見出し画像

プロジェクトの創造性の条件と、クライアントを「選ぶ」ということ

プロジェクトに関与する主たるプレイヤーとして、ディレクター、クリエイター、プロデューサー、クライアント、ステークホルダーが挙げられる。

プロジェクトの規模、予算、対象範囲、リソース等が大きくなればなるほど、より多くの、そして多様なステークホルダーがそこに関与することになる。つまり、クライアントのみならずこれらのステークホルダーの意向を無視してはプロジェクトを遂行できなくなる。

クライアントやステークホルダーはプロジェクトの創造性の価値や実現プロセスを必ずしも理解しない(だから「クライアント」という立場を選んでいるのである)。複数の異なる要求の間の両立可能性や交互作用についても理解しない。クライアントやステークホルダーの要求を丸呑みした場合、一般にはプロジェクトは失敗する。

一方で、クリエイターやディレクターの意向を最優先すべきで、クライアントやステークホルダーは口を挟むべきではない、とも一概には言えない。例えば個人が家を建てる場合、クライアントは通常はそこに住む住人であり、当然その意向が最大限反映されなければならない。

そして隣接する住居の居住者はステークホルダーであり、彼ら彼女らにとっては日照権やプライバシー、騒音等の問題は看過できないので、それらにも配慮する必要がある。いくら著名で実績のある建築家に設計を依頼したからと行って、その建築家の創造性を最優先、というわけにはいかないのは当然のことである。

それでもクリエイターやディレクターが創造性に固執するあまりクライアントやステークホルダーの要求を拒絶し続けた場合、プロジェクトは最悪の場合頓挫する。クリエイターやディレクターは解雇されるだろうし、そもそもそのような性質のプロジェクトはリソースを調達できなくなり、(100%個人のリソースで実施する場合を除いて)社会に存在しえなくなる。

このように、プロジェクトをクリエイター目線で見るか、クライアント、あるいはステークホルダー目線で見るかによって事態の捉え方が全く異なる。

ゆえにプロデューサーは、ディレクター、クリエイターの創造性の価値を適切に理解し、クライアントやステークホルダーの過度の干渉からそれを守ると同時に、クライアントやステークホルダーの要求の本質を見極め、要求の適切性や社会的重要性、リソースの拠出度等に応じてその実現を約束する役割を果たさなければならない。

クライアントが単なる一個人ではなく、社会的地位のある人間、あるいは市民を代表する人間である場合、その地位に就くことを許した組織や市民、共同体の水準によって、その人物の水準が決まることになる。

このような立場のクライアントの場合、様々な「ステークホルダー」の拠出する何らかのリソースによってその立場が実現しているわけであり、彼ら彼女らから寄せられる多種多様な要求を無視することはできない。したがってその意味でも、クライアントの振舞いはそれを支えるステークホルダーの水準の反映であると言える。

このような場合、クライアントの水準はつまるところ、社会全体の民度の反映であるとも言える(もちろん、これらの人物の「選ばれるしくみ」は概して既存の権力勾配を温存する方向に機能するので、「民度のみ」に帰責するのはフェアではないが)。

社会全体として、「このようなクライアントをそもそも社会的地位のある立場、市民を代表する立場に選ぶ」ときに適切な鑑識眼を持つことが重要であり、そのための「選ぶしくみ」を注意深くデザインしなければならない。

そして、「そのような立場に不適切な人材を適切な人材に入れ替える」ためには、人の入れ替えが可能であることが保証されていなければならないが、それに加えてそもそも選ぶ母集団となる十分な代替人材プールが存在しなければならない。

もし「人の入れ替え」だけで問題が解決しないのであれば(一般に殆どの場合それだけでは解決しない)、前述のクライアントが不適切な振る舞いをした時、何らかのフィードバックによってそれを修正しなければならない。現状で、どのようなフィードバックがどの程度機能しているか。それが不十分であれば問題状況は改善されないし、クライアントとの交渉も成立し難い。

つまりプロジェクトの創造性の水準は、単にクリエイターやディレクターの能力のみに帰属するのではなく、プロデューサーの能力と胆力はもとよりクライアントの価値観にも強く依存し、クライアントにリソースを提供する広範なプレイヤーの水準と、クライアントがその立場に選ばれるしくみに依存することになる。これを我々自身を含む社会全体の問題として捉える必要がある所以である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?