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ADHDとうつについての備忘録 02 -中枢性結合の弱さ-


【1】何に困っていたかがわかった

ADHDと診断を受ける前から、大小問わず色んなミスや失敗を重ねてきました。

誰でも初めはミスをするし、最初のうちは優しく教えてくれると思います。でも、同じようなミスを何度も繰り返すとどうでしょう?

呆れてなにも言わなくなる人、拒絶する人、受け入れてくれる人、何度もアドバイスをくれる人、色んな人に出会ってきましたが、共通しているのは「またか」「何度も同じこと言わせるな」「反省してるの?」「わざとやってるのか?」というリアクションです。

自分の反省の仕方が悪いのか?この仕事は自分には向いていないのか?と毎回思い、具体的な改善を試みます。もちろん、上達や改善が上手くいくこともあります。でも、腑に落ちないのです。

違う種類のミスをしたのに、相手から返ってくるリアクションは「またか」「何度も同じこと言わせるな」ということ。

そこで考えたのは、自分が「A」と「B」という違うミスをしている認識だったものが、他者から見ると「A」と「A’」という同じ系統のミスと認識してるんではないか?と。

そうであれば、前述のリアクションも理解できます。派生形の「A’」であれば、改善の難易度も低いと思うはずです。

そう思ったとき、どれだけ自分は人を落胆させてきたんだと眩暈がしました。

自分は長い事この感覚を言語化できませんでしたが、YouTubeでこの動画を見た時に腑に落ちました。

動画内では「中枢性結合=別々の情報をまとめて、応用が効く知識に変える」と紹介されています。

例えば、チワワもドーベルマンも「犬」という概念にまとめることで、個々の特徴を忘れていくと。でも、発達障害者は個々について覚えていけるが、それを「犬」という概念に応用するのが苦手だと(ASD傾向の説明だと思いますが、ADHDとASDはグラデーションはあれど合併していることの方が多いよう)。

そして「遂行機能障害=個別案件は対応できるが、応用が効かない=創造性が乏しい」とも言っています。

まさに自分が悩んでいたことに合致しました。

【2】終わりが無いことへの絶望

自分に何がおきているのかはわかりました。
でも、「A’」に気付けないから難しいんです。

であれば発想の転換で、(自分から見た)「B」や「C」を事前に潰していけば良いと思い実行してみると、良い結果がありました。自分の発見は間違ってなかったと思いました。

でも、同時に絶望的な気持ちにもなります。

他の人が「A→A’→A”」「2A→2A’→2A”」「B→B’→B”」のように色んなパラメータを積み上げていける中、自分は手当たり次第に見つけた「B」や「C」を潰しているとキリがないんです(これも他者から見ると「B」は「A’」に、「C」は「A”」に見えるかもしれません)。

【3】白黒思考で生活全てがギャンブルをしている気分

これをこじらせたせいで、何が良くて何が悪いのか判断ができなくなってきました。

例えば、よく聞くエピソードですが「わからないことがあったら何でも聞いて」と「それくらい自分で考えろ」の板挟みになって、どうしたら良いかわからない!というのは、社会人あるあるかと思います(この場合は「自分の意見を決めてから質問する」が正解に近いと思いますが)。

自分は、これに近いことが全ての判断で起こりました。自分の判断や行動全てが間違っていると感じる。でもたまに、なにも言われないことがある。

白か黒か、半か丁か、AかBか、自分なりに考えた2択のどちらかを相手にぶつける。場合によってはどちらも間違ってる。

違う例えをするなら、ストラックアウトのどれか一つが正解だと感じて、そこに狙いを定めてボールをぶつけにいく。もの凄く神経をすり減らす作業です。もちろん、どのパネルにも正解はないかもしれない。

感覚的には100×100のパネルが目の前に広がってる感じ

行動全てがギャンブルをしている気分になります。

でも、もちろんこんなのは間違ってるんですよね。

読んでくださってる方は「私はこう思ってるんだけど、あなたはどう思う?アドバイスをくれないか?」と、わからなければ人に聞くのが大事だろう?と考えてると思います。

でも、もしそれがこういったことだとどうでしょう?内容によっては確認すべきですが、判断の重要度がわからないのです。

「仕事のメールを送る際、念のため○○さんをCCに入れるべきか?」
→色んな関係を考慮して、この場合は入れない方が良いと普通の人は判断するかもしれない。

「何のメールから開封するか?」
→重要度?到着順?優先すべき基準がわからないので、とりあえず上から開いていく(そして重要ではないが重たい仕事を進めてしまう)。

「デスクの整理整頓をしたいが、今はしてはいけないのではないか?」
→その時その時の状況を臨機応変に考え、仕事が終わったあとにすると普通は判断するかもしれない。要は「何で今そんなことしてるんだ?」と言われると感じる。

「昼食に何を食べるか」
→普通はその日の気分や健康を考えることで自分の食べたいものを決めれば良い、でも自分は何を基準に判断していいかわからない。

「どうせ自分の判断は間違っているよ」と、自暴自棄のような気分になります。

一方で、正解はなんとなくわかってるような気持ちもあるんです。一つ一つを冷静に考えれば。

でも、その考えすら間違っていたら?と思うと…。

自分が自分を信用できないのは辛いのです。


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