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適応障害 体験談①

せっかくなので、自分が会社を辞めるきっかけとなった適応障害のことを記事にしてみます。

皆様、今日も一日お疲れさまでした。
記事を見つけてくれてありがとうございます。

結構長いので、何回かに分けて投稿を予定しております。

当時の症状

あれは、東京の西の方で仕事をしていた2008年9月~12月。
当時の現場の上司にパワハラまがいの言葉を言われたり、残業するのがあたりまえで休日出勤もあって、平日に深夜までやって帰れない時は仮眠室で数回眠ることもあった。今考えると逃げればよかったけれど、その勇気が自分にはない。当時の睡眠時間も3時間ほど。

当時の自分の体に現れた症状は以下になります。

・手が震える。
・周りの同僚(後輩も含めて)が怖くなる。上司は恐ろしい。
・自分自身がどんどんおかしくなっていくように感じる。
・休みになっても朝から不安に襲われる。
・何もしなくても涙が流れていたし笑えなくなる。
・電車が長時間乗れない。

上司からのきつい言葉


一番入社年月が長かったから、何とかしてこの状況をひっぱらないといけないというプレッシャーに押しつぶされていた。3年たてば一人前と言われていたのに3年たっても成長しない、技術者として育っていない、周りと比較されたし、その時に言われたことは絶対に許さない。
(上司にもある意味責任を抱えているのはあると思うが、その時の言葉はやっぱり許されない。)

でも、その時の音声が残っているかと言われたら残っていない。
だから今この場で文字に書いたとしても
「証拠はあるのか?」と言われてこちらの負け。

「同期は十分に成長しているのに、お前はどうなんだ?ちっとも成長していないじゃないか。」
「この仕事向いていないんじゃないの?」

疲労と精神的プレッシャーと人間不信で何もかも考えられない状態だった。
不甲斐なさを感じたし、自分が何で生きているのか何度も何度も問いかけたけれど、

「生きる価値ないな・・・・。」


上司にコテンパンに打ちのめされた日の帰り道を普段使わない路線で帰ってみた。線路のホームで待っているときにそのまま足を前に進めようとも考えたが、両親が悲しむだろうなと理性が上回ったのでそんなことできなかった。自殺したって億単位の損害賠償請求されるだけだ。

翌日、朝起き上がれなくなった。
その現場に行くことが怖く、これ以上未熟な自分をさらけ出すのが怖くなった。完全に病気。

さすがにこのままでは将来自分の生活にも影響を及ぼすと考え
心療内科を探す。

今思うと、想定外の行動

実はよくわからないが、この時自分自身の思考も狂っていて当時何故その考えに陥ったのか不明であるが、あることをしていた。

数件、心療内科を受診するために電話を掛けたが、すべて受け入れられない状態。電話をかけることも不安だった自分は

「都内には、心療内科を受けられるところがない」と安易に考えてしまい。

最寄り駅から1時間以上も離れた田舎の病院を受診。

冷静に考えれば、もっと探せばあるんじゃないのかと考えたが、心の余裕がないと恐ろしく遠い場所を選んでしまった。

でも、遠くても受診しないと自分がおかしくなることは感覚的にわかっていたので自分なりに必死だったと思う。

受診をして言われたのが

「あなたは適応障害です。もう少し遅れていたら鬱病になっていたと思います。」

この時、自分がヤバい状態一歩手前だったことを知る。
そして、会社を辞めようと決意するが、上司の策略で自己都合退職にさせられる。だたし、脳みそが機能していない自分には会社都合でも自己都合でもよく早くこの環境から離れることが最善だった。

今から思うと色々言えてしまうが、人間として瀕死の状態だったのでないものねだりはできない。

まとめ

辞める寸前までのお話を、書いてみました。
やっぱりこの話を書くと当時の悔しい思い出がよみがえりますが、その時の最善の頑張りだったと思います。

結局は、このタイミングで会社を辞めたのは正しいと思っています。
でも、当時はつらかった。

ネガティブな話になのでこのあたりにしておきます。
次は治療に当たった日々を書こうと思っております。

最後まで、よんでいただきありがとうございました。

ふぉあぐら







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