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島田荘司「異邦の騎士」感想

最初にこの本を読んだのは20年以上前。「占星術殺人事件」のトリックに衝撃を受け、その後も同じような衝撃を求めてミステリを読み漁った。その中で「異邦の騎士」に出会ったが、正直あまり内容を覚えていない。ただ、求めていたようなミステリやトリックがないと感じたこと、そして世間の高評価に違和感を覚えたことは覚えている。当時は、物語に強く引きつけられる謎や秀逸なトリックを求めていたからだろう。当時はトリック至上主義で、技巧を懲らして度肝を抜かれるようなトリックをひたすら求めており人間ドラマや葛藤する主人公への共感といったものは求めていなかったのだろう。
そして自分はまだ子供でこの物語に描かれるような孤独感や過去の自分への責任、この物語で描かれるような結末の悲哀に共感するだけの受容性がなかったということなのかもしれない。

しかし、今読み返すと「異邦の騎士」の高評価も納得できる。
というか、滅茶苦茶面白くてやめ時を失って読んでしまった。
当時読んだ時とこんなにも感想が違うとは自分でも驚いた。

序盤では良子と主人公の生活が描かれ、主人公は良子と愛し合いながらも、もし自分に妻子がいたらという葛藤を常に抱えている。良子も同様であり、幸せであるほど葛藤が強くなる2人に共感しやすく、物語に引き込まれていく。そして中盤で明らかになる主人公の過去。記憶を失い、身内も友達もいない孤独な主人公が、良子の愛や新たな友人・御手洗潔との絆に温かさを感じる。

著者後書きで書かれるこの作品が作られるまでの経緯や、出版までに長く時間がかかった経緯なども非常に興味深い。この作品は書き上げられてから長らく世に出なかったらしい。島田荘司の第一作がこの作品だが世に出ることは無く、彼はもっと強い作品——すなわちトリックがあって人工性が高く驚きの多い作品がデビューには必要であると考え、この作品を世に出さなかったのだ。「異邦の騎士」が出たのは第1稿を書き上げてから9年後だという。

ここからネタバレ注意。

物語は一気に加速する。主人公の妻子が下劣な人間たちに陵辱され、その絶望の果てに死んだこと、自殺に見せかけられたこと、そして犯人たちはのうのうと暮らしていることが明らかになる。復讐対象はヤクザ関係者で、復讐は容易ではない。この設定が物語の緊張感を一層高める。
ここに至ってもうページをめくる手は止まらない。主人公にすっかり共感していた読者としては主人公の過去とその妻子が迎えた悲劇に苦しみ、犯人に対する復讐心に深く共感し、主人公の気持ちに乗っかって犯人達をぶちのめしたいとまで思うわけである。
物語論の観点から言えば、主人公の目的に対する障害が大きければ大きいほど、物語の盛り上がりは増す。ヤクザという強大で危険な敵がいることで、主人公の復讐の道のりが険しくなり、読者の興味と緊張感を引き立てるのだ。

復讐対象のうち一人はすでに殺されており、もう一人がまだ生きていると知った主人公は、復讐を続けようと決意する。しかし、それは良子との生活を捨てることでもあり、ここでも二つ目の葛藤が姿を現す。主人公が愛する者との平穏な生活を守るか、復讐の道を選ぶかという選択を迫られることで、物語にさらなる深みが加わる。

そして最後に意外な真実が明らかになる。主人公が自分だと思い込んでいた人物は別人の過去であり、主人公はその別人の復讐のために利用されていたのだ。偽りの過去と復讐心を植え付けられ、主人公は殺人計画を立ててしまったのだ。それを止めるのが御手洗潔である。この展開は、物語のどんでん返しとして機能し、読者に強い印象を与える。

悲しい結末だが、主人公が愛した良子は死んでしまう。しかし、不思議と嫌な気分にはならない。良子に騙されていたというマイナスの衝撃が、良子の手紙によって良子もまた深く主人公を愛していたというプラスに転じるからだ。気がついたときには最も大事なものを失っていたというアイロニーがあり、これには深く共感できる。長い人生を送れば誰しもが経験する、失って初めてその大切さに気づくという経験を描いている。

主人公は良子という大きなものを失ったが、新たな親友を手に入れた。御手洗潔シリーズを知っている読者なら、主人公と御手洗がその後どんな関係になるかがわかるだろう。最愛の人を失い、愛することを知った主人公は、人生を前に進める勇気を得た。そして、今後人生を通じて無二の親友となる人物を得たのだ。これが物語単体として見ても、喪失と癒やしという感動をもたらす理由だ。


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