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栄養系情報はなぜ氾濫するのか

少し前にこのツイートにたくさんの反応をいただき、皆さん食と健康に関する情報がSNSに氾濫していることは身をもって体感されてるんだなと改めて感じさせられました。

以前「栄養系情報を読む時に気をつけている七つのこと」と言うコラムで整理してみたものの、そもそもなぜ気をつけなければならない状況になっているのか?

そのメカニズムを探ることで、気をつけ方ももしかしたら見えてくるかも?

と言うことで、今回は「栄養系の情報はなぜ氾濫するのか?」のメカニズムを探ってみて、なぜ気をつけなければならないか、どのようなことに気をつけるべきか、もう少し本質に迫ってみたいと思います。

仮説1 日常に溶け込んでいる

多分これが一番大きい。

食と健康に対して、一家言ある人は多い・・・と言うより、もしかしたら誰しも持っていると思います。

「この食品を食べたら次の日なんか調子が悪い」「お腹が痛くなる時は大体この食品を食べている」

その人の中だけに存在する因果関係のある(かどうかもわからない)事実を他人にも当てはめようとした時点で破綻の第一歩が訪れます。

個人の感想はその人にとってはもちろん紛れもない事実であったとしても、それはエビデンスとは言えない。

しかし、その一人一人の食にまつわるナラティブなストーリーが我々の日常生活に溶け込んで溢れてしまっているのが今の状態であろうと言うのが一つ目の仮説。

ただし、その人にとっては事実であるということを全否定するエビデンス絶対主義の人もいますが、それもそれで対立を生む一つの要因になっているのは最近感じているところです。

仮説2 専門家の存在

医療分野でも専門家(医師、学者など)に対して、ネットで調べた程度の素人が突撃している姿を見かけますが、では栄養の分野ではどうでしょうか?

栄養関連では一つ明確な存在があって、それは管理栄養士という国家資格です。

例えば病気になったらお医者さんに診てもらおうと普通なりますが、食生活を見直そうと思ったときに管理栄養士さんに相談しようとはなかなかならないんじゃないかなと。

私もTwitterを始めるまで、管理栄養士さんと話すような機会はほぼなかったので、なかなかイメージしにくいというのもあるかもしれません。

食生活って管理栄養士さんに聞かなくても自分で直せそうじゃないですか。

つまりダニング=クルーガー効果で俗に言うところの「栄養のこと、完全に理解した」状態の認知バイアスに陥っている自称専門家が多いと言うのは二つ目の仮説です。

また仮説1とも紐づくのですが、食品系は◯◯マイスターとか△△コーディネーターのように数多くの資格が存在したり、ジムのトレーナーが経験から独自理論を展開したり、(私のような)研究者と名乗る英語の論文を引用しながらこれを食べようとそれらしいことを言ったり、結局誰に聞けば良いのやらわからない状態。

一体誰が専門家なのかわからない今の状況も情報氾濫の要因の一つになっているように思います。

困ったら管理栄養士さんを頼りましょう。

仮説3 面白くない

これまで何度も紹介しているように、食事の見直しを考える時には食事摂取基準や食事バランスガイドを読めば、確かなことが書いてあるんですが・・・あまり面白くない!というか全く面白くない!

主食を中心にバランスよくとか、塩を控えて食物繊維をたくさん取ろうとか・・・わかっとるわいっていう。

それよりも
納豆で血液がサラサラに?!
納豆に含まれる◯◯という成分がすごい!
最新の研究でわかった発酵パワー!
納豆を4週間食べ続けた佐藤さん
みたいな話の方がどうしても面白そうですもんね。

でも食事って結局生涯食べ続けるものなので、奇をてらう必要は全くないはず。

特にネットニュースやTwitterでは最新の論文などをキャッチーな言葉を添えて紹介することもよくありますが、limitation(例えば、摂取量が膨大とか、特定の人でしか効果がないとか)を無視して針小棒大に伝えていることも多いので、要注意。

最新=素晴らしいではなく、最新=不確かと思っておくのが賢明です。

仮説4 リスク(費用、有害性)が低い

さて、仮説3にあったように面白い情報、例えば納豆を食べたら血液がサラサラになると知って試したいと思い立ったときに、どうすれば実践できるでしょうか?

そう、スーパーに行って数百円払えば実践できてしまうんですよね。近くて安い。

まさにローリスクであると言うことが4つ目の仮説。

ローリスクでローリターンがあればまだいいですが、ノーリターンのこともあるでしょうけど。

こうして簡単に試せてしまうので、日常に溶け込んでいって、個人個人の感想という形で仮説1に戻るわけです。

さらに納豆を食べ始めたとして、体に悪影響を及ぼす可能性はあるでしょうか?おそらく体に不調が出ることはほとんどないでしょう。

行動経済学でいうところのNUDGE的な役割として「血液サラサラ」を目眩しにしつつ結果的に健康になる、といえばあながち悪いことともいえないので、この辺りをどう伝えるべきかは常に悩ましいところです。

そしてこの悩ましさこそ、否定しづらい要因でもあるかもしれません。納豆で血液サラサラを否定することは、納豆の存在を否定することではないのに、人はどうしても善か悪か、0か100かの二項対立的な思考をしがちなので、そこを正確に捉えることが肝要です。

ちなみに、納豆だからまだ悩ましいですが、よくわからない植物の濃縮サプリなんかは体にいいかすらわからないこともあるので、そんな場合はハイリスクノーリターンなんてこともあるので、気をつけましょう。

健康食品との付き合い方は以前コラムを書いたので、ぜひご参考に

最後に

ということで、なぜ世の中に栄養関連の情報が溢れていてしまっているのか、自分なりに色々と仮説を立ててみました。

簡単にまとめると
1.身近すぎて自分メソッドができやすいから
2.自称専門家が多いから
3.エビデンスのあるものが面白くないから
4.実践することのリスクが低いから

今回そのメカニズムをまとめて何が伝えたかったかというと、「このメカニズムに当てはまる場合、その情報を疑ってみてほしい」ということです。

例えば、「Twitterで有名なトレーナーの◯◯さんが言ってた最新の食事方法は、私でも簡単に続けられそうなので試してみよう」なんてのは全て当てはまってますね。

栄養系の情報は鵜呑みにする前に一旦立ち止まって、このメカニズムを頭に入れつつ批判的な視点で眺めてみることがオススメです。

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