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どんな理由があろうがルールを守れ、クレームをするな

近年「どんな理由があろうがルールを守れ、クレームをするな」という規範が無限定に拡大して民主主義を毀損しているように思われるが、これは人びとが「他人がルールを守らない」「他人からクレームを受ける」ことによって大きなストレスを受けるような環境に晒されていることの反映なのかもしれない。

サービス業、とりわけ直接接客する職種は典型だろう。コンビニや居酒屋でのバイトを経験する人は多いが、仕事の中で日々そういう思いをしているのではないか。すると、とにかくルールを守ってくれ、クレーマーは勘弁してくれ、それを徹底するような法制度と罰則とテクノロジーを、となるのではないか。

当然ながらサービス業が悪いと言っているのではないしむしろ自然なことだと思うが、かなりの飛躍を承知で、社会のサービス業化と民主主義の関係というのは興味深い問題なのかもしれない。

一般に、生産性を現場の行動というミクロな水準で高めようとすると最適化のために冗長性を犠牲にすることになり、結果ノイズ耐性が低くなる。そしてノイズをもたらすものをすべて嫌悪するようになる。

生産性の向上は当然達成すべき課題だがそれにはマクロな水準に介入することが重要で、それを回避して安易にミクロな水準に拘泥するのみではさしたる効果は望めないばかりか「ノイズ嫌悪」だけが亢進する。

その意味では先の問題は「社会のサービス業化とミクロ水準での生産性向上圧力と民主主義の関係」としたほうが適切かもしれない。

これが第一次、第二次産業と何が違うかと言えば、サービス業におけるミクロ水準での生産性向上圧力は、人間関係とコミュニケーションの規格化、アルゴリズム化に帰着するという点である。「人間関係とコミュニケーションの規格化」は、いわゆる「熟議」的なものとは正反対のあり方をもたらす。

「嫌なら辞めろ」「自分で選んだんじゃないか」「〇〇に△△を持ち込むな」「文句があるなら自分でやれ」などといった反応はすべて、このメカニズムから派生する症状なのではないか。

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