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運命の輪がぐるぐる回る、紫色な日の日記

夜中に目が覚めたのだが、雨の音すごいなあと思っていたらすぐ寝てしまった。目が覚めると5:33。もう少し眠れそうだけど、大分寝た感じがするからもういいか。20分くらい、スマホを見ながらもぞもぞ。


起きてすぐPCの電源を入れる。起動を待っている間にカードを引くと、「運命の輪(逆)」と「死神」。2枚とも大アルカナというのは一瞬ドキッとする。しばらくカードを見るもこれは解釈に迷うなあと思いまついさんの講座ノートを見返す。「空回りしてもやるしかない。自分の希望の立て直しをはかる」とメモする。

いつものように窓を開け空気の入れ替え。雨はまだしとしとと降っている。お湯をわかしマグカップを持って部屋に戻る。雨の音を聞いているとよく眠れるということは、自分が生まれた日は雨だったのかなあとふと思う。過去の天気を調べると、生まれた時間帯は「曇り」だった。

土曜日は私にとって週の終わりでもあり、始まりでもある。週一のレトロスペクティブで1週間を振り返っていると、雨音が強くなってきた。ふき込まないよう窓を閉める。そして今日やることを確認。詰め込みすぎないように。

屋根に雨が激しく当たる音が、ご近所一帯の屋根から聞こえてくるので太鼓のコンサートのフィナーレのようだ。休日の6時台だというのに、車が行き来する音も結構聞こえてくる。

続けてモーニングページを書く。ペン先がノートの紙に触れる感触を、手を通して感じながら、書いている内容のどこで身体の反応が起こるかにも注意を向ける。ちょっともやっとしていたことが、書いているうちに落ち着くべきところに落ち着いたような気がする。

気づくともう7時を回っていた。散歩に行くか、どうしようかと窓を開けて外を見ると、まだ結構激しく降っている。あきらめよう。おなかもすいた。

キッチンに行き、お湯を沸かしながら冷蔵庫を見る。冷凍しておいた一膳分のご飯をレンジであたためつつ、塩サバを焼く。ポットに緑茶パック2つを入れお茶を作る。アマノフーズのお吸い物に乾燥わかめを入れてお湯を注ぐ。子持ちきくらげとしばづけを小皿によそう。今日はこれで朝ごはん。

食べながら、NHK100分de名著の『純粋理性批判』、2回目の放送を見る。
西研先生も、若松英輔さんに負けず劣らず説明がわかりやすく、笑顔でお話される方だ。

「1+1はなぜ2になるのか?」という問いから、カントは人間には共通の理解の枠組みがあると考えたという。そこから「アプリオリな総合判断」と「因果律」についての解説。最後に「純粋統覚」があるから、人は人生を1つのまとまりとして考えることができるという。

わかったような、わからないような? そのまま今度はテキストを読む。


もうこの時点で予定じゃないことをしているけど、今日は運命の輪に身を任せよう。朝からカントのことを考える日は、人生でもそうそうないだろう。

食後なので読みながらうとうとする。ピンポーンの音で目が覚めて、宅急便を受け取ったのが9:30。頭がぼーっとしている。facebookやnoteを少しうろうろした後、また続きを読む。

西研先生の文章は、本当にわかりやすい。ここでいうわかりやすいというのは、構造的で話の筋が飛ばずに展開されるということ。何について語られているか、迷子にならないように配慮されている。

2回目の放送の内容が的確にまとめられているところがあるので、引用しておこう。

カントは、どのように私たちの認識が成り立っているのかを考えました。「空間」や「時間」という感性の枠組みと、悟性が備える四種十二個のカテゴリーを示し、さらに、感性と悟性が結びつく(空間・時間とカテゴリーが結びつく)ことによって「ア・プリオリな総合判断」である四種八個の原則が成り立つことを示したのでした。

※「四種八個の原則」は放送では触れられていないが、テキストには載っている。

あらゆる認識のさいには主語たる「私は」が常に働いています。
私たちが人生を振り返ることができるのも、純粋統覚によって、さまざまな体験を「私のもの」として時系列にまとめているからです。
この統覚の働きがあるからこそ、「恒常的な自分がある」という自己の認識が生まれてきます。多様な認識をしながらも、「同じ私がある」と意識を私たちは保っています。こうして、統覚の働きは、対象認識と自己認識の両方につながっていることがわかります。

「純粋統覚」は仏教の「無我」の考え方と近いのか?異なるとしたらどこが異なる?
ここでいう「因果律」と仏教の「因縁生起」とは同じことを言っているのか?違うとしたらどこが違う?

と、将来の私へ問いのパスを回しておこう。
とここまでを入力したら10:30。

さて。
つくりおきをしようと思ったら、寝坊して起きてきた長男がキッチンで朝食の支度をしていて出鼻をくじかれる。

「ねえねえ、賞味期限が今日までの鶏むね肉でチャーシューつくってよ」と言ったら、「長ネギあんの?」と言われたので、雨の中、長ネギを買いに行くことにする。やっぱ少しは歩かないとね。

「あ、イチゴあったら買ってきてよ。最近売ってないんだよね」と言われ、

「もうシーズン終わったんじゃないの?イチゴは春でしょ」

「そうなんだ。じゃあなかったら、冷凍のミックスベリーでいいから」

「おけ」

というやり取りのあと、長靴をはきウインドブレーカーを羽織って、買ったものを入れるためのリュックを背負って家を出る。

雨はまだ強く降っていた。いつものスーパーではない方のスーパーへ向かう。途中、お寺に寄ってお参りをする。境内の紫陽花が目に鮮やかだ。雨に濡れ、色が深みを増している。特に、深い紫色の紫陽花にしばし見ほれてしまった。

草木の葉に降る雨粒が当たり、その水滴が葉を伝って下に落ちると、葉がピンと元の位置に戻る。それが絶え間なく起こっている。あちこちの葉の上を、目に見えない妖精が跳ね回っているようだ。

そんな、雨の日には当たり前に起こっているようなことにさえ、今まで目を向けてこなかったのだなあとちょっとしみじみする。お寺を経由したことで今まで通ったことのない近道も発見した。

腕がびしょびしょになりながらスーパーに到着。このスーパーは地元のとれたて野菜が豊富で安い。野菜を中心にカゴ一杯購入したら、リュックにびっちりになった。これから登山ですか?というくらい詰まったリュックを背負い、また歩いて帰る。県道を通る車が猛スピードで水しぶきをあげて通り過ぎる。歩道に向けてどれだけの水をまき散らしているか、運転している人はまったく気づいていないんだろうなあ……。

食材を冷蔵庫にしまい、買ってきたお惣菜の天ぷらをあっためて、乾麺のそばをゆでる。お昼を食べながら、Huluで山Pが出演している『THE HEAD』の第一話を見る。

事前情報がまったくないまま見たので、誰が誰でどういうジャンルのドラマなのかもまったくわからないものを見るのは久しぶりだった。逆にそういう方がのめり込むのかもしれない。一話を見終わって「早く続きが見たい!」状態になっている。山Pも、英語を相当頑張ったのだろうな。ネイティブとは言えないまでも、かなり流暢に話している。

長男がその間に鶏チャーシューと煮卵を作ってくれたので、夜は作らなくて大丈夫だ。あと野菜で何か副菜をつくればいい。


14:00からはライティング・マラソン。
これまで一人でやっていたものを、今日は試験的に2人でやってみた。

思っていた以上におもしろくて、気づいたことがたくさんあった。視界が広がる感じだ。気づきはすごく長くなりそうなのでまた改めて(というか書く体力が残っていない)。

2時間ずっと集中していたので、頭がぼーっとしている。集中した後は、甘いものじゃなく、バリバリするものが必要だ。ということで、ジャガビーを食べた。買っておいてよかった。顎を動かすと頭の中の整理が促進されるかもしれない。

その後、ベッドにごろんとしながらエッセイを何篇か読んだあと、もともと午前中に読もうと思っていた西研先生の『哲学は対話する』を読む。

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以前一部読んだものの、そのままになっていた。基本的な用語の定義など、大事なところに線を引いて、また明日続きを読むことにする。こちらは100分のテキストよりはやや難易度はあがるが、それでもわかりやすい。

冷房で少し冷えてしまったので、お風呂であったまろう。最近ずっとシャワーで済ませていたので、久しぶりだ。スマホからスピーカーにAmazon Musicの音楽を飛ばしながら湯舟に浸かっていると、西先生の本のように「文章をわかりやすくさせているものは何か?」という問いが浮かんできた。

それは間違いなく「構造」だ。どんな構造か? すぐに図式化できるような、論理的に書かれている構造だ。一番最初に大目的が書かれていて、その後こういう構造ですよと示されて、細部に入っても、必ず今ここですよ、この道に戻りますよと声をかけてくれるので、読んでいる人を迷子にさせない。

難しい言葉を使わないわけではない。難しい言葉には、必ずそれをかみ砕いた説明がついている。そしてそれを、語りかけるように書いてくれている。
わかりやすさは、そんな風に構造を明確に示し、かつ具体と抽象を行き来する論理的な文章が生む。「論理的」という言葉は誤解をまねきがちだが、本当はとても「やさしい」ことだ。

これまで登場したすべての解説者のテキストを読んだわけではないが、100分de名著のような、難しい本を一般の人でもなじみを持てるようにする番組にとって、西先生の書き方はお手本のようなテキストだと思う。そんなことを心がけて書きたいと思う。せめて人に伝える文章を書くときには。

お風呂からあがって顔のお手入れをし、缶ビールを飲みながら日記の続きを書き、今noteをアップしている。

さて、長男くんの鶏チャーシューをいただこう。
今日は脆弱な脳をだいぶ使った。夜中に目が覚めずにぐっすり眠れそうだ。

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