見出し画像

なぜポケモンは面白いのか?世界中で愛されるのか?/『ポケモン・ストーリー』を読んで

『ポケモン・ストーリー』という書籍を読みました。

この本は、初代ポケモンである『ポケットモンスター赤・緑』の企画書が提出されてから、2000年までのポケモンの歩みを詳細に綴った本です。

ゲームの企画意図開発エピソードを知れるとともに、マンガ連載、アニメ放送、ポケモンカードなど様々に展開されていくキャラクタービジネスの裏側も知ることができる、貴重な本です。
当時の関係会社、企画に至った経緯などに限らず、企画に対しての議論(なぜ賛成・反対か)や、さらには大まかな予算規模まで、かなり生々しい内容が記載されています。

ちなみに、この本は542ページあります。
めちゃくちゃ分厚いです。
それだけ当時の出来事が詳細に書かれています。


【読んだ理由】

初代ポケモンの企画からビジネスについて詳しく書かれた本ということで、
ゲーム開発で勉強になることはないかなという気持ちと、
ポケモンがどのような経緯で開発されて、どのように展開されていったのか、という純粋な興味からこの本を買って読んでみました。

ちなみにこの本は2000年初版で、もう絶版になっているようなので、中古で買いました。


【ポケモンの歴史】

これから本の内容に触れながら感想を述べるにあたって、
初代ポケモンの歴史について知らない方や記憶が曖昧な方もいらっしゃると思うので、簡単な年表を作成しました。

ポケモンの歴史

こう、年表にしてまとめてみると凄いですね。
2~3年という短期間の間に、ゲームから始まり、アニメ、カードゲーム、映画、アメリカ進出と激動の歴史があります。
あと実は、ゲームが発売されたのは1996年ですが、企画自体は1990年に提案されてて、発売までに6年の歳月がかかっているんです。
これについてはゲーム開発についての感想を書く時に触れたいと思います。


【ポケモンの関係者】

年表の次は、ポケモンの関係者図をお見せしておきます。

ポケモンのメディアミックスに関する座組

ポケモンは1996年のゲームソフト販売からこの本が出版された2000年まで、
アニメ、マンガ、グッズと多方面に畳み掛けるように展開していったIPであるため、関係会社、関係者が物凄く多いです。

しかも、どの会社がどこまでの権利を持っているかという話になると、さらに複雑になります。
ポケモン1つ取っても、ゲーム関連の権利、アニメ放映の権利、アニメキャラクターの商品化の権利、ポケモンカードに関する権利、と多岐に渡ります。

この本には、画像で記載した人以外にもたくさんの関係者が登場するのですが、主要な人物をピックアップして書きました。
ゲームソフトは、ゲームフリークの田尻氏、クリーチャーズの石原氏、任天堂の川口氏の3人がメインとなって生み出し、カードゲームはクリーチャーズの石原氏、アニメは小学館の久保氏が主な仕掛け人でした。


【ゲーム開発】

ポケモンの歴史と関係者についての前提知識が共有できたところで、さっそく本編と感想を書いていきたいと思います。

まずは、「ゲーム開発」というトピックに絞って、この本に書かれていたことの要約と、僕の感想を書きます。

▼企画~リリースまでの経緯

1990年に、ゲームフリークの田尻氏がゲームボーイの通信機能を活用した新しいゲームとして、『ポケットモンスター』の原型となる企画書を任天堂に提出します。

この時に同席していたのが、任天堂の川口氏と当時エイプという会社にいた石原氏でした。
(エイプは、コピーライターの糸井重里氏がゲームを作るために任天堂と立ち上げた会社でした。
ファミコンソフトの『MOTHER』が代表作。
スマブラに出てくる「ネス」や「リュカ」は『MOTHER』シリーズのキャラクターです。
企画が立ち上がった当時、石原氏はエイプに所属していました。
ポケモンの開発途中でクリーチャーズという会社を設立して独立し、今に至ります。)

この時すでにポケモンのコンセプトは固まっており、
そのコンセプトとは「ひとかたまりの目に見える情報の交換」でした。
当時、ゲームボーイの通信機能には、対戦ゲームの成績のデータを交換するというような使い方しかされず、
愛着が湧くような、目に見える形での物の交換がされるゲームはありませんでした。

そこで田尻氏が企画したのが、「モンスターがカプセル状の物に入って、それを友だち同士で交換しあう」というゲームでした。

画像3

画像は下記記事より

ちなみにこの時、ゲーム名は「カプセルモンスター」という名前でした。
しかし、「カプセル~」という名前にすでに商標権が付与されており、他の名前を使わざるを得なかったため、後に「ポケットモンスター」という名前に変更されました。

企画書が提出されて開発は1991年にスタートしたものの、1996年の発売まで、開発に約6年もの歳月を費やします。
開発着手当時、田尻氏が設立した会社ゲームフリークは、『クインティ』というアクションゲームを初めて制作しただけで、RPGを制作するノウハウがありませんでした。

ディレクターの田尻氏のイメージはあっても、それをゲームに落とし込むことが難しかったということです。
また、「交換したくなるようなものとはどんなものか?」という、とても本質的な問に対して方向性を定めることにもとても苦労しました。
さらには、『クインティ』制作直後にスタッフが3人を残してがらっと入れ替わったという会社の動きもあり、3年ほど開発が実質的にストップしてしまいました。

ポケモンの開発に時間がかかりそうだということと、その間に会社の資金繰りをする必要があったということから、ゲームフリークは1991年から1994年まで受託開発をいくつか行っていました。
例:『ヨッシーのたまご』(1991年発売)

受託開発をしつつ、手が空いたらポケモンをいじる、という調子でポケモンを開発していました。

時間がかかるとはいえ、いつまでもゲームを作っていられる訳ではありませんよね。
出資者である任天堂はポケモンの開発資金を回収する必要がありますが、催促しなかったのでしょうか?
任天堂側プロデューサーの川口氏は、ポケモンの「目に見える情報の交換」というコンセプトを高く評価していました。
そのため、なんとか完成させたいという思いからポケモンは完成するまで待った(社内的にも待ってもらうよう持ちかけた)そうです。

こうして約6年の歳月を経て、ついに1996年に『ポケットモンスター赤・緑』が発売されることとなりました。
ちなみにポケモンは発売当時、あまり注目を浴びなかったそうです。
ゲームボーイの通信機能を使った新しいゲームとはいえ、ゲームボーイが発売されてからすでに7年経過していました。
そして、1996年は『NINTENDO64』というスーパーファミコンの次世代機が発売される年でもあったため、メディアは『64』でいっぱいでした。
そんなこともあって、ポケモンは静かに発売されたのですが、「交換」という他のゲームにないコンセプトが体験できるゲームであること、後述するメディアミックスの展開が成功したこと、ミュウや放送事故などの予想していなかった事件によって知名度が一気に増したことで、ポケモンはブレイクしていきました。

▼学んだこと

①ポケモンの面白さの本質
1つ目に学んだことは、ポケモンというゲームの、面白さの本質を理解することができました。
ポケモンはよく、「収集、育成、対戦、交換」という特徴的なシステムが挙げられます。
しかし今回この本を読んで、これらは決して並列に並べられるものではないことがよくわかりました。

あくまで「交換」というコンセプトが頂点にあり、そのコンセプトを満たすシステム(交換を促すシステム)として、「図鑑コンプリートという収集」、「ポケモン同士の対戦」、「ポケモンの育成」、というシステムが構築されていったということです。

ポケモンのコンセプトと、それを実現するゲームシステム


②コンセプトは絶対にブラさない

2つ目に学んだことは、コンセプトは絶対にブラしちゃいけないということです。
そして、その「交換」というコンセプトを徹底してブラさずに、諦めずにまとめる根気が必要だということがひしひしと感じました。

コンテンツを作る人からすると「コンセプトをブラさない」というのは当たり前すぎることだとは思うのですが、
正直なところ、開発が難航すると
「このコンセプトは本当に面白いんだろうか・・・?」
「このコンセプトで上手くまとめられるだろうか・・・?」
「売れてくれるだろうか・・・?」
という不安と焦りが少なからず出てきます。

僕もゲームを開発する中で、なかなか「面白い」という感覚までたどり着けない時や、そもそものコンセプトに立ち返る議論が出た時などは、とても不安になります。
長い年月をかけて作ったのに「売れない」も辛いですが、作ったものが「面白くない」はもっと辛いです。
「これが面白い」と信じて形にしたのに、それが思い通りにならないですから。

当時のゲームフリークはRPGゲームの制作経験も無かった状況ですから、
「初めて作るジャンルで、かつまだ誰も知らない面白さに挑戦する」という、とてつもない挑戦だったと思います。
そして「なぜ交換したくなるのか?」、「どうすれば交換が面白くなるのか?」という超本質的な問に答えを出さなければなりません。
さらには開発もほぼストップしていたということですから、焦りもあったでしょう。

それでも、「交換」というコンセプトは決してブラさなかったからこそ、あのポケモンの形に落とし込むことができました
そんな困難や苦悩を乗り越えてポケモンは生まれたのです。

このことを知って、とても勇気が湧いてきました。
さらに感じたことは、コンセプトをブラさないことは大切という前提で、クオリティの高いコンセプトを作ることはとても大切だなと改めて思いました。
「目に見える情報の交換」というコンセプトがとても価値のあるコンセプトだったからこそ、任天堂は6年も待ってくれましたし、こうしてお客さんに20年以上も愛されています。


③ポケモンの面白さを生む構造

3つ目は、細かいゲームシステム部分での面白さの作り方です。
交換というコンセプトに基づき、「収集、育成、対戦」というシステムを構築したと書きましたが、
それらのシステム1つ1つを「面白い!」と思えるようにする仕組み作りについても非常に勉強になりました。

本にこんな一節がありました。

プロデューサーの石原氏が言うには、

「(中略)
野生のモンスターを弱らせて、ヒットポイント(HP=体力)を減らしていって、減ったところでボールを投げると、モンスターはあきらめて捕獲されてしまう。十分弱らせていないと、捕獲できないことも多いんです。
(中略)
そういう細かなやり取りがたくさんあるんです。あちらを立てればこちらが立たない、でもこちらが立たなければこういう利得があるといったところが、まさしくゲームバランスというものだと思うんですけれども、その遊びの仕組みのバランスが絶妙だなって思うんです。」

これを読んだ時に、ポケモンは確かに「あちらを立てればこちらが立たない」というジレンマが細かくたくさん詰め込まれているなぁと思いました。

ゲームには必ず、「あちらを立てればこちらが立たない」というジレンマを生む構造があります。
「ほのおタイプのポケモンを連れていくか、それともみずタイプのポケモンにするか・・・」や、
「今ここでキズぐすりを使うべきか、それとももう少し耐えるか・・・」といった具合に、所々でジレンマが生じます。
そのジレンマを乗り越えて行動を選択し、それによって勝利や目的を達成すれば、とても達成感があります。
この達成感が、「面白い!」や「楽しい!」につながります。

この本を読んで「たしかにポケモンにはたくさんのジレンマがあるぞ・・・!」と感じたので、ポケモンにはどのようなジレンマがあるのか、改めてポケモンを遊びながら主なジレンマをまとめてみました。

ポケモンの面白さ

注意深くポケモンのシステムを見ていくと、至る所で「あちらを立てればこちらが立たない」ジレンマの構造があることがわかります。

みなさんも「そうそう」と思える部分がたくさんあるのではないでしょうか?
このジレンマに頭を悩まされた人が何億人いることか・・・。

そして、どちらの行動を選択したとしても理不尽を感じることはあまりなく、負けたとしても「自分の選択が悪かったんだな」と納得できまると思います。
つまりそのジレンマはバランスが良いということですね。

僕たちがポケモンを面白い!と思う理由には、ポケモンの捕獲、バトル、わざ、アイテムと至る所でジレンマを生む構造になっているからだと学ぶことができました。


【キャラクタービジネス】

次は、ポケモンのキャラクタービジネスについて触れていきます。

ゲーム発売から数年をかけてたくさんのメディアでポケモンが展開されていきます。
どのようなメディアでポケモンが展開されていったか、ここで歴史と関係者についておさらいしておきましょう。

ポケモンの歴史

ポケモンのメディアミックスに関する座組

ゲーム開発に関しては、基本的にゲームフリーク、クリーチャーズ、任天堂の3社で完結していましたが、アニメやマンガというキャラクタービジネスとなると、関係会社は一気に増えていきました。

これを踏まえた上で、キャラクタービジネスについてこの本で書かれていたことのざっくりの要約と、感想を書いていきます。


▼キャラクタービジネスの展開

『ポケットモンスター赤・緑』の発売後、ポケモンは様々なメディアで展開されていきました。

・マンガ
・アニメ
・ポケモンカード
・映画
・ライセンス商品(玩具、食品・・・etc.)

『コロコロコミック』でポケモンのマンガが連載され、
ミュウ」のプレゼントや『ポケットモンスター青』が展開されていき、
『コロコロコミック』を出版している小学館に所属していた久保氏によりアニメが企画され、
クリーチャーズの石原氏のプロデュースによってポケモンカードが発売され、
アニメの映画も上映され、
ついにはアメリカへと進出し・・・
と、畳み掛けるように展開されていきました。

この本では、これらの企画に対して1つずつとても丁寧に経緯を追って書かれていました。
当時の企画者達の表情が思い浮かぶほどに、ポケモンビジネスの裏側がはっきりと見える内容になっていました。

このnote上でそのダイジェストを書くにも3000字くらいいきそうなので、ここでは超ざっくりの要約で終わらせたいと思います。

次の章で、キャラクタービジネスを展開する上で、特に大事だなと思った部分に絞って感想を交えながら書いていきます。

▼学んだこと

このキャラクタービジネスの章から学んだことは、
ポケモンというIP(intellectual property=知的財産)が世界中で受け入れられたのは、IPを守るために座組と会議体をしっかりと構築していたからだということです。

これらの成功を支えたのは、小学館の久保氏とクリーチャーズの石原氏によるものが大きいと思います。

座組と会議体の内容に触れながら、感想を書いていきます。


①メディアミックスを成功させるための座組

ゲームが発売されてアニメ化がされるまで、ポケモンのライセンス管理は任天堂が行っていました。
(ライセンス管理とは、ざっくり言うと、「ポケモンのこういう商品作りたい」という企業に対して、許諾するかどうかの判断や、その契約を取り決めるような業務です)

それを、小学館の久保氏は、アニメのスポンサーグループを編成するにあたって、ライセンスの統合整理を提案しました。

ライセンスの統合とは、以下の内容です。

1業種に対して、アニメのスポンサーになってくれる1社のみにポケモンのライセンスを付与する
・アニメスポンサーにならない会社に対してライセンスを取り上げる

これをやる目的は、クオリティの低いライセンス商品を出さないことと、
アニメから派生するイベントや映画などの仕掛けをやる時にお金が集まりやすいようにすることでした。

そして、このライセンス統合整理を、久保が所属していた小学館グループの小学館プロダクションが代行する、ということも提案しました。

任天堂がライセンス管理を行っていた当時、ゲームが売れていくと共にその業務量が混乱し始めていたそうです。
そのためビジネスチャンスも逃しており、これ以上混乱が続くとライセンス許諾業務がいいかげんになってしまい、キャラクターのイメージが壊れる商品も出かねない、という状況でした。

そのため、久保氏はポケモンのほとんどのライセンス窓口を小学館プロダクションに移し、ポケモンのライセンス商品のクオリティ管理を図ろうと提案したのです。

こうして、ライセンスの統合整理を行い、ポケモンの「応援団」となってくれるアニメのスポンサーグループを編成することに成功しました。
このライセンスの統合整理があったからこそ、色んな会社から粗悪なライセンス商品が出ることがなく、映画制作やイベント開催にもつながったのでした。

やりたい企画をちゃんと想定しておいて、その企画が通るための先を見通した座組の編成がとても大事だということが学べました。


②クオリティを高く維持するための努力

次は「版権会議」について触れます。
僕たちはポケモンパンやポケモンカレー、ポケモンのぬいぐるみなどのポケモン関連商品を目にしていますが、
ポケモンのイメージを悪くするような商品は特に思い当たらないと思います。

なぜかというと、すべての企画商品は「版権会議」という会議でチェックを受けていたからです。

版権会議は、小学館プロダクションが持っているライセンス(カードゲームと携帯用液晶技術を除くライセンス)の範囲における最高意思決定機関です。
メンバーは、原作者グループの任天堂、クリーチャーズ、ゲームフリークに、アニメ権利者の小学館プロダクション、テレビ東京、JR企画の6社です。(そのため総勢十数人の会議になったそうです。)

ここで、日本国内のイベント企画、出版企画、商品化企画のすべてに目を通して「YES,NO」の判断を下していました。

版権会議

これが、毎週行われていたのです。

特に、主催者であるクリーチャーズの石原氏は、当時提出されたすべての企画に目を通し、ディレクションをしてきたそうです。

大量に送られてくる企画品に対して、この会議で真摯に1つずつ判断を下すという丁寧な仕事をしてきたからこそ、
世の中にクオリティの高いポケモン商品を出し続けることができ、
僕たちのポケモンのイメージを崩すことなく、「愛されるポケモン」を作ることができたのです。

2000年当時はマーケットが世界に拡大し、毎週400アイテムを超える企画品が提出され、それを5~6時間かけて1つずつ見ていたそうです。

僕は、1つずつちゃんと見ていたのか!と驚いたとともに、
「IPを守る」ということは、地道に1つずつ企画を見て、
「ポケモンのファンにとってどのような意味を持つか」
「ポケモンのファンはどう感じてくれるか」
を何度も何度も考えて成立することなんだな、
とキャラクタービジネスで最も大切な部分を知ることができました。


まとめ

今や「ポケモン」という名前はゲームに限らず、一つの文化・現象とも呼ぶべき巨大なもので、その全体像を掴みづらいのですが、
この本を読んだことで、なぜ「ポケモン」は愛されるコンテンツになったのか、というポケモンの本質を理解することができました。

「目に見える情報の交換」というコンセプトを信じてゲームを完成させ、
関係者がポケモンのことを愛し、よく考えて、地道な作業をしてきたからこそ、「ポケモン」は世界へ羽ばたくことができた
んだなぁ・・・と感動しました。


おまけ

アニメ『ポケットモンスター』の、第1話の1番最初の演出をご存知でしょうか?

ポケモンのアニメが制作されるにあたって、企画者である田尻氏は、アニメの制作陣に1つだけ要望を出していました。

それは、「ポケモンを遊んでもらうこと」

ポケモンというゲームの面白さ、世界観を大切にして、それをアニメでも楽しんでもらいたいという想いがこの要望でした。

それにしっかり応えた制作陣が作ったのが、あのアニメの第1話の最初のシーンです。

画像9

画像10

画像11

画像12

画像13

アマゾン・プライム『ポケットモンスター』より

『ポケットモンスター赤・緑』を起動してBGMとともにすぐに流れてくる、あのシーンの再現だったのです。

アニメ制作陣がポケモンをしっかり遊び込んだからこそ、
「ゲームのあのポケモンの世界が、アニメで活き活きと再現される」というワクワクをアニメで十分に感じることができる演出になっています。

アニメ『ポケットモンスター』は現在アマゾン・プライムで視聴できるので、もし良かったら見てみてください。

この本を読んでポケモン関係者の努力を知った後に見るアニメは・・・泣けました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?