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原爆の日に向けて思うこと。

 1945年8月6日8時15分、広島。
 1945年8月9日11時2分、長崎。
 これらは、原爆が投下された日時であり、場所である。それらは記録として残り、人々の記憶としても(おそらく)残っているはずである。
 しかし、年々被爆者の方々も高齢化により少なくなりつつある。人々は少なくなっているにもかかわらず、原爆水爆の数は、まだまだ多く存在する。
 自分は、広島県内で生まれ育ち、いまだにその場で生活している。戦後に生まれたため、戦争は体験もないので実際にどれだけ悲惨な光景だったのかということも知りようがない。
 けれども、平和記念公園、原爆資料館など、記録的な資料や構造物が残っているこの広島に住んでいるからこそ、それらを感じることはできると思っている。

 世界では争いや、戦争が絶えず、今でも犠牲になる民間人が相当な数出ている。
 どうして争うのだろうか、戦うのだろうか、殺し合うのだろうか。テレビに映る光景を見るたびにそう思い、心が痛む。そして気分が悪くなってしまう。

 自分自身、痛いのは嫌だし、血を見るのもきらいだし、怪我をすると血の気が引いてしまう。

 こうやってふと思ったことを、つらつらと書いてしまったが、とても複雑で、つらいなと思う。

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