バンドマン用語・ビータ(旅)
朝、東京駅の新幹線ホームや羽田の出発ロビーで、なんとなく遊び人風の格好で、楽器を抱えてたりする人間を見かけたとしたら、それは多分ミュージシャンが地方に仕事に出掛けるところだろう。ミュージシャンと旅の仕事はつきものだ。以前はビータという、いささか品の無い言い方でそういった仕事を呼んでいた。最近そういう業界用語的な言葉を使う人をほとんど見なくなった…
典型的なドンバ(バンド・マン)用語…
例えばギャラの金額…C万(ツェー・マン)というと1万円、D万(デー・マン)は2万円、E万(イー・マン)3万円…からオクターブ万(8万円)と続く。そして9万円はナインス・マン(コードネームから来ている)。10万円になると、ツェー・ジュー(C・10)ということになる。
ドの音を1とした音階に置き換えるやり方だ。
それからもうひとつ、バンド以外の人も耳にしたことがあるだろう、単語の音を逆さまにしたり、並べ替えたりする言葉。これはちょいワルな雰囲気が受けたのか、結構業界以外でも聞くことがあった。
シーメ(飯)、オイニー(匂い)、カイタ(値段が高い)ヒーコ(珈琲)ルービ(ビール)シータク(タクシー)…シャレコマ(コマーシャル)なんかはウケだけは良いような軽い曲を小馬鹿にして評する時に使われたり。
…ラーギャ、ツェー・マン出たから、帰りにミーノ(呑み)行こうや…みたいな…
ナオン(女)なんかはバンド仲間だけではなくて普通にどこでも使われていた気がする。僕が聞いた中で一番強力だと思ったのは、ソリンガタドンス(ガソリンスタンド)
こういう言葉をチャラそうに、ワルそうに使うのが当たり前の時代。
周りにいたミュージシャンの大半は子供時代にブラスバンドをやっていたり、アマチュア・バンドを経験していたり…その中で大なり小なりバンド言葉とかは経験済み。自然とそんな言葉を使っていたのだが、僕には衝撃だった。音楽修行でもなくバックパッカーみたいな気分でブラジルにわたり偶然通りかかったバール(酒場)でギターを習い、帰ってきたら、ミュージシャンになっていたという経歴。しばらくの間ドンバ言葉は、ちんぷんかんぶんだった。
この仕事を始めるまで、ミュージシャンにちょっと知的なイメージを抱いていたけど、現実には、ならずものの集まりみたい、というのがその頃の僕の正直な感想だった。
ステージでは格好良くて上手くて、難しい譜面も難なくこなす先輩たち…
控室ではタバコを吹かし、酒や変なスリク(薬)でちょっとハイになっていたり…ちっちゃな賭け事や、ダジャレ連発のバカ話で盛り上がったり…とても知的な人たちには見えなかった。ちょっと怖そうで、悪そうな人…
僕にはこの業界は無理…なんて思ってしまったのだが…
ビータ(旅)もそう言った言葉が蔓延していた時代には普通に使われていた言葉だ。
旅の仕事と言っても、大抵の場合駅と会場、それに会場に行くまでの間、車の窓から見た景色ぐらいしか知らないもので、案外詰まらないものだ。
でも例外というものはどこにでもある。何年か前、東北のある町でコンサートをやったあと、帰りの便の関係でもう一日そこに泊まらないといけなくなった事があった。丁度ゴールデン・ウィークの最後の日にぶつかったためにどの便も満席状態だったのだ。無理をすれば帰ってこれなくはなかったが、主催者の人達が『急がないならもう一日ゆっくりしていけばいい』と言ってくれたので、その言葉に甘えることになった。
地元の商工会主催のコンサートは、それなりに悪くはなかったし、喜んでもらえたと思う。そして打ち上げは、僕らの宿舎になっている商工会のメンバーの会社の持つ山中の保養所でやる事になった。
『まあ、うちの会社の別荘みたいなものですよ…』と車中でその会社の人に言われた時、僕は普通の山小屋のような建物を想像したのだけど、案内されたところは予想に反して深い渓谷に建つ瀟洒な木造二階建ての家。小規模ながら元は旅館だったものを買い取った、ということだった。まだバブルの雰囲気が残っていた時代の話だ。
畳敷で砂ずりの壁の部屋はなかなか落ちついた雰囲気で、小さいながら岩風呂作りの温泉と、岩風呂を出てすぐそばを流れる川の方に行くと露天風呂まであった。広間では御馳走とおいしい酒と馬鹿話で盛り上がり、露天風呂では星を眺めながらゆったりとした気分を満喫できた。
次の日は朝から車で十和田湖や奥入瀬などの観光名所から酸ヶ湯温泉の千人風呂まで案内してもらった。まったくいたれりつくせりで、バチがあたるんじゃないか、なんて半分本気で思ってしまった。そして保養所に帰ると、前日よりはささやかながら宴会が待っていた。でもその日の宴会は案外あっさりしていた。
『明日からまた仕事がありますので』
早いうちから商工会の人達は、次々残念そうな顔をしながら帰って行った。
『明日空港までお送りしますから…』という言葉を残して最後の人が帰り、管理人をしている老夫妻が片付けを始めたところで僕はお休みを言い階段を上がって部屋に戻った。
昨日は建物の何処かで楽しそうな話し声や笑いが聞こえたものだが、今日は妙にしんとしていた。小川のせせらぎと梢を揺する風の音しか聞こえない。ちょっともの足りない気分だった。僕は部屋の隅にあったギターを取り出し窓を大きく開けると夜空を眺めながらギターを弾き始めた。何となくいろんな曲の断片を繋いでいると、それが今までになかったメロディーになったりする。このフレーズを書きとめておけば新しい曲になるのに、ぼんやりそう思うのだけど、結局はそのまま次々忘れていってしまった。
気がつくと着物を着た老人が窓の外から僕を覗いていた。小ざっばりとした佇まいで僕に微笑みかけている。僕がちょっと挨拶すると
『あんた、音楽をやる人かね』と訊いた。
『ええ、昨日演奏会をやったんです』と答えると老人は人の良さそうな顔で『そうかね』と頷いた。
僕は少し奇妙な気分だった。老人の姿が近くなったり遠くになったり揺れて見えるのだ。そんなに飲んだつもりはなかったが、案外酔っぱらったのかも知れない。しばらく老人は楽しそうに僕の弾き語るボサノヴァを聴いていた。
『それは、何処の国の言葉かね?』
『ブラジルですよ…』
老人との会話はすべて夢の中の出来事のように朧だったけど、そんな話をした事は覚えている。でもそのあいだ、心のどこかでなにか割り切れなくて落ちつかない気分がしていた。
『全然わからんけど、心地良いなあ…あんた上手やないか…』
そんな風に褒められた時は、良い気持ちがした。
そしていつの間にか老人の姿は消えていた。時計を見ると随分時間が経っていて、もう真夜中だった。知らないうちに居眠りをしてしまい、その間に老人は帰って行ったのだろう。僕はギターを片付け夜具の用意を始めた。押入れの襖を開けようとした時、急に僕は老人がいた時の違和感が何であったかに気づいた。
僕は慌てて窓に駆け寄り下を覗き込んだ。
二階のその窓からは闇を透かして、小川のせせらぎが心地よい音を立てて流れているのがかすかに見えるだけだった。