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メトロノーム

「うわ…懐かし」
俺は小学生の頃使っていた筆箱を手に取る。アニメキャラクターが描かれたボロボロの筆箱。角のプラスチック部分が欠けている。名前のところにはひらがなで自分名前が書いてある。マジックが掠れていたが辛うじて読めた。
「きったない字」と微笑みながら、ゴミ袋に突っ込む。
カーテンが旗めき、埃っぽい風が部屋を巡った。
物心ついた時から使い続けているこの部屋。ベッドも勉強机も昔から使い続けてきた。所々剥げたりしている。カラーボックスには児童本、漫画、CD、MD、壊れて使えないゲーム機、使えるかわからないCDコンポ。
「まだ動くかな」
コンセントにプラグを挿してみると、コンポからCDの回る音がした。どうやら入れっぱなしだったらしい。多少の感動を覚え、埃を軽く払い、スイッチを押す。

※『…どうせならもう ヘタクソな夢を描いていこうよ
どうせならもう ヘタクソで明るく愉快な愛のある夢を
「気取んなくていい かっこつけない方がおまえらしいよ」…』

俺はベッドに腰を下ろし、暫く黙って歌を聴いていた。
…ガサガサ…と、床に積み重なったゴミ袋が鳴る。ふと目をやると、家の愛猫と目が合う。体を擦り付けながら足元まで来ると膝に飛び乗ってきた。
「もうすっかりおばあちゃんだなー」と頭を撫でてやると喉を鳴らしながら丸くなった。四年も顔を出さなかったのに忘れないもんなんだな…体を摩ってやりながら、俺は自分の部屋を見回した。
机の上や開け放たれたクローゼットにはもう何も入っていない。後はカラーボックスの中身を整理したら終わりだ。
ゴミ袋から透けて、高校時代のジャージや部活で使っていたシューズ、クローゼットに仕舞われていたもう着れない服、落書きだらけの教科書やノート、丸くなった消しゴム、短い鉛筆、壊れたシャーペン、クシャクシャのテスト用紙が見える。
ここにある物はもう四年いらなかった物だから。ただ少し懐かしくなってセンチメンタルになってしまった。これからにはもういらない物達だ。

物思いに更けていると、猫が首上げて目を丸くした。耳をピンと立てている。誰かが来たのを察知したらしい。
開けっぱなしになっていた部屋の入り口から兄貴が顔を覗かせた。
「あーすげーゴミ」と、入り口を塞ぐように体を壁に預けながら言う。
「そうだな」
「お前が一人暮らししてからそのまんまだったから」
「埃だらけだよ」
「全部、捨てるのか?」
俺は頷いた。猫は兄貴を見たまま動かない。
兄貴は喫煙者だからか、猫から嫌われている。本人は気にしなくとも、猫は気にする。
「まあ、俺はこの家の人間じゃねぇし」
「まあ、そうだな」
「いい断捨離だよ。スッキリした」
「悪りぃな」と兄貴は視線を落とす。別に悪くなんてないんだけどな…。

この部屋は兄貴のものになる。正確には兄貴の息子のだ。兄貴は奥さんとアパート暮らしをしていたが、出産を気に実家に戻って来ることになった。二人で生計を立てていたため、生活が思うように回らなくなるからと兄貴は言う。確かにそうだろうし、子育ての面でも父母がいる実家にいた方が助けになるだろうと俺は思った。
「仕方ないよ。あ、ベッドとかは兄貴の方で処理してくれるんだろ?」
「ああ…」と言うと眉を寄せて黙ってしまった。
猫は緊張が解けたのか、大きく欠伸をして膝の上を飛び降り部屋から出て行こうとする。兄貴はそれに気づき道を開けると猫は駆け足で飛び出して行った。
「なあ、兄貴」
「おう」
「俺は続けるよ」
「…おう」
「バカかな?」
「バカだな」
「でもさ、続けたいんだよ」
「お父さんは…お前は辞めて帰ってくるって思ってるよ」
「だろうな」と、俺は口元が弛む。お父さんらしいや。
「分からないよ。苦しい思いして続けたいその意志が」だけどな…と兄貴は続けた。
「苦しくなったら頼れよ。辛くなったら帰って来いよ。嫌になったら話を聞いてやる。悲しくなったら飯食わしてやるから。…だから、一所懸命にやってこい」
兄貴の言葉に心が滲む。真面目で優しい彼らしい言葉。
俺は気恥ずかしくなり、視線落としながら応える。
「…おう」
言いたい事を言えたのか、何処か満足気な表情をした兄貴は、そのまま黙って踵を返し部屋から出て行った。

いつの間にか掛けていたCDはリピート再生されていた。解散したバンドの曲。初めて買ったCDだ。風の噂ではそれぞれが音楽活動を続けているらしい。音楽が生き甲斐で、音楽が生き方で、己の人生を歩んでいく。解散したから終わりではなかった。バンドは解散したが、彼らの人生は終わっていないのだ。

…片付けなきゃな、とカラーボックスの片付けを再開する。懐かしさに後ろ髪を引かれながら、一つ一つゴミ袋に入れていく。いい思い出も嫌な思い出も一つ一つ整理する。メトロノームの様に永遠と刻み続け、時には早く、また遅く、歩んできた人生を振り返る。そしてまた、ゆっくりと刻んで行けばいい。

まだ冷たい風が部屋の中を吹き抜ける。窓からは一筋の陽の光が差し入ってきた。空風は光の粒を巻き上げながら進んで行く。その流動は滞留する事はあれど流れ続けている。止まる事なく、これからを。

※Aqua Timez 2006年[風をあつめて]収録[決意の朝に]歌詞引用

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