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エロ本退治

 20年程前、私が小学校4年生頃のこと。
 3歳年下の幼馴染の男の子といつものように遊んでいると、人気のない駐車場の隅に、いつもはない何かがあった。


 近寄ってみると、一目でいかがわしいと分かる雑誌だった。

「うわっ、エロ本だ!!」と叫んで飛び退き、恐る恐る目を凝らすと結構な量が茂みに隠すように押し込まれていた。
 折角誰かが隠したものを、私達は容赦なく引っ張り出した。雑誌と漫画とDVDケースとビデオケースが出てきて、一つ残らず肌色だらけで女だらけだった。

 幼馴染は肌色だらけの足元を見て決然と言った。

「これは悪いものだ。退治しよう。武器を持ってくる」

 幼馴染は家まで走っていき、すぐにおもちゃの剣を持って来た。
 そして鬼の形相でエロ本を叩き破り、踏みつけ、肌色の紙面をボロボロにした。
 私も大きめの木の枝を拾い、エロ本退治に加勢した。

 エロ本をエロ本たらしめているものは“おっぱい”だ。
 エロ本退治はほぼ、おっぱい退治と読み替えられる。

 剥き出しになってしまっているおっぱいを探して識別不可能にすることこそが、エロ本退治における最重要事項トップ・プライオリティだ。従って、水着を着ているグラビア等はまだ罪が軽い。
 表情だとかシチュエーションだとかの細かいことはどうでもいいのだ。そういった繊細なエロの機微はエロ本を禁じられていない大人になってから理解すれば良い。
 小学生の私達にとってはおっぱいこそがエロであり、この駐車場における諸悪の根源だったのだ。

 ところで、私はその退治しているエロ本達をじっくり見たくてたまらなかった。

 エロ本なんて見たいに決まっているだろう、説明が要るだろうか?
 ボロボロにするだなんて本当は惜しい。綺麗な状態で持ち帰りたいくらいだ。

「エロ本を見つける→見たい」よりも「エロ本を見つける→退治しよう」の流れの方が、今、遥かに説明を求められているに違いない。

 しかし、言い出したのは幼馴染の方で私ではない。
 私は3歳年上の女子という立場上、彼の正義感に同調するほかになかったのだ。エロ本の存在を許さない小1男子に比べてエロ本を見たい小4女子はかなり立場が悪い。

 エロ本退治は何度か決行された。退治しても新しいエロ本が捨てられているのだ。

 徐々に私は、"真面目にエロ本を退治しているふりをしながら破れていないエロ本を見る技術"を習得していった。

 形の整ったプラスチックの剣に比べ、私の使っている木の枝はぐねぐねと曲がっていたり先が分かれていたりする。
 本のページに枝先を引っかけてなるだけ幼馴染から遠くへ飛ばし、それを追いかけてから幼馴染に背を向けた状態で本を叩く“ふり”をしながら目に焼き付けるのだ。叩くふりの合間に枝先でページをめくることも出来る。

 しかし、幼馴染が担当エリアを駆逐し終わると、こちらに加勢しに来る。
 背後から迫り来る足音を聞きながらぎりぎりまでおっぱいを脳に吸収し、幼馴染が射程圏内に入った瞬間、泣く泣く自らの手でおっぱいを始末しなければならなかった。

 実に惜しいが、これも彼にとっての“近所のお姉さん”であり続けるためだ。お姉さんである以上、せめて表面だけでも正しくあらねばならないのだ。


 そして12年が経つ。

 私達家族は引っ越すことになり、幼馴染一家との“ご近所さん”という関係が終わることとなった。


 引っ越し直前、大学4年の私と大学1年の幼馴染は18年間の思い出を5時間程語り合った。

『エンタの神様』から仕入れて余計な味付けをしたギャグで無限に笑っていた話や、地元の同じ中学や塾の変な先生の話や、酔っぱらったお互いの父親が子供顔負けの馬鹿っぷりを発揮していた話などなど。


 そして私はふと例の「エロ本退治」のことを思い出した。

「私が小4くらいの時に、エロ本退治したよねえ」と話し始めた。
 もう幼馴染も大学生で、お互い下ネタに非常に寛容だったこともあり、「実は私はエロ本が物凄く見たかったからエロ本退治に参加していたんだよね」と笑いながら打ち明けた。


 幼馴染は、「俺は真面目に退治していたのに」とショックを受けていた。


 非常に申し訳ないことをした。
 何年経とうが、彼の中ではあの時の悪者退治は紛れもなく悪者退治だったのだ。

「お互い18歳に達しているし、子供の頃のエロへの興味というのは格好のネタだろう」というくくりでエロ本退治のことを勝手に捉えていたが、彼にとってこの出来事は正義と悪の話だったのだ。彼にとってはそれが事実であり、何年経とうが変わらないのだ。
 当時共闘していたはずの私がおっぱいに魂を売った卑劣極まりない裏切り者だった事実など、彼は知る必要が無かったのだ。

 なのに私はその罪を平気でぺらぺらと喋り、なんなら「子供なら当然そうだろう」くらいの雰囲気で彼の正義を軽んじたのだ。お姉さんの資格剝奪だ。

 だが、本当に反省すべきはここからである。

 その2年ほど後、社会人の私は母にエロ本退治の話をした。
 幼馴染と私が最近電話をしたとかの流れで、相も変わらず軽率にぺらぺらと喋っていたのである。


 母は真顔で、「それ、お母さん達があの後片づけていたんだからね」と言った。


 こんなに情けないことがあるだろうか。ある者がいたら是非名乗り出て欲しい。

 私達はエロ本の問題となる部分が見えないように破壊したつもりだったが、そうなれば「元エロ本の紙くず」が生まれる。それをおもちゃの剣と木の枝で飛び散らかしまくったのだから、とんでもない迷惑である。
 人気がないとはいえ駐車場であり、当時車は少なかったがゼロではなかった気がする。


 先ほどの「お母さん達」というのは私の母と幼馴染の母のことである。

 母二人は私達のエロ本退治をどれくらい見ていたのだろうか。

 当時何も言われなかったのは、一体なぜなのだろうか。

 行動は間違っているものの幼馴染なりの正義感は伝わり、かつエロ本にもどう触れたらいいか分からず、「せめて大人として後始末だけはしよう」という結論になったのだろうか。


 それにしても、「小学生の我が子が散らかしたエロ本の残骸を掃除する母二人」の光景を思い浮かべると、あまりのやるせなさに一瞬で脳にシャッターが下りる。

 私が木の枝を駆使して無駄にエロ本を遠くへ飛ばしたせいで、被害は拡大していたことだろう。
 そしてそもそも私の正義感など見せかけであり、エロ本を盗み見るために退治するふりをしていたのだ。
 私の行動に関しては、一つも褒められるところが無い。

 まあ、そもそもはゴミ捨て場ではなく駐車場にエロ本を捨てた奴が悪いのだが、隅っこの茂みにまとめて隠してあったので迷惑の度合いはそれほどでもない。
 それを引っ張り出して散らかしたのだから、私達の方が悪質だったのではないか。いや、私だけが悪質ということでいい、是非そういうことにして欲しい。


 ちなみに当の幼馴染だが、私が母に話してからのオチを恐らく知らない。

「エロ本を見つける→退治しよう」を言い出した張本人として事情を聞きたかったのだが、これが理由で聞けなかった。

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