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陽の光が水面に煌めき、洗濯物が風にはためく日の日記

夜中の3時過ぎ、自分の叫び声で目が覚めた。夢の中で叫んだのか、本当に叫んだのかはわからないが、大声で叫んだという感覚が、身体にも耳にも残っている。

次に目が覚めたのは6:53で、起き上がる気力がわいて来ず、ベッドの中でスマホをいじる。そこまで興味があるわけでもないニュースをぽつぽつと見ていく。

そんな風に1時間近くをすごし、さすがに罪悪感が膨らんできて起き上がる。カーテンの隙間からすでに太陽の光が煌めいて見える。

リビングのカーテンと窓を開ける。ここ数日、11月だというのに汗ばむような暑い日が続いていて昨日はTシャツで寝たのだが、そんな生身の腕には少し肌寒いと感じられる空気が入ってきた。

自分の部屋に戻りカーテンと窓を開けると、ふわっとカーテンが部屋側に膨らんで、家の中を風が吹き抜ける。見下ろす位置にあるお宅で、初老のご夫婦が二人で洗濯物を干していた。物干しざおにパリッと干された何枚ものシーツやタオルが、風に吹かれて早送り映像のように揺れている。

洗濯日和だけれど風で飛ばされないようにしなくちゃなと思いながら、階下に行って洗濯機を回す。

部屋に戻って、洗濯機の残り時間に合わせて35分のキッチンタイマーをかける。それから今日のカードを引く。ペンタクルの8とカップ9の逆。「目の前のことに集中。欲に目がくらまないように」とメモする。

続けて呼吸法。先週から取り組む内容がちょっと複雑になった。該当箇所の本の解説を見ながら行うので、思考バリバリになるけどまあ感覚をつかむまではしょうがない。

複雑というのはやることがたくさんあるということではなく、今取り組んでいる自己洞察瞑想療法独特の言い回しがあって、その言葉の意味の理解にいちいちひっかかるので、同様の説明をしている仏教の本などを見返して、理解をブリッジしながら取り組んでいる。

呼吸法をしていると、窓の外から聞こえてくる音がいつもと違う。歩いて5分くらいの小高い公園を取り囲む木々を風が揺らす音が、波の音に聞こえてくるのだ。これは新鮮な発見だった。その音に集中していると、風の強い日に海のそばにいるような感覚になってくる。

そんなこんなでキッチンタイマーが鳴り、呼吸法を終える。洗濯物を干してから、観葉植物に水をやる。水やりの間隔を少し長くしたので、土の表面は完全に乾いていた。モンステラの葉が一枚黄色になっている。水切れかもしれない。何年経ってもいまだに適切な間隔がつかめない。

ふと、図書館の返却日っていつだっけ?と思い出して図書館のサイトにログインしてみると、まさに今日だった。9冊借りて、3週間延長して、結局1冊も読んでいないという……。パラパラ見ると読みたくなってしまうので、機械的に返してしまうことにする。

身支度をして本で重くなったリュックを背負い、家を出る。Audibleで『21 Lessons』を聴きながら歩く。途中、通り道にあるお寺に寄ってお参りをする。モミジは赤から緑へのグラデーションがよくわかる色づき具合だった。

本堂の傍に立つ大きなイチョウは、9割がた黄色の葉に。その大きな木の下で、ぎんなんを拾っているおじさんがいた。ヘッダの写真に使った竹林は、強い風に吹かれて、わっさんわっさんとモンスターのように揺れている。洗濯物にしろ、木々にしろ、風の動きを豊かに表している。

お参りを済ませてから駅に向かって歩いていると、道端に普段は目にしない1mを超える長さの「木の枝」が何本も落ちているのが目についた。風が強いからだろうか?

これは男の子がぜったい拾わずにはいられないやつだ。剣のようにしてぶんぶんとふりまわして、それをお母さんが「も~、やめてよ~、危ないでしょ~」というやつだ。「男の子たち!この道はよい木の枝がたくさん落ちてるよ!」と心の中で近所の男の子たちに教えてあげたくなった。

川を渡って図書館で本を返す。図書館の中を見てまわるとまた借りたくなってしまうし、どうせ読めないのだから、今日は見ないでそのまま図書館を出た。

駅の近くでどこかのお店に入って、モーニングを食べながらモーニングページを書いて、本を読んで帰ろうと思っていたのだが、時間は10時半になろうとしていた。気分的にはもうモーニングというよりランチに近い。さらに、とにかく風が強い。顔面に叩きつけるような風が吹いていて、干してきた洗濯物が飛んでいっちゃうんじゃないかと心配になった。

そこで、松のやで「まとめ買いファミリーシリーズ」のお弁当3つのセットを買って帰ることにした。とんかつ弁当、ささみかつ弁当、から揚げ弁当の3つで1,500円。安い。

帰り道、川面が電飾のようにキラキラと、太陽光を反射して光っていた。


河原には黄色い帽子をかぶった保育園児たちや、バーベキューの準備をしている家族連れがいて、小さい子たちが走ったり草むらの中にしゃがんで何かを見ていたりと、平和を絵にかいたような光景だった。

そんな様子を横目に見ながら、私はせっせと、もう大きくなった子供たちに揚げ物弁当を持って帰るために歩く。

家についたときは11時。歩数は5,500歩。ベランダの洗濯物は風に大きく揺れていたものの、飛んで行ってはいなかった。

お茶を淹れ、カネキチのきんぴらごぼう(レトルト)を小鉢に入れ、買ってきた中からから揚げ弁当を出して食べる。

Amazon primeで『カルト集団と過激な信仰』をの第2話を再生する。

昨日観た第1話は「ネクセウム」という自己啓発カルト集団で、第2話は「エホバの証人」。長年中心に近いところで活動したり、信仰をしてきたりした信者が、そのカルト集団の犯罪を告発するという内容だ。

こんな風に編集された映像を外側から見ている分には、「どうして人はそんなに盲目的に信じてしまうんだろう」と思ってしまう。だが、物事はそんなに簡単じゃないのだろう、きっと。2話に出てきた被害女性は、母も祖母も曽祖母も熱心な信者だったので、信仰するのが当たり前だったという。

自分に関していえば、自分のことを疑り深い人間だと思ってはいるが、だからこそ逆に、何か目の覚めるような納得のいく説明や、人生観がガラッと変わるような体験をして深く納得をしてしまうと、妄信してしまうことも起こりうると思っている。だからこういう映像は見ておいた方がいいと思ったわけで。

伝統的な宗教であろうと、新興宗教であろうと、カルトであろうと、哲学であろうと、化学であろうと、それ以外の何かしらであろうと、何かを絶対のものとするというところには陥らないようにしたいと改めて思う。

長男が起きてきたので入れ替わりで部屋に戻り、少し横になる。寝れるかな?と思ってたのはほんのわずかな時間で、しっかりすぐ寝落ちする。

目が覚めると13時半。PCに向かおうとしたら、ピンポーンとインターホンが鳴る。頼んでいたユヴァル・ノア・ハラリの『21 Lessons』が届いた。Audibleで聴いていても、なじみのない内容だとなかなか頭に残らないので、本と並行しようと思ったのだ。


本書の「はじめに」にこんな風に書かれている。

本書の大半では、自由主義の世界観と民主主義制度の欠点について論じる。それは私が、自由民主主義は比類のないほど多くの問題を抱えていると信じているからではなく、むしろ、現代社会の課題に取り組むためにこれまでに人間が開発した政治モデルのうちで最も出来が良く、融通が利くと考えているからだ。(中略)したがって、私たちの前途に待ち受ける新たな課題を詳しく考察するときには、自由民主主義の限界を理解し、その現状をどのように適応させたり改善したりできるかを探究する必要がある。

本書を貫く姿勢を書いている部分だが、これを音で聴いただけではどうにも頭に留まってくれない。視覚と聴覚どちらからも入力することで頭に留まり、そのことについて自分なりに考えてみることによって、より深い理解に達するといいのだが。

15時になったので本を読むのを中断して、コーヒーを淹れにキッチンに行く。長男がソファーに座って大学ラグビーを見ている。この3連休は、大相撲、大学ラグビー、駅伝などが行われるので、リビングのテレビの取り合いだ。

今日はインドネシアのトラジャカロシの豆を開けた。とたんによい香りが広がる。トラジャは以前買ってきたときに、長男が一番おいしいと言っていた種類の豆で、上品な苦みがある。そしてお値段もなかなか上品だ。


コーヒーを落としていると、ちょうど大相撲中継が始まった。今日のコーヒーのお供は、昨日買った文明堂のシナモンドーナツ。

普通のドーナツの味を想像して食べたら、中はほぼカステラで、「うまっ!」と思わず声に出して言ってしまった。カステラをもっとしっとりさせたような、非常においしいドーナツだった。これはぜひともリピートしたい。

大相撲は14日目とあって、十両も幕内も優勝争いが白熱している。個人的にはこのまま貴景勝関と翠富士関がそれぞれ優勝するのではと思っているが、優勝決定戦の可能性もそれぞれ残されている。明日の千秋楽は目が離せない。

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