私の大学奮闘記4年次。 vol.2

編入を決めたのだ。

私は写真を選んだのに、なぜか、デザインの仲間を選んだ。

その件に関してはあとから、あーだこーだ言われる。

気にしないでほしい!

デザインコースのメンバーを紹介する!!

ひろの!
京都の呉服屋の子で小樽の子!
まや!
福岡出身で背の高い後にお化粧品会社に就職した子!
かりん!
帯広の子でやっちゃんと同じ高校のお金持ちの子!
とびせ!
私立高校のお嬢様!よくお寿司を食べている裕福な子!
ともちゃん!
留萌の子でイラストが上手いゆったり癒し系の子!
ゆかちゃん!
高校の後輩でデザインができるけっこう変わった子!

このメンバーで二年間を過ごすことになった!
年は1991年の子が多い!!

二年間では、未来を予測する講義や北大などとの連携のデザインの企画など、バラエティに富んだ!

なぜなら芸術学部美術学科としての一期生だったからである!


卒業式には、私は(美術学位)を取得して終わりになった!
ちなみにかりんが(デザイン学位)だと聞いた!学位が上でその下に、学士が出る話みたいです!

何個か後悔したこととして、
(玉の輿にのる!)と、連携授業で発言したこと。卒業式に(ボディコン)で参加したこと。
この二つが残念だったと後から感じる。キャラが根付いてしまい、なあなあとなった。

この学校時代の不思議な点としては、

美術学科の(メディア表現領域)という学歴が一人暮らしや実家暮らしの学生

もろとも(SNSで管理)

という世界に至る。

これは、2012-2014年のこと。

弘前大学にいた頃はTwitterなんてなかった。
のちにスマホが普及されて、2012年ごろには、誰もがiPhoneを持つ社会となる。


それができたのが、私が編入した後の話。

TwitterやFacebookで先生たちが(学生管理)をできるようになり、私生活も、学校にいるような感覚になった。それが私たちの(情報デザイン)のコミュニティであった。不思議と(メディア経歴)などが気になる社会であり、私は今もなお、メディア投稿を視野に入れて活動しているのである。


ありがとう。

次世代のデザイナーたち。
並びに担当の

ミヤッチたちには

感謝したい!


私たちの24時間は、情報デザインに費やした。22-24歳でかなり、勉強させてもらいました!
ありがとうございます!


2年間みんなで、過ごしたことは、かなりスピードが速くて、青森の田舎を渡ってきた私にとっては、ついていくのに一苦労でした。
札幌は、やっぱり都会で、心がついていくことができず、なかなか打ち解けれませんでした。
ですが、なんの事件もなく事が進んでいく仕事のできる女性たちが揃うのが(札幌)だと思っていたので、(恋愛重視)の弘前大学とは違うことを知ると少し、寂しいと思うのは、やっぱり(物理的に、家が遠い)社会に住む7人だったからであり、物理的に距離が遠いと、心理学的にも遠い存在であり、なかなか共生は難しいと感じていたのは、やっぱり(札幌の文化)であると思ったのであります。

でも、7人だれひとり欠けないで卒業できたことは、情報デザインで良かったと今もその時思っています。

ただし、私も四年間いれば、ほかの分野の面倒も見れたかもなと思うので、ストレートで卒業できなかった方も、悪くおもわず、みんな前向きなので、楽しかった時間のことを忘れずに、前向いて行きましょう!

ありがとう。年下の戦友たちよ!

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