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なぜ「会いたくて震える」のか?|【読書セラピー】Jポップで考える哲学 自分を問い直すための15曲

突然ですが
あなたは曲を聴くときは

メロディー派ですか?
歌詞派でしょうか?


どうも読書セラピストのタルイです。


ちなみに私は
洋楽はメロディー派で
右脳で聴いてる
イメージを持ってます。



そしてJ-POPは歌詞派です。
左脳で聴いてる感じです。


それはなぜかというと


J-POPは
哲学的な歌詞が多いからです。



J-POPの歌詞は、
「自分」や「愛」「人生」を
テーマとするものが多く
そこは哲学書とテーマがカブります。



それでいて
難しい哲学書に比べて
シンプルな言葉が多く使われて

そのシンプルであるがゆえに
胸に響くものが多いのですよね。


あとはビジュアルでしょうか?

昔のおじさんが書いた
分厚い哲学書よりも


シュッとしたいでたちの
アーティストの言葉は響くのです。


もしもあなたが
私と同じ考えでしたら
ピッタリな本があります。


本書は著者の戸谷洋志さんが
「先生」役で

アシスタントに
「麻衣」という女性が登場して

対話形式で歌詞の分析が
なされていきます。

出典:https://www.chibanippo.co.jp/news/national/361103

1988年、東京都世田谷区出身。博士(文学)。大阪大学特任助教。現代ドイツ思想を中心にしながら、テクノロジーと社会の関係を研究。また、哲学対話を中心とした哲学の社会的実践にも取り組んでいる。第31回暁烏敏賞受賞。著書に『Jポップで考える哲学――自分を問い直すための15曲』(講談社)、『ハンス・ヨナスを読む』(堀之内出版)がある。



本書でJ-POPについて語られてます。

Jポップがもつ大きな特徴は、
それが言葉に重きを置く音楽である


言葉に重きを置く

うん、確かに。


J-POPの歌詞は
ストレートなものが多いが、
それゆえに物事の本質を突くのです。


本書もJ-POPの
ストレートさを引き継ぎつつ

平易な言葉で
深く際限のない哲学の世界を
シンプルに解説してくれます。


下記の目次をご覧ください。

J-POPの名曲を題材に
本の章立てが出来てます。

目次
第1章 自分
「自分らしさ」とは何か?―Mr.Children「名もなき詩」
「自分ではないもの」から見える「自分」―ゲスの極み乙女。「私以外私じゃないの」
他者によって知られる「自分」―乃木坂46「君の名は希望」

第2章 恋愛
私と他者の共同性―AI「Story」
失われた共同性―西野カナ「会いたくて会いたくて」
他者の他者性と向き合うこと―宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」

第3章 時間
過去を記憶すること―BUMP OF CHICKEN「天体観測」
未来を待つこと―aiko「キラキラ」
この瞬間を生きること―東京事変「閃光少女」

第4章 死
絶望による死との直面―RADWIMPS「おしゃかしゃま」
死が照らし出す大切なもの―浜崎あゆみ「Dearest」
他者の死を引き受けること―ONE OK ROCK「A new one for all,All for the new one」

第5章 人生
日常生活の息苦しさと人生の不確かさ―嵐「Believe」
自分の人生を決断すること―SEKAI NO OWARI「RPG」
孤独に生きることへの祝福―いきものがかり「YELL」


ここからは

「自分らしさ」とは何か?について
Mr.Childrenの「名もなき詩」を

●失われた『共同性』について
西野カナの「会いたくて会いたくて」

●過去を記憶することについて
BUMP OF CHICKENの「天体観測」


以上3つを
取り上げてみたいと思います。


◆「自分らしさ」は自分で知り得ない


名もなき詩』は、
1996年にリリースされた、
Mr.Childrenの10枚目のシングルです。


私は当時25歳です。

カラオケでよく歌ったなー
懐かしいな〜

「君」に対する
愛の告白メッセージソングですが

途中サビの部分で
「自分」や「社会」に対する
葛藤も感じられます。


せっかくなので
まずはゆっくりとお聴きください。



サビの歌詞に注目です。

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中

もがいているなら
僕だってそうなんだ


「あるがままの心」
自分らしく生きられないのは
自分の弱さなのに、

ついそれを他人のせいにして
言い訳してしまう。


またその一方で、
自分らしさに固執するあまり
「檻」のような狭い世界に
自身を押し込んで
もがいてもいる。



著者いわく
この歌詞が意味するものとは

「自分らしさ」を考えることの

その理論的な限界
示されているのです。


この問いに関連するのは
哲学者カントです。

イマヌエル=カント ( A.D.1724〜A.D.1804)


哲学者カントとは

人はなにを知ることができて
何を知ることができないか


それを論じた哲学者です。


そのカント曰く


ありのままの「自分」を
知ることは不可能である!


それは最初から
人間にはできないことだ!



と主張したのです。



どういうことかというと


もしも「自分らしさ」
自分ひとりで考えようとしたら

自己意識が
「考えている自分」
「考えられている自分」
分裂してしまう。


つまり、分裂してる以上、
これはありのままの自分じゃない
ということなのです。

さすがは
世界三大難解図書
指定される著者カント
だけのことはあります。



ちょっと何言ってるか
よくわからないです💧


そこで私なりの解釈を加えてみます。


もし仮にカント
「僕」にアドバイスを贈るとしたら


多くの人は
「ありのままの自分」を

ありのままの自分=自我(エゴ)

と思っている。

その自我を
「考えている自分」
「考えられている自分」
分けることは合理的にあり得ない。



そうではなく、

ありのままの自分とは

ありのまま自分=自己+自我

であって

自己=客観的に見た自分
自我=主観的に見た自分


と考えれば

自分を単に客観的な対象として
考えることもできる。

だからもっと
他人の声にも耳を傾けてみよう。


自分の殻に閉じこもって
ばかりいないで

周りの人から見た、
客観的な自分に対する評価も
真摯に訊いてみないかい?


本当の自己評価とは
客観的な自分を評価することで
自我(エゴ)の評価ではないんだよ




と私は想像しました。
間違っていたらごめんなさい🙏



「あるがままの心」

「自分らしさの檻の中」


この2つのワードが
意味するところは
人はあるがままの心で
生きようと願うけど
逆に「あるがままの心」
に確信がもてない。


そして
演技ばかりしている自分が
際立ってきて、
「自分らしさの檻の中」
閉じ込もってしまうのでした。


だからこそでしょうか

私たちは名もなき詩の歌詞のように

大切な人とお互いに
支え合っていきたい



という想いに
行き着くのではないでしょうか。


自分ひとりで
「自分らしく生きたい」
なんて考えないほうがいいのです。


これは誰もが悩む
普遍的な問題とも思えます。


◆なぜ「会いたくて震える」のか?

この曲は
2010年に西野カナさんの
10枚目のシングルとして
発売されました。

まずはお聴きください。


お聴きいただいたように
歌詞の中の「私」

彼氏である「君」
「あの子」に奪われることで
失恋してしまいます。

会いたくて 会いたくて 震える
君想うほど遠く感じて
もう一度二人戻れたら…
届かない想い 
my heart and feelings
会いたいって願っても会えない
強く想うほど辛くなって
もう一度聞かせて噓でも
あの日のように〝好きだよ〟って…

なぜ西野カナさんは、

失恋の心情を
「寂しい」とか「会いたい」ではなく

「震える」
と表現したのだろうか?


そこに
どういった哲学的な意図があるのか?


…難しいです😓


でもまぁ唐変木な私でも

「会いたくて会いたくて震える」 
という状況が

元カレがヤクの売人かなんかで
薬物による禁断症状が出ている状態…


ではないことぐらいは
理解できてます。

ですが、
それを意味する哲学とはなにか?
と問われると…


さっぱりわかりません。


さて本書において 
「会いたくて震える」
という詞が示しているのは、

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