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【アドラー心理学】怒りは排泄物なのでコントロールできません

アドラーはいいます。
怒りをコントロールしようとするのはムダである。
(怒りなどの)感情は排泄物である。
排泄物を操作することできない。

感情(怒りなど)をどうしたらいいのか
多くの人のお悩みどころであると思います。

アンガーマネジメント、に関する本も
たくさん出版されています。

わたしもたくさん読んではきましたが
なかなかどうして
怒りの感情のコントロールは難しいです。


腹が立つまでの心の動きを見てみましょう。
叱られた→腹が立つ

つまり
刺激→反応

でも、実際はこんなに単純ではないのです。

実際は
刺激→認知→反応

刺激と反応の間に「認知」があります。

認知とはどのように意味づけるかということです。
意味づけは人それぞれになります。

叱られた→Aさんの認知→腹が立つ
叱られた→Bさんの認知→落ち込む
叱られた→Cさんの認知→なにくそ
叱られた→Dさんの認知→ありがたい

このように同じ刺激でも
認知の仕方によって反応は全然違ったものになるのです。
つまり、意味づけを変えることによって
反応(感情)を変えることができる。

それぞれの認知は全然違います。見てみましょう。
Aさん バカにされた
Bさん 自分がダメな人間だから
Cさん なにくそ
Dさん 自分の欠点を言ってもらえた

このように同じ刺激でも
認知の仕方によって反応は全然違ったものになるのです。
つまり、意味づけを変えることによって
反応(感情)を変えることができる。

反応として出てきてしまった
排泄物(感情)はもはやコントロールはできないでしょう。

でも、
途中の認知を変えれば
排泄物の種類を変えることができる
つまり、感情を変えることができる。

「バカにされた」を「なにくそ」にすれば
腹は立たずにかえって発奮することができるのです。
自分の欠点を言ってもらって気がつくことができたにすれば
感謝になるのです。

叱られたから腹が立ったのではないのです。
叱られたときに「バカにされた」を選んだだけです。

バカにされた
自分がダメな人間だから
なにくそ、見返してやる
自分の欠点を言ってもらえた
などなど

あなたはどれを選びますか?

その中から自分の意思で自由に選ぶことができます。

叱った人のせいではなくて
全ては自分が選んだ意味づけの結果です。
どれを選ぶかは自分の責任なのです。

怒りをコントロールしようとするのはムダである。
(怒りなどの)感情は排泄物である。
排泄物を操作することできない。

とは
どう捉えるか、この部分は修正することができる
コントロールすることができる。
例えば、バカにされたを選ばなければ
怒りの感情は出てこない、ということを言っているのですね。

怒りそうになったとき
深呼吸をするといい、といわれています。

これは

深呼吸をするその間に
どう意味づけするかを冷静に選べばいい
ということなのかなと思いました。

怒りなどの感情は「排泄物」だと思えば
できればきれいなものを出したいと思えてきませんでしょうか?






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