見出し画像

泣くことについて

そうそう。ずっと書きたいと思っていたことがあって、だが時間ができた時には中々思い出せず、今、やっと思い出しました。

「泣く」ということについてです。


😭😂🥲😢


最近になって強く思うことがあります。
私は現在27歳の女ですが、3年前には全く思い至らなかった疑問です。
それは「泣く」ことと「感動」は関係ないのではないかということです。

例えば、
映画や小説の宣伝文句として「泣ける」「泣いた」ということばがよく使われています。
このことに違和感を覚えるのです。
上手く文章にできるかわからないのですが、挑戦してみますね。

例として挙げるのは大変申し訳ないのですが
 そして、バトンが云々〜という映画がありましたね。
大変人気な俳優さんが大勢出てらして、親子の話というので興味深く、とても期待して (と言っても、サブスクリプションの配信ですが) 鑑賞しました。

これが全くもってつまらない。
そもそも筋がありきたりで展開に期待が出来ない。登場人物への感情移入もできず、俳優の魅力で画が保てているから観られる、レベルでした。
あえて強調しておきますがこれらは私個人の感想で、好みの問題ですからね。

で、ここからが本題でして!
物語の終盤、クライマックス(であろう)シーンで
まー簡単に言うと、病気や死を扱っているんです。
惜別、もっと早く言ってよ、死んじゃいや!
そういう展開です。
正直かなり陳腐でしたし、あーあ、さとみ使ってこれかぁーとまで思った私でしたが
あろうことか、涙を!  それも結構大粒ボロボロ系の涙を!  流してしまったのです。

いやーめちゃくちゃ悔しかったですね。

で泣きながら今までで1番はっきりと
「心の動きと涙は関係ないのではないか」という考えが浮かびました。

ではなぜ私は、つまんねーと思っている映画で泣いてしまったのか。


「愛する人が死ぬ」
「会いたい人にもう会えなくなる」
「会えないと思われた人に会えた」
「子供が頑張っている」
「ものすんごい努力がかなり良い形で報われる」

上に列挙したのは、今思いつく「泣ける」系の出来事です。
私の場合、こういう筋書きやシチュエーションを俯瞰で見るとなぜか涙が湧いてきます。
ディズニーのラプンツェルで、死んでしまったと思われたユージーンが息を吹き返すとか、
はじめてのおつかいとか、
フォレストガンプが息子をバスに乗せる時とか。


こういうのって別に感動とか感激でもなんでもなくて、生理的にそうなるようにできてるんじゃないでしょうか? そうでないと私、すごい感動屋になってしまいます。

この考えに至るまで、泣ける映画・泣ける小説が大好きでしたし、泣けるモノは良いモノと思っていました。
でもねえー、そんなことない多分。
泣けたとしても、心に収納すべき物事かどうかは、別のところで判断して良いように思います。

そしてやっぱり、
「100パーセント泣ける!」
「全米が泣いた」
といった宣伝文句には辟易としてしまいます。
だってそんな物語、よくよく考えたら誰でも作れるもの。
いたいけ系主人公がいたいけに頑張って、頑張って頑張って思いを遂げればそりゃ泣けるわ。
もしくは、難病を隠して明るく過ごしてた人が、愛する人を残し突然失踪して、やっと見つけたら病気で息絶えだえ、とかやられたらそりゃ泣けるわ。

そもそも映画や小説で泣きたいか?笑
泣くかどうかは、作品の善し悪しに関係ない。

私別に、泣きたかったら自分の人生の恥ずかしいことや悲しいこと悔しいこと、考えて泣けるから。


結局何が言いたいかがハッキリしてきましたね。
泣けるだの泣いただので作品の善し悪しを判断する・オススメする奴の気がしれんわ、ということです。
なぜか逆ギレで終わってしまい申し訳ありません。
まいっか誰も読んでいないから。
関連して思い出したけど24時間テレビのことキライなのもこの気持ちと繋がっている気がします!


そして、バトンが云々のことを好きな人へ
ゴメンなさい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?