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なぜ栄養と機能性では盛り上がりの格差があるのか

現在新幹線で移動中の私。

暇な2時間の持て余し方として、ネットサーフィンするくらいなら食と健康について言語化してみよう!ということでタイトルのお題について考えてみる。

まず、栄養と機能性の違いについては、以下のコラムを参照にされたし。

これを理解した上で、じゃあ何がこの二つの格差を生んでいるのか?


格差とは?

そもそも格差があるというのもあくまで私の印象なのでそこはご容赦いただくとして、私の中では以下のような格差を感じています。

・産業界の盛り上がり
機能性表示食品が誕生し、猫も杓子も機能性表示になってるこのご時世。今でもどんどん増え続けています。こんな機能性が出たよ!とか、○○対策!みたいなCMもよく見かけます。

一方栄養はどうか?高タンパク質、減塩など商品はあるっちゃあるけど、新しいのがあるかというと疑問符。

・アカデミアの盛り上がり
栄養系の学会はちょこちょこあるんですが、以前と比べて機能性関連の演題が増えたように感じる(当社比)。出口を見据えた研究がしやすいですし、実験結果が得られやすいというのもあるでしょう。

栄養研究自体は別に減ってるとは思いませんが、産業界が前述のとおりであるため、資金を得られにくくなっている可能性はあるかも。

・メディアの盛り上がり
テレビ番組、雑誌、ネットニュース、広告。
・・・機能性の方が目にする機会多いよね。

ということで、格差ある気がしませんか??

あるよね!

ある前提で話を進めます。

なぜ格差が生まれるのか?

いろんな視点から考えてみました。

商品につながる

一番はこれかなと。最終的な商品と紐付きやすいので、そこから産業が生まれます→お金になります。

もう少し噛み砕いて話すと、栄養研究の成果は
・こういう食生活が良い(悪い)
・この栄養素が○○に大事
などがアウトプットされるわけですが、それって特定の商品と紐付きにくいんです。頑張って研究しても栄養素レベルだと誰だって真似できちゃうわけ。そのレベルを特許で抑えるのもハードルがあるかと。

一方で機能性は特定商品と紐づけることができるため、直接的に商品の売り上げにつながります。つまり力を入れて研究開発が進みやすいと(本来機能性表示は商品ではなく成分単位でこういう報告があるというものですが、商品にその表示がなされている以上商品に紐づいているとみなせるかなと)。

これが良い悪いの話は別ですが(決して悪いとは思わない)、そんな構造はありそうです。その結果、アカデミアもそちらに流れるというのはあり得そうな話。

新たな研究が生まれやすい

機能性研究はおそらくこれからも流行り続けるでしょうが、私自身携わったからこそ感じるのは機能性研究はあたらしく生まれやすいということ。

食品に含まれる多種多様な成分群は、近年の成分分析能力の向上もあり、より多くのものが見出されてきています。
少しお隣さんに行く、例えばブドウのポリフェノールからりんごのポリフェノール、カベルネからメルローのポリフェノールなど、それだけで違いが出てくるわけで、比較をするという科学の基本に則れば、研究の幅はある意味無限大。

そして、その成分に意味付けができることは新しい研究や産業、また場合によっては地域振興にもつながるでしょう。

一方栄養成分は、新しい栄養素が登場することはほぼないと言っても過言ではないでしょう。ある意味調べ尽くされています。もちろん「栄養なんもわからん」状態なのは否定しないけど、食事摂取基準や食事バランスガイドというある種の聖典が存在しているのは確かなわけで、今の延長線上ではなかなか苦労も多いことは予想されます。

自分事化しやすい

ちょっと切り口を変えてみます。
「健康寿命が延伸します」
「がんになるリスクが低下します」
「糖尿病が悪化して透析のリスクがあります」
という話と
「食事の糖の吸収を抑えます」
「睡眠の質を改善します」
「体脂肪を低減します」
の二つだとどちらが魅力的に見えるでしょうか?

逆張りして前者と言いたくなる気持ち、わかります。また、こういう問いをすると前者の方が大事だというのはおそらく多くの方が理解しています。

でもね、多くの人は自分が病気になるなんて微塵も考えていなくて、そんな遠い未来を見据えてそれが行動の源泉になることは非常に少ないわけです(年齢や病歴によるけどね)。
一方で、後者の悩みはある意味すぐそばに寄り添ってくれているわけで、変えてみようかなという動機づけにはつながりやすいでしょう。

これ、甘くみられがちだけどかなり大きな要因だと確信しております。例えばテレビ番組で「トマトを食べてダイエット!」なんて言ったらスーパーからトマトが消えるのは、その行動が自分事化しやすく、行動負荷が小さく、期待される効果が大きい(と錯覚している)からにほかならんなと。

楽しそう

完全に私の主観ですが、、、

栄養→国とかが指針出してて真面目
機能性→色々あって楽しそう!

・・・ってありそうじゃない?

栄養って良くも悪くも当たり前に近いことも多いし、そんなこと言われんでもわかっとるけどできんのや!!ってこともありがち。
機能性にはストーリーが付随されることも多いですよね。
フィンランド人は昔からキシリトールを食べていたとか、静岡のお茶をよく飲む地域の人は○○で、それはカテキンのおかげだ、とか。

いや、本当は栄養こそストーリーの塊なんですがね、ビタミンB1と海軍の話とかもそうだし。

これは私が栄養に疎いから知らないだけかもしれません。

どうすれば栄養が盛り上がるのか?

ということで格差を考えてきましたが、別に栄養をコテンパンにしたいわけではなく、むしろどうやったら栄養を盛んにしていけるかということに興味があるわけです。
だって、国民の健康増進を考えたら、寄与が大きいのは明らかに栄養ですし、インパクトは機能性の比ではないはず。

じゃあどうしたら良いか?

途中でも述べたように、日本の栄養研究は担い手不足も含めて今岐路に立たされていると思っています。栄養学は今の延長線上にはないイノベーションが必要に迫られている分野といっても過言ではない。

一つはすでに盛り上がり始めている、個別化栄養(プレシジョンニュートリション)。

食事の写真を撮って足りない栄養素をリコメンドするとか、侵襲性の低い何かしらの生体測定をしてリコメンドするとか。

やり方は模索段階でしょうが、栄養研究がガラッと変わる可能性は秘めているかと。

二つ目には高齢化など新たな課題対策。これは今に始まった事ではないですが、高齢化特有の課題へのニーズは尽きることない上に分からないことも多いので、広がる余地はありそう。

三つ目にはデジタル化でしょうか。PHR事業の推進によりデータ統合が進む先に、栄養学として何ができるか?
そもそもデータ統合自体遅々として進まない中考えるのは難しいですが、だれか天才がなんとかしてくれるでしょう(雑

このあたりはすでに色んな人が考えてるでしょうから、それ以外のところで私自身イノベーションを生み出せないか、そろそろ本気で栄養学に立ち向かっていきたいと思っている所存です。

機能性研究も楽しかったんですけどね。栄養研究をもっと楽しんで取り組んでいけますように。そしてそんな仲間が増えますように。

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