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私たちは革命を望んでいるのか

クリスマスになると、いつもこの詩を思い出す。
ニューヨークのリハビリテーション研究所の壁に掲げられた言葉。今年は特にこの詩が胸に沁みる。来年は大きな変革が訪れる。ある者にとってそれは試練であり、またある者にとってそれは解放でもある。だが、何が起きても自らの心にどのような原因を生み出すのかで、受け取る結果は変わるだろう。

僕の両親は敬虔なクリスチャンだったので、小さい頃はクリスマスは教会で過ごすことが多かった。大人になってもしばらくはクリスマスは教会で過ごしていたが、信仰を必要としなくなってからは、教会は研究対象に変わった。信仰が必要無くなったのは、自分の中で革命が起こる経験を経たからだ。

このクリスマスに、先日公開収録した「まなざしの革命放送」をVol.016「私たちは革命を望んでいるのか」としてアップしたが、せっかくなので革命の話の前に、ひとつ前の投稿でシェアした「病者の祈り」の詩を朗読をさせてもらった。本当の革命とは何かを共有するために良い詩だと感じたからだ。

クリスマスは自分にとって特別な時間ではなくなったが、一年に一度この詩を想い出す大切な節目となった。世界では分断がますます進んでいくが、もう一度大事なことを想い出したい。生きとし生ける全てのものが幸せでありますように。

リンクの「まなざしの革命放送」のVol.016で朗読させて頂きました

まなざしの革命放送
Vol.016
私たちは革命を望んでいるのか

世界は今大きな分断に満ちていて、まさに革命が起ころうとしています。しかし革命とは一体なんなのか、そして私たちは本当に社会の革命など望んでいるのでしょうか。この混乱した状況の中で、私たちにはどのような態度が必要なのかを少し考えてみました。
クリスマスの今日は冒頭にニューヨークリハビリテーション研究所の「病者の祈り」の朗読をして、先日に公開収録した革命の話をシェアします。

「病者の祈り」

大事を成そうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で
最も豊かに祝福されたのだ

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