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今日は彼氏とデートなので

相談は明日でもいいですか?

旭川のいじめ事件。被害生徒の母親からの相談に対して担任の女性教諭が発した返答である。

ならば「明日」何がなされたのだろうか。

表題の言葉だけがひとり歩きしてその先どうなったのか全く見えてこない。その「明日」についての記述はどこにもない。

あるのは先生は相談を受け付けなかったという当日のセンセーショナルな部分ばかり。

その時点から先が見えないから「デート先生」と揶揄され「この担任はけしからん」と叩く論調にばかりなるのだ。

これからデート、もしかしたら、母親からの相談について考える時間が必要だったのかもしれない。

信頼できる社会人男性に相談したかったのかもしれない。

デートの相手の彼氏とは同僚だったのか、異業種だったのか、婚約者だったのか果ては不倫相手だったのか、それはわからないが、何らかの助言を得ようとしていたのかもしれない。

食事の席かベッドの中か、仕事を離れた場に糸口を求めていたのかもしれない。

これらあくまで可能性にすぎないが、その翌日に関する言及がどこにもない不思議。

結局有耶無耶になったのか、母親が絶望したのか、果たしてその後は如何に。

担任教師に多くを求めすぎている節、確かに見受けられる。親からのさまざまな突き上げ、上司からの締め付け、社会からのバッシング等々。

そうした激務の中、社会人たる教師がデートすらしてはいけない理由などない。もちろん勤務放棄してはいけないのは言うまでもないが。

社会経験なる人材をという割には理想論で多くを求めすぎ、教師を縛りすぎる傾向が見受けられる。専門性の高い職種であり、大学での専門的な養成が必要なのは確か。

必要なのは人材確保。すべての教師に社会経験を求めるよりも民間企業退職者など指導員として常勤で配置するのも一案だろう。

その学校、教委に関して言いたいこと多々ある。また項を改めて書くことにする。

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