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2021年振り返っても仕方ないんだけど

仕事先での会話
「もう年末やね」
「信じられない」
「何にもしてない」
「まじで何もしてない」

(今年はみんな同じ会話をしたんじゃないだろうか??)

「したことと言ったら日本に帰っただけ。家族に会えたのが何よりもうれしかった。」
「そう言えば私もがんばったのは日本で父を見送ったくらいやな・・」

去年の日本でのお正月

その仕事先の仲間は、春頃、ビザの手続きで5年ぶりくらいに日本に帰っていた。私は夏に父が亡くなって日本に帰っていた。そんな世間話をしながら、ふと日本で父を見送ったのがかなりの大きな出来事だったんだなと気づいた。

コロナ禍でもいっぱい仕事をやった人、新境地を生み出した人はたくさんいるし、私の周りにもたくさんいる。でも私は何をしてたんだったかな?

2020年で仕事が一気になくなって、でも結構それがうれしかったりしてヨガのクラスを取りまくったり勉強しまくったりして、一種の浮遊状態だった気がする。子どもの学校はリモート、夫は失業でみんなずっと家にいた。2020年の終わりに父の容態が心配になって親子で日本へ帰省して、2021年になってNYに帰ってきて、その後くらいからあんまり記憶がない。中学生の子どものオンライン授業が全くうまくいかなくなって出席数や成績がガッタガタになったこととか、1年以上失業していた夫の精神状態がいつもちょっと緊張気味で、地下室の自分のコンピュータールームに籠りっきりになったことは憶えている。でも自分のことは、いつもヨガの練習をしていたことくらいしか憶えていない。あまり考えないようにしていたんだろうか。

7月、日本へ帰る二日前に父が亡くなってしまった。その二日前の明け方、父は病院から電話をしてきた。

いつも電話のボリュームを大にしておくからいつでも電話してきてと伝えていたので、リングトーンが鳴るとすぐに取った。子どもが寝ていたのでキッチンにまで行って窓辺で話す。「もうあかんから後のことはよろしく頼む」と父は言った。「もう長くないから」

こういう時、家族としてはなんと言っていいのかわからない。「そんなこと言わんとがんばり」とか「大丈夫やで。もうちょっとしたらよくなる。」などとはとても言えない。

でも「そうですか、わかりました」とも言えないのだ。いや、本当はそう言えばよかったのだけれど、言えなかった。最後だとわかっていたらそう言ったと思うが、何年も「もうあかん、もうあかん」と言いつつ何とかやってきた父に対して、ひょっとしたらまたという気持ちがこちら側にはあったのかもしれない。慌てて地球の裏側から帰ってきて全く元気だったということも何度かあったのだ。もしかしたら、まさか本当に父が死ぬとはどこかで思っていなかったのかもしれない。人間って自分勝手なものだなと思う。

とにかく間抜けな私が言えたのは「他のことは何も心配しなくていいからね」ということだった。「また明日電話するからね。日本にも土曜日に着くからね」と。あの時お父さんは最後の「さようなら」を言っていたのに。「今までありがとう」とか「がんばったね」とかどうして言わなかったんだろう。

子どもって本当に愚かだなあ。。

とにかく父の49日法要が終わって私はまたニューヨークに帰ってきた。すると、アニマル・シェルターから引き取った子犬がうちに来ていた。私が単身日本に里帰りしている間、夫と家に残された子どもはすごく寂しがっていたので私は日本からサウスカロライナのアニマル・シェルターに申し込んで子犬を引き取ることができたんだった。それまでも子どもはずっと犬が欲しい欲しいと言い続けてきたのだけど、夫が嫌がっていたこともあってなかなか踏ん切りがつかなかった。でもこの時はそんなこと言ってられないような気持ちになって、一人っ子の息子にどうしても子犬の家族を作ってあげたかった。引き渡しの時は夜中まで起きていて、地球の裏側から携帯メールで犬たちの運搬をしているスタッフと連絡を取り合い、無事に家に着いたという知らせを息子から受けた時は本当にホッとしたものだった。サウスカロライナからニューヨークまでは遠く、休みなしでも10〜12時間くらいかかるのではないだろうか?やはり都会の方がアダプトする人は多いので、月に1度保護されているたくさんの犬猫を連れてニューヨークやその近郊にやってくるらしい。

家に帰ると一生懸命子犬の面倒を見ている子どもの姿があった。たった6週間で大きく成長していた。

その後はずっと子犬の世話と、学校の対面授業が再開した子どものことでバタバタしていてあまり自分のことを考える余裕がなかったんだったな。でも現在、幸か不幸かオミクロン大流行のために子どもの学校はまたリモートに戻り、子犬は幾分落ち着いてきて(とりあえず部屋の中でおしっこをしたりすごい下痢になったりはしなくなった)これから私も自分のことをもう少し考えたりできるようになるだろう。父から教えてもらった焼き豚をおせち用に作りながら、「ついこないだまで電話をすればすぐにいろいろ作り方を教えてもらえたのにな」と思い涙する。

去年は一緒ににしんそばを食べて年越ししたのにな。

いつも日本が新年を迎える頃に私から電話して、NYが新年になる頃には向こうから電話がかかってきたのにな。

今年の年越しは何だかしみじみしてしまって、ゆく年くる年でも見ながら過ごしたいと思ったけれどまだどこにもアップされていないようだったので、京都の知恩寺で生配信された除夜の鐘の録画を見ながら過ごした。

降りしきる雪の中、鐘へと向かう僧侶たち

実は除夜の鐘を撞いている光景を見たことがなかった私にはわかっていなかったけれど、何人もの僧侶がたくさんの綱を引っ張って掛け声を掛け合いながら、鐘の真ん前にいるメインの僧侶が後ろ向きに飛び込んで倒れた勢いで鐘を撞くのである。びっくりした。それももちろん連打でバンバン叩くわけではなく、「ひとおーつ」などと言ってゆっくりと呼吸を合わせながら時間をとって108回も撞いていく。重労働である。

後ろ向きに飛ぶお坊さん
バターっと倒れ込んで鐘を撞く
集中力が研ぎ澄まされる。みんなの息を合わせて綱を引く

冷たい空気が肌に引き締まっていくような気持ちになった。私もちょっとずつ歩き始めなきゃな。

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