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「因果の賜物」(2022年5月)

●5月2日/2th May
Instagramに書評を上げてくださっている方が。Amazonの書評も増え始めていてありがたい。出版より三ヶ月。そろそろ一気に拡まってくれればと願うが、こればかりは僕の手ではどうしようもない。こうやって皆さんに助けてもらうしかない。感謝。

●5月4日/4th May
2018年に大阪のアトリエ「b」を看取り、その後、美術館での作品制作や企業のモニュメント施設のデザインなどをしている時にパンデミックとなった。

本年度から所属が変わり経済学研究科から現代社会システムの環境社会共生というところに移り、研究室も場所が移動となる。これまでの風景異化研究、聖地研究、現代アート、ランドスケープデザインなど、糸を撚り合わせるように包括的に練り上げていく必要がある。

それに4年間で色々と思うところがあり、少し都心からは距離を置く必要性にも駆られている。なので、公私ともに新しい展開へと入っていく段階に来ているのだろう。

研究者というのはとかく頭で物事を考えがちで、身体のリアリティが薄い。そうなると抽象的思考は出来ても、極めて具体的なエビデンスを掴むのは難しくなる。僕自身は頭も使うが、身体で世界を考えたいタイプなので、そろそろ行動し始めようかと。

●5月5日/5th May
輪廻という考え方に立てば、人間の年齢などは意味をなさない。5歳の子供が成熟していて、80歳の大人でも未成熟なのがありうる世界だ。一直線ではなくスパイラルに進む時間軸で生命が動いているとすれば、平面的に年齢差に上下があるように見えても、側面から見ると心の成熟の深度が逆になることがある。

どんな生命であっても、誰もが生きる権利を平等に有している。その一方でどういう心の因果を積み重ねてきたのかによって成熟度は大きく異なる。年齢という単純な指標だけに還元すると見誤ることがあるのだろう。

●5月8日/8th May
二ヶ月前に生まれた子ヤギたちが大きくなってきたので、もうすぐもらわれていく。ヤギは寿命が短いが、健やかに安穏に生を全うしてくれればと願う。


●5月9日/9th May

8年前の投稿だが、ますます聞かなくなっている。成熟化社会というのも聞かなくなった。

●5月10日/10th May
学校から革命を。関西の社会科の先生たちと、これからの教育について対話した映像を引き続きシェアする。結局のところ長い目で見た時に何かを変えるチカラというのは教育しかないのだと思う。

中高の先生たちが子供たちのことを考えて、自分なりに教育を考えて対話するひたむきな様子。是非映像の中で見て感じて欲しい。

●5月14日/14th May
水の取り扱いを間違えていることが全ての問題の原因か。古来よりなぜ水が祀られてきたのか。正二十面体と正十二面体の互換性の中に水とエーテルの互換性を見る。


●5月18日/18th May

朝から嬉しいお知らせ。拙著「まなざしの革命」の一部を、高校生向けの教材『大学入学共通テスト演習 現代文』に使いたいとのお知らせが届く。出版して3ヶ月なのに、早くも取り上げて頂き心より感謝。

前著の「まなざしのデザイン」は数多くの入試問題に採用して頂いたのだが、「まなざしの革命」は今回が初めて。しかも採用されて箇所は「広告」の章の"偶然の仕掛け"というマニアックな節だった。これを機に関心持って読んでくれる高校生が増えれば嬉しい。



●5月19日/19th May

2016年にフィールドワークしたインドの聖地のランドスケープの映像記録をYouTubeに整理しながら、同時並行して「身の丈の科学」に向けて寺田寅彦の割れ目の科学を調べつつ文章を整理しているというデュアルモード。
それに加え、来年からのデザインサイエンス特論に向けて黄金比についてのスライドを作る作業が加わると、もう頭の中がデリーのパパールガンジのようなカオスになる。しかし、この手術台の上のコウモリ傘とミシンの出会いから何かが生まれると信じてはいる。

●5月20日/20th May
2016年にフィールドワークしたインドの映像記録「聖地のランドスケープ・インド編」をYouTubeに整理する。当時は「旅日誌」としてFacebookのみでの公開だったが、結構多くの方々がご覧になったようで聖地のフィールドワークの映像の中でも一番反響の大きかった旅。

パンデミックを経て改めて見ると、自由に行き来できたことがいかにありがたいのかというのと、フィールドワークになかなか行けないもどかしさがある。旅の記録なので大半は僕が歩いているだけの映像だが、その中にたまに現地で得た情報や考察したことを忘れないようにメモしていて、備忘録として機能している。まだ全部アップし切れていないが、ご関心ある方は是非。


●5月22日/22th May
大変お世話になっている「読書のすすめ」の清水店長が、拙著「まなざしの革命」を最初にご紹介下さっている。こういう本屋さんに見出されたことだけで、本を出して良かったと心から思える。

●5月23日/23th May
「まなざしの革命」が楽天ブックスの社会科学部門で第3位!しかも売り切れらしい。昨日の「むすび大学」のYouTubeで取り上げて頂いたおかげか。なので購入は是非「読書のすすめ」さんで!感謝感激雨霰。



●5月23日/23th May

ロックダウン中の上海で4/1から家にずっといる友人と話しているとこんな時間に。相変わらず食べ物の共同購入などで大変そうだが、電気や水のインフラもちゃんと来ているので思った以上に快適に過ごせているとのこと。しかし「それって裏を返すと命綱のインフラを人質に握られていることだけど、その自覚はある?」と問い直すと、ハッとしていた。日常的に政府を信用しない中国ですらその危機意識。日本は言わずもがなかもしれない。

●5月23日/23th May
江戸川区にある日本一と言われる書店「読書のすすめ」。拙著「まなざしの革命」をずっと推してくれているこの書店に、ようやく訪れることができた。カリスマ書店員の小川さんとお会いするのは二回目、清水店長とお会いするのは初めて。映像で見慣れているせいか、とても初めて会う感じがしない。

7月の書店イベントの打ち合わせに来たのだが、着いて早々から何人かの方々が待っており、いきなり質問攻めに。そのままディスカッションになだれ込む時間となり気がつけば夜になっていた。

この書店は僕が一番最初に革命旗を渡した書店だ。その旗がそのままで立てられていたどころか、拙著が10冊以上積まれており、さらに「まなざしのデザイン」も横に置いて頂いていた。先日投稿で紹介したカルロ・ロヴェッリの「世界は関係で出来ている」も横に置いて頂き、量子論との相性にもちゃんと目配せされている。

昨日に清水店長が出演された「むすび大学」のYouTubeで、「人生で読むべき日本の名著」として取り上げて頂いた後、どうやら注文が殺到しているらしく、また楽天ブックスでも第3位で売り切れになっていた。

お集まりの皆さんは、僕のYouTubeもたくさんご覧になられておられるようだった。かなりコアな質問まで頂き、もうイベントしなくてもいいんじゃないというくらい話尽くした感じ。7月にこの書店の一緒にイベントをするが、どんな感じになるのだろうか。読書のすすめさん、お集まりの皆さまに心より感謝。

●5月24日/24th May
自らの頭と感性で判断せずに、ルールだからという理由だけで行動する人々が中心の社会。そこではルールの理不尽さが問題になるのではなく、ルールからの逸脱が問題になる。だとすればルールをつくる側にまわって自分に都合の良いルールにする者ばかりになるのも無理はない。

●5月24日/24th May
「読書のすすめ」の小川さんの投稿です。楽天ブックスでの在庫切れといい、Amazonの在庫の減り方といい、清水店長の影響力の大きさに改めて驚く。読書のすすめには足向けて眠れないくらい感謝です。

●5月25日/25th May
2年前に上梓した拙著「ヒューマンスケールを超えて」の新聞書評。これからの時代を考える上で、世界がどの方向に進むべきかを宗教学者の鎌田東二先生と二人でディスカッションしました。「まなざしの革命」に響いた人には是非お読み頂ければと思います。

●5月27日/27th May
科学的学術的な研究が「論文」という形式に則って書かれていることで、そのクオリティが担保され、次の発展の礎になることは理解しているし、学生にもそのように伝えてきた。その一方で「御作法」ばかりが重視され、内容はさほど重要視されない状況にも限界を感じる。

そもそも引用せねば何も語れないはずもないが、オリジナリティを担保するためには過去の議論を踏まえねばならず、誰でも認める現象であっても客観的なエビデンスを提示せねば事物が確認が出来ないという枠組みに、いかほどの意味があるのかは疑問に思うこともある。

一度でも仏教を通り過ぎると、我々がエビデンスとしているものなど、根拠が薄弱な妄想であることを理解する。その上で御作法に則ることが時々バカらしくなることがある。

●5月28日/28th May
今の社会が病に満ちているのは、その根拠になっている科学が病んでいるからで、その科学が持つコスモロジーに狂いがあるからだ。それを理解せずに部分的に革命など起こしても意味はなく、革命を装いながら都合よく利用されるだけだろう。

コスモロジーとは我々の意識を束ねる大きな想像力でもある。現状のアカデミズムが持つ狂ったコスモロジーのままで新しい学問を立てても病が治るはずがない。若い頃はひょっとすれば芸術がそのコスモロジーを書き換えられるかもしれないと信じていたが、今の"アート"に何ら社会変革の期待は出来なくなった。

コスモロジーを指し示すはずの宗教もすっかり都合良く正当化の材料として取り込まれ、"スピリチュアル"なるもののもたらした惨憺たる現状に至っては絶望的だ。そんな状況をしっかりと直視することこそ今必要なことであり、社会が滅んでいくのを静かに見る勇気が必要にも思える。その崩壊は勇気さえ持てば案外絶望的なことではないのだろうと。

●5月29日/29th May
拙著「まなざしの革命」がまた楽天ブックスの社会科学で9位に入ったようだ。フェイクだらけのファクトフルネスをかろうじて抜いたみたいだが、革命の波は静かに広がっているのだろうか。

楽天ブックスでもAmazonでも「まなざしの革命」の在庫が順調に減ってきている。やはり「読書のすすめ」さんが強烈に推してくれていることが大きい。併せてリンクのYouTube映像やポッドキャストも聞いて頂ければ嬉しい。

ポッドキャストは近々再開しても良いかなと。ただ少し次のステージの準備があるのでもうちょい時間かかるか。

●5月30日/30th May
Motoya kondoくんと6年ぶりに京都で再会する。Yohei tanaka くんにご紹介頂いた彼はベルリンで活躍する舞踏家だが、チベット密教の研究もしている稀有なアーティスト。前回お会いした時から、ますます思考と表現に磨きがかかっているように思えた。

それもそのはず。この2年は滞在していたネパールでロックダウンになって、洞窟にこもって修行していたという。昨年頃から、お互いにそろそろ話したいねと声かけあってはいたが、ようやくタイミングが合って再会となる。3時間ほど話をしながら、この期間の互いの旅を語り合う。

彼のようなスタンスで舞踏をするパフォーマーは僕の知る限り日本ではあまり見かけない。踊ることや芸術表現することを目的にせず、またアイデンティティを拗らせているのでもなく、真理と解放を追求する方法として取り組むというスタンスは、僕自身が非常に共感するし、可能性を感じるところ。

テーラワーダ仏教とチベット密教との違いや、土方巽とロヴェッリの量子論、同席して対話に加わってくれたMai Uedaさんが触れたChim↑pom 展で現代アートに寄り道しながら、コロナ後の社会と政治の読み取りまで。多様に見えて一つのテーマを語っていると、あっという間にタイムアップになった。 

先日は陶芸家のMayu Uedaさんの野焼を見学しながら、作品制作における最終表現の決定プロセスについて話していたが、ここのところ失望しかけていた「アート」なるものにも、自己との対話と自然の感受の範囲において、まだまだ可能性が残されていると思い直す。

ベルリンと関西という離れた地だからこそ、真理の探究についてのそれぞれの旅は、こうして時々でも複眼的に確かめる必要がある。「まなざしの革命」でも書いたように、インターローカリズムをしっかりと実践せねばと刺激を頂いた。次はベルリンで会いたいものだ。

●5月31日/31th May
哲学することそのものよりも、どの哲学者が何を言っているのかを"知っていること"が重視されるのは、哲学ではなく哲学研究だ。自分が哲学するために哲学者が何を言っているのかを知るのは大事だが、それだけでは哲学したことにはならないのだろう。哲学者か哲学研究者かの間には断絶があるのかもしれない。

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