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若いうちは出来るだけ笑われろ!あとで化けるから。

高校時代。私は病んでいた。
孤独だった。なにをしても面白くない。
生きる気力も無かった。

そんな私をとある先生の一言が救った。

「笑われろ。若いうちはできるだけ多く。」

今回は恩師に向けて書いてみる。

初めての試みだ。どうなるかはわからない。

でも、本気で書く。これだけは守る。


その先生の特徴を一つ挙げるとしたら・・。


その先生は、いつも笑われていた。

おまえ、顔面芋じゃん

【どん底の高1】

まずは私が病む前、
高校入学時の話をしよう。

高校はまあまあな進学校に行った。
進学率90%超え。旧帝大レベルの大学に
ポンポン生徒を送り出す学校だ。

入学して最初のクラスで酷い目に会った。

まず、担任の先生が適当だった。
たるんでいた。クラスをまともに管理しない

初めてのクラスで思い知らされたのは、
人間の序列は顔、運動神経、人脈、
3つで決まることだ。

少なくとも高校入学して1年間は、
その3つで自分の価値を判断された
そ俗に言うスクールカーストってやつだ。

スクールカースト(または学校カースト[1][2])は、学校において自然発生する生徒間の序列[3]、また、序列の近い生徒らが小集団を形成し、学校社会が階層化しているという仮説である[3]。上下関係が固定化することから、の原因になっていると考えられている[3]。

Wikipediaより

入学して3ヶ月過ごしたら、
クラスのスクールカーストはだいたい決まり始める。猛烈に早い。

決めるのは長く地元に居て、素行が悪くて有名なチャラい奴ら。広く名が通ってる。

顔と運動神経と人脈・・。

3つの要素をすべて持ち合わせない私は、
自然とクラスでは底辺の扱いとなった。

顔は地味。スタイルも悪くて、運動神経も皆無。人脈も友達がいないので皆無。

スクールカースト底辺に見事内定したのだ。

ちなみに私のような底辺は顔写真(盗撮)をクラスラインに連発される。呆れたものだ。

体育祭は雑用係、文化祭は持ち上げ役。
ゴミ回収が主な業務だ。

価値観というのは伝染するようだ。
クラスで「ブサイクは人権なし」が常識と
なってしまった。

これを定着させた陽キャたちのカリスマ性には脱帽する。

とうとう自分の居場所が無くなった私は、
研究部に入ることにした。

なぜなら、研究部はバリバリの文化部だし、
私と同じ「持たざるもの達」が集まると思ったからだ。

絶望が体を蝕む

結論から言うと、研究部に入部したことは
成功だ。後悔はしてない。


心理的衛生面が保てる場所を見つけることの重要性を実感した。

無事に1年間学校生活を送った
私は高校2年生になっていた。

だが、クラスでは相変わらず底辺のままだ。
陽キャ」と呼ばれる彼らはいまだにクラスを仕切っている。

次第に彼らは他の学年の先生達からも
一目置かれるようになり、

彼らの雑多な生徒たちをまとめる統率力を
目にした先生たちは、
将来大成する」と太鼓判を押した。

ますます彼らは調子に乗る。
調子に乗りはするのだが、
なぜか彼らは成績もトップクラスに良い。
(余談だが、彼らは後に旧帝大にホイホイ合格していった。)

そして、高2の秋に起こったある出来事が、私を絶望に至らしめる。

大学に行けなくなった。

親父があと数年で退職することになった。
かといって家に貯金は無い。

学費はもちろん、仕送りなんて不可能。
もし本当にいくのなら、学費200万プラス
生活費400万円の
計600万円の借金をしなければならない。

それにもう自分で働いて生きていくしか無くなった。子供を養える力はないというのだ。

本当に無理なんだろうな」と私は薄々感づいていたものの、

それでも納得できない私は父に直談判した。

親父「そんなに大学行きたいなら自分で稼いで行け!!

何言ってるんだ、親父。
600万貯金している頃には24歳だぞ。
大学卒業時には28歳。まず無理ではないか。

「ああ、終わったわ。ああっはははっっっははははは」

俺のことを散々バカにしたあいつらは、
大学に行くのに!

自分の唯一できることだったのに!

希望だったのに・・。

悔しい。悔しいが、どうにもできない。

そうか。結局そうなんだ。
この世の中は不平等なんだ。

生まれつき恵まれた人間。選ばれた人間だけが、称賛される「挑戦」というパックを買える。さすが資本主義だ。

不平等だけが、平等に与えられている。


その日から私の全身に蕁麻疹が浮かび上がるようになり、
寝れない夜をいくつも過ごした。

毎晩体が痒くなるので、爪で引っ掻くとミミズ腫れが浮かんでくる。まるで地図みたいに。更に掻くと皮膚から出血してきた。

まあ、良いさ。自分の体がどうなっても知ったことではない。

小・中・高と進むうちに気づいたんだ。

自分は生まれたから一生底辺の人生なんだって。

もう私は、人生について考えないことにした

「自分の価値を他人に委ねるな。」

高3になるまで、しばらく自暴自棄の生活をしていた。

成績もどんどん落ち続け、赤点を何回もとった。そしてますます馬鹿にされた。

馬鹿にバカにされる自分。
ただヘラヘラ笑うことしかできない自分。
それしか自分を守る手段のない自分。

大っきらいだ。


もういいや。どうにでもなれよ。

毎日そう思いながら吐きそうになりながら、学校へ通った。

そこから私を目覚ましてくれたのは、
部活の顧問だった。


この先生は見た目は山にこもった猿みたいな先生だ。誰もが認める「変人」。

ヨレヨレの白衣を毎日身にまとっていた。
口癖は、

「学校教育はダメだ。自主性を奪う。自分で考えて行動することこそが本当の教育だ。」

普通は学校の先生が学校教育の批判はしない。圧倒的少数派。

どちらかというと文句を言う生徒をなだめて学校のルールに従わせる人が多いのだ。

受験で結果を出してくれれば多少の問題行為は許される。

だが、この先生は生徒よりも何倍も、今の教育のあり方に文句を言っていた。それだけ教育について、熱心に考えていた。

「受験だけのことを考えていたら、将来苦労するぞ。」

この先生は実を言うと、勉強ができる優等生たちにも煙たがれていた。

休日は部活の大会やらイベントやらで様々な場所に連れて行ってくれた。時には研究者に会いに行った。

普通は部活だからといって、自費でここまではしてくれない。

どれだけ生徒に愚痴・文句・悪口を言われようとも、

まだ18歳の若造に期待してくれていた。

その先生らしくない先生の在り方に、私は
強く惹きつけられた。

先生」という枠組みに唾を吐きかけ、無視して自分の信条通りに生きる。誰の目も気にしない。やりたいからやる。それだけだ。

高2の冬。みんなも進路を決定していく頃。

嘲笑う夕焼け


そんな尊敬する先生にある日の放課後、
職員室に呼び出された。

「お前、進路はどうするか決めたのか?」
「就職することにしました。」
「ふーん。そうか・・。逃げたな。お前。」

正直意味がわからなかった。頭が真っ白になった。なんて最低な人だとも思った。

とうとう恩師にまで裏切られたか。笑えるな。ははは。これで全員に裏切られた。

耐えきれない私は、早足で職員室を後にした。

学校の帰り道、空に照らす美しい夕焼けを見て虚しくなる。

(なんだこの夕焼けは。俺をあざ笑って、
馬鹿にしてるのか?)

(大学受験するあいつらは、この夕焼けを
見てさぞ悦に浸ってるんだろうな。)

惨めだ。惨めすぎる。

だがこの経験は、今に生きている。

今なら分かる。先生の言ったことばの意味が。

先生は見抜いていたんだ。
本当は私は進学したいことを。

もっと自分の可能性を試したいことを。

なにも、就職する生徒全員に「逃げたな」なんて言ってる訳ではない。

本当に私を心配して言ってくれていたのだ。

今は、先生がこの言葉を言ってくれたことに
深く感謝している。

この人からは部活を通して、様々なことを学んだ。

この世は嘘の情報にまみれていること。学校の教育はどれも事実の表面しか教えてくれないこと。他人の中には、偏見で判断してくる人もいること。真の安定は自分で得るものであること。

そして、一番重要なのは、

自分の評価を他人に委ねてはいけない」ことだ。

はっきり言って、これはもっと早く教えてほしかった。

なぜなら、これが私が病んだ原因だからだ。

・・。私は自分が病んだ理由は、環境のせいだと思っていた。

大学に行けない環境。醜い顔。無さすぎる才能。悪い運動神経。自分の頭の悪さ。
低い身長。馬鹿にしてくる同級生。凡庸な両親。それを憎む自分の未熟さ。

周りの人間は全員敵だ。そう思っていた。

みんな自分を蹴落としてくる。価値を下げようとしてくる。鼻で笑ってくる。

・・。なんのことはない。
笑われれば良かったのだ。

「笑われるのは若い証拠だ。

若いうちにどんどん恥をかけ。」


逆に笑われない人間は何にも挑戦しない。
何者でもない存在だ。
笑われろ。笑われてこそ本物。

入部してあなたが最初に教えてくれたことだ。
あの時の私はてっきり冗談だと思っていた。アホな人だと思った。

でも今なら分かる。その通りだ。
誰かに尊敬される人は、誰かに笑われていた人だ。現に私が尊敬するあなたがそうだ。

笑ってくる奴らをねじ伏せて黙らせられないのなら、それで終わり。

自分はそこまでの人間だったということだ。

それぐらいストイックに自分に向き合わなければ、生きていけない。

生まれつうき「持っている奴ら」には勝てない。どれだけ努力した気になってても。

一生負け組。学生になっても、社会人になっても。老人になっても。死ぬときまで。

他力本願の負け犬は吠えて一生を終える。

高1の時にこれに気づいていれば、今頃私の人生も違っていた。確実に違っていた。

そんなことを言っていてもしょうがない。
もうあの時は過ぎ去ってたのだから。

自分の価値は自分で決める。
誰かの評価なんてアテにしない。

そう決心した。

自分の中で起きた変化。


「自分の価値を他人に委ねるな。」
「若いうちにどんどん恥をかけ。」

この2つの言葉が、
私の頭にこびりついていた。

本当にこの人生で自分は満足なのか?

このまま終わったら、先生に会わせる顔がないのでは?。

そう思った私は、ある決断をした。

「もう一度大学受験に挑戦する。」

これが今の私の目標だ。

私の学校で大学に入り直した例は無い。
大体の生徒は専門学校や大学に行って卒業し、就職する。

ある意味模範的な人生の歩み方だろう。

だが、その人達はそれまでだ。他の道は歩めない。
大学受験にある意味失敗した経験は、必ずどこかで生きるはず。

「活きねえよバーカ」

あいつらはきっとそう言うんだろうな。

でも、宝くじと一緒だ。
引いてみないと自分が外れてるかなんて、
わからない。誰になんと言われようとも、
もう一度だけ。自分にかける。

読者に伝えたいこと

まず、ここまで読んでくれたあなたに伝えたいことがある。

下手くそな文章を読んでくれて、
どうもありがとう。
本当にありがとう。


日本人特有の、謙虚さがどうとかはどうでも良いと思っている。

必ずまたどこかで会うときには、上手い文が書けているはずだ。そうなるように努力する。約束する。

私は既にお伝えしたように、ある先生にどん底から救ってくれた。

その先生は誰よりも正直な先生だ。あるときには毒舌を投げられることもある。
でも、本質をついた言葉を言ってくれた。

そして私も、いつかは誰かの心に響く言葉をかけられたらなと思う。

それは会話だけでなく、文章でもそうだ。

まだまだ18歳の私の人生は長い。
とてつもなく長い。
人生は長いが、なぜか人はなかなか変われない。

noteを書いている理由も実はここにある。

「自分の人生を実況する」

もっと正確に言えば、記録する。

記録したものを見返せば、
自分がどう変化していったのかは
おのずと分かるはずだ。

私が気づいていなかったら、ぜひあなたが気づかせてほしい。辛辣なことを言ってくれても良い。ぜひコメントしてくれ。

もしこの記事を気に入ってくれたら〜みたいのは、今の所は
書かない。とても優れた文章は書けた自信は無いからだ。

 読んでくれただけで、私はもう満足だ。

可能なら、これからもただ見守っていてほしい。私の恩師のように。

模合


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