で言うと、出世するってことは仕事は増えるし責任も増える。上司や部下との板挟みになるし、プライベートな時間も削られる。ストレスもついでに増えてくる。そういった側面もあるはずなんやけど、給料が増えるとか会社や部下から信頼されてるとか地位の向上とか、そういった良い側面しか見えなくなってしまうということやな。

自分の理想を視点の軸に据えてしまうと、世の中を正しい姿で見ることが難しくなってしまう。

「隣の芝が青く見える」で済めばええんやけど、それが嫉妬になってやがて憎しみに変わってまうと、とても不幸なことや。

自分の理想が、自分を苦しめることになってしまう。

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「理想」とは「目指すべき希望」であるのだが・・・

誰しも理想を持っている。

こうありたい、こうなりたい、あれが欲しい、これが欲しい。

誰もが自分の理想像を持っていて、そうなれるよう日々研鑚を積み重ねている。

やけども、その理想こそが人を悩ませる原因になってしまう状況を良く目にするねんな。

どうしてそういう状況になってしまうかというと

理想と現実のギャップを受け止められず、現実に感謝出来なくなるから、やな。

例えば「新築の一軒家が欲しい」という理想を叶えたいとしよう。

新築なのだから綺麗だし、広いだろうし、自分が望む間取りに出来るだろうし、薔薇色の生活が訪れるに違いない!

そんな理想を抱いたとしよう。

当然、家を建てるのは並大抵のことではない。

当然お金もかかるし、よしんばローンを組もうにも社会的信用が必要不可欠や。

厳しい理想を掲げるうちに、それがなかなか叶わないことに辟易してくる。

そして、自分の現実と理想を比べ出す。

「今住んでる賃貸ってほんと不便だなぁ・・・。汚いし、間取りは悪いし・・・。早く一軒家が欲しい・・・。」

そう思い出すわけや。

当然、自分が勝手に思う理想的な一軒家なわけやから、実際より120%良いものだと思ってる。それと現実を比べてしまうと、現実を無駄に過小評価してしまう。

いやちょっと待てと。

住める家がある。

これってありがたいことやんけ。

それが例え賃貸であったとしても、居住スペースを所有してるって、喜ばしいことちゃうんかと。

それやのに、自分の勝手な理想と比べて勝手に失望して勝手に思い悩むってどういうことやねん。

自分で自分を不幸にしてるだけやないか。

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理想は持つべきだ。だが現実への感謝も忘れてはいけない。

先述したように、理想とは本来目指すべき希望や。

理想があるから頑張れる、理想があるから乗り越えられる。

やけど、扱い方次第で理想が自分を不幸にしてしまう。

本来希望であるはずの理想が、絶望に変わってしまうことほどつまらんもんはない。

理想は理想として、大切なのは現実に感謝することやな。

例え理想とはかけ離れてたとしても

毎日ご飯食べられるって有り難いことやん。

仕事にありつけるって有り難いやん。

車があって、家電もあって、スマホもあって、全部有り難いやんか。

現実にちゃんと感謝出来れば、理想は希望であってくれるわ。

ちなみに、私は理想を持たないように心がけてる。

なんでて、自分の思う理想が自分を幸せにしてくれるかどうかなんて分からんやろ?

まぁそれはまた別の機会に詳しく話そうか。




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