哲学対話「深い」の開催レポート
毎月第4土曜日にオンライン哲学対話を実施しています。今月は予定の関係で第3土曜日の7月15日(土)に開催しました。その際の様子をレポートします。
哲学対話の概要
哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。54回目となる今回のテーマは「深い」で、参加者は14名でした。
※以下、当日出た意見を、個人が特定されない範囲で紹介します。個人の具体的な体験などは省略した他、進行役の解釈・編集が入っていますのでご了承ください。またメモを見返して意味がよくわからない部分は省略しています。なお、ここに書かれていることはあくまでも発言の一部ですので、一部で全部を判断しないようお願い申し上げます。
チェックイン
音声確認の意味も含め、①ニックネーム、②今の気分、を一人ずつ話していただきました。
フリートーク
前半の30分くらいはまず、テーマの「深い」に関して思い浮かぶことを自由にお話していただきました。下記のような意見が出されました。
●以前一緒に話していた人に「深い話になってすみません」と言われたことがある。その人は何を持って深いと思ったのか?、なぜ謝るのか?気になった。
●自分は飲み会があまり好きではない。深い話ができないと思っている。じゃあ自分は深いってどういうことだと思っているのか?他の人の話を聞きながら考えたい。
●何かについて話しているときに何人かの人が「おもしろい」と言っていて、自分がそのおもしろさがわからないとき(意味がわからないとき)、「深いですね」と言ってしまう。
●海の深さのように、計算が可能な測れる深さがある一方で、人の内面のように計算が不可能な深さもある。ただ深さというのは、距離であり、時間×速さなので、そのフレームで人の内面を見てみると、時間は理解できるが速さが何にあたるのかがわからない。
●深い悲しみ、深い感動、深い理解などがあるなかで、共通しているのは「未知との遭遇」ではないか。自分が経験したことのないことを人は深いと思うのではないか。
●人の内面に関する深さって、測れるものなのか?人によって違うとしたら共通の単位がない。そのなかで共通項のようなものはあるのか?
●全体を俯瞰して見ている人は深めていくことができる。視野が広い。また感覚ではなくデータを基にして考えることで、ブレずに共通認識を持てるのではないか。
→広さと深さはどう関係している?
→たとえば業界横断的に見た方が本質的、根本的な問題解決につながることがある。
→データを基にするとなぜ深くなる?
→個人差のある感覚ではなく、共通の認識に基づいて議論を作っていけるから。
→データかどうかではなく、新しい発見があることが必要なのではないか。
→横断的な思考力や多面的にみる思考力というのは、深く考える上で重要な力。
●深さを考える上で垂直の縦軸と、広げるという意味での水平の横軸がある。俯瞰するという鳥の目とは逆に、どんどん範囲を狭めていく深めるもあるんじゃないか。
●話が深いとき、奥が深いというが、自分との距離だと思う。ただ情報量が増えるだけでは深くならない。深いというのは、関係ない話がつながったときの感覚のことをいうのではないか。当たり前だったものが違うものにつながるということが深いことなんじゃないか。
●数値として測れる深さではなく、深く感じるという人の気持ちを考えたとき、結論にいたるまでに時間や努力を要することを深いというのではないか。だとすると、深いというのは客観的に測定できるものではなく、主観的なもの。
問い出し&問い決め
フリートークの内容を踏まえて、後半深めていく問いを出し合いました。
似ている問いを合体させ、8つの問いの中から投票で選びました。
決選投票で選ばれたのは「深さを測るための要素は何か?」という問い。ここでいったん休憩をはさみました。
対話「深さを測るための要素は何か?」
後半は選ばれた問いを入り口にして対話を始めました。
まず、この問いには「深さは測れるということが前提として含まれているので、測れない深さがあると思う方はなぜそう思うかをぜひ教えてください」という点を確認してスタートしました。
●「測る」とはどういうことか?
・そもそも深さが測れるのか?というと、ここでいう測るは、数値化できる/できないという意味の測るということではない。前半の話では深いことを、深い/浅いなど比較可能なものとして扱っていた。だとしたら、何を基にして深いを測っているのかを知りたくてこの問いを出した。
→ここでいう「測る」に計算できないものも含まれるのだとしたら、「測るための要素」のなかに「深さを共感できる要素」という意味も含まれているという理解でよいか?
→「多くの人が共感できそうな要素」という意味を含んでいる。
→そもそも深さを測る必要があるのか?深さは個人的なものだから測ることに意味があるのか?
●深さには共通するコンテクストが必要なんじゃないか?
・自己内対話やカウンセリングのときは、自分だけの話なのでどんどん深くなっていっていいと思うが、相手がいるときは異なってくる。相手と共通のコンテクストを持っているかどうか。持っていないとしたら、自分にとっては深いことでも、相手にとっては深くないということはあり得る。
・お互い知らない話が知れて、重なっている部分が増えてくると深まっていく。共通のコンテクストとそのコンテクストの広がりが必要なんじゃないか。
・サークルや同好会など関心のある話題や目的が一緒だと、話が深まったり行動に移しやすい。場や関係性というのは深まるために重要なのではないか。
→あるコミュニティの仲間とは共通言語があり、重なって共有している部分が広いからより深められる。興味の重なりがないと深めていけない。深まるには順番がある。
・コンテクストの共有がある方が深まるという点についての反例として、家族とは話が深まらないけど異文化の人との方が深まることもある。深まるには新しい発見が必要なんじゃないか?
・初めて会う人とでも深い会話はできる。深めたいと思っているかどうか、それが一致しているかどうかが重要なのではないか。
・関係を深めるという点でいうと、言葉のやりとりではなく、共通の体験をすると深まる。
●受け手側の判断による深さもある
・発信者が当たり前のことだと思っていても、受け手が深さを感じることもある。たとえば専門知識を持っている人の話を一般の人は深いと思う傾向があるのではないか。その場合、ここでいう深さの要素は知識量ということになる。
●深いという判断はどうなされるのか?
・関係性があってもなくても、何かを深いと判断したのであれば、何によってそれを深いと判断したのか?
●深まることを邪魔するもの
深まるというのは、結論を出すこと。同じ方向を向いていると結論が出てきやすいが、それぞれが違う思いや考えを抱いていると深まることの邪魔をする。
●深まることの具体例
ある料理人が、鉄工所で働いている知人の話を聞いて、鉄の加工の技術を料理にも活かせるという発見をしたとしたら、深まったといえるのではないか。深まるというのは、違う分野との共通項を自分の分野に還元していくこと。
2時間の対話を終えて
今回も、放課後に入ってからもテーマに関連する発言が続きました。特に「なぜ日本では政治の話を避けたがるのか?」という話題から、関心の高低の話になりましたが、関心が高いからといって深くなるとは限らないという意見も出されました。
また、後半の対話についての違和感も出されました。整理をするとこんな感じだったのではないかと思います。
1)設定された問いについての回答が少なかった。
2)深い、深さ、深める、深まるということがごっちゃになって話されていた。同じことなのか、わけて考えた方がいいのか。
3)話が深まるために必要な前提の話が多くされていたが、「どのように深いという判断がされるか」についてはほとんど話されていなかった。
4)話の深さ、思考の深さ、感情の深さ、関係の深さ、理解の深さ、感動の深さ、罪の深さなど、「〇〇の深さ」の「〇〇」の部分を限定し、具体例に基づいて話した方が拡散しなかったのではないか。
放課後の時間には、このようなメタダイアローグがされることが多いですが、この振り返りが今後のよりよい哲学対話に繋がっていくと思っています。問いについての十分な吟味はできていなかったかもしれませんが、それでも今日は「深い」というテーマを考える上で軸となりそうな観点がいくつも出されたので、哲学対話終了後も引き続きそれぞれが考えを深めていくことにはつながったのではないかと思います。
今後の開催予定
最新の開催情報は下記Peatixページに掲載しています。
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