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対話型鑑賞と哲学対話#2 開催レポート

先日の記事にも書きましたが、現在実験的に様々な企画を並行して実施しています。

そのうちの1つが「対話型鑑賞と哲学対話」です。
前半は1つの作品を鑑賞し発見したことや考えたことを出し合います。
後半は、前半で出てきたやり取りをふまえて問いを出し合い、1つの問いを選んで哲学対話をしていきます。

「なぜ組み合わせるのか?」
「そこにどんな意図があるのか?」

と質問いただくことが多いのでご参加の方にはお伝えしていますが、先に体験していただいた方がいいような気もしていて、またどこかで書けたらと思います。

さて、今回は開催2回目のレポートです。

対話型鑑賞

鑑賞した作品はアメリカの画家エドワード・ホッパーの「ニューヨークの部屋」。1組の男女が室内にいる絵です。
男性が新聞を読んでいる。男性に背を向けている女性はアップライトのピアノに指を置いている。外は暗く夜のよう。2人は少しドレスアップをしている……。

そこから様々な発見や解釈が生まれました。
2人はどういう人物か、2人の関係性、内面で起こっていること、この前には何があったか、このあとどうなるか、この場所はどこか、空間にどんな特徴があるか、この絵を見ているのは誰か、など1枚の絵から物語が浮かびあがってくるようでした。

問い出し

40分程じっくり鑑賞をしたあとは、前半の話をふまえて問いを出し合いました。

1.「気まずさ」は、人との関係を深めるのに役立つのか
2. なんで気まずさを感じるのか?
3. 相手の気を引きたいときに効果的なやり方は?
4. 既視感とは、どのような認識なのか。
5. 自ら変えようとする気持ちを妨げるものは何か?
6. 関係における倦怠感はどのように扱えばよいのだろうか?

選ばれたのは「なんで気まずさを感じるのか?」という問いです。
絵を通してやり取りした内容から、興味深い哲学対話の問いが立ちました。

哲学対話

※個人が特定されない範囲で出された意見をご紹介します。メモをもとに書いているため、進行役の解釈が入っていますのでご了承ください。

なんで気まずさを感じるのか?

・例えばあまり親しくない人と帰り道の電車が偶然一緒になったとき、気まずくなる。何かしなきゃいけないと思う。

・哲学対話のようにテーマが決まっていたり、インタビューのように立場が決まっていると気まずくはならないが、突然雑談しなくちゃいけないとなると気まずいときがある。何かの役目をしなくちゃいけないと感じてしまうからか。

・別の種類の気まずさとして、自分のことをよく思ってなさそうな相手と話さなくてはいけないとき気まずさを感じる。

・前提としてコミュニケーションをうまくとらないといけないという強迫観念があるのではないか。

・ファミレスなどでカップルや家族が一緒にいるのに、お互いにスマホを見て勝手にしているシーンをよく見かけるが、そのくらい近い関係になると、コミュニケーションをとらなければというところから逃れられるのかも。

・以前、カップルとタクシーを相乗りしたが、コミュニケーション以前に、自分が場違いなんじゃないかという気まずさもある。

●気まずさを感じる理由として、相手の反応が気になるということ?

・相手の反応は確かに気になる。自分が歓迎されていないと思うと気まずい。

・気まずさに相手が必要だろうか?たとえば学食で一人でご飯を食べていると、相手はいないけど人の目は気になる。自分はここにいていいんだろうかと思う。

・新幹線やバスで知らない人と隣になったとき、何かする度に迷惑になるんじゃないかと思ってしまう。

・映画館でひじ掛けの奪い合いの気まずさもある。やなやつと思われたくなくてあきらめる。

・異性と1対1だと話が続かなくて気まずくなる。相手に好印象を抱いてもらいたいと思うと、話を盛り上げなくちゃ沈黙を埋めなくちゃと思ってしまう。

●そもそもなんで無言でいたらいけないのか?

・気まずさを乗り越えてコミュニケーションをとると、わからなかったことがわかって親しさにつながっていくからではないか。

・人は話してみないとわからない。やり取りのなかから宝物が見つかるかもしれない。バットはふらないとあたらない。

●よく知らない人との気まずさ以外に、親しい関係の人と気まずくなるときは、なぜ気まずくなるの?

・ケンカをして仲直りしたいけど、何から話せばいいかわからなかったり、相手から話してほしいとかいろいろ考えてしまうから。

・親しい人だと関係に甘えて境界線を越えて踏み込んでしまうことがある。別々の人間なのに一緒の感覚になってしまう。

・負けたくないと思ってひけなくなってしまうことがある。親しいからこそ折れたくないみたいな。自分の非を認めづらい。これも甘えかも。

・いつもの感じからズレると気まずくなるのではないか。例えばケンカはいつもの感じからズレまくるので気まずくなる。

・簡単に関係を切れない相手でも、正しい正しくないが違う。一致しないからつらいし、譲歩して一致させるのも違う。そのズレを戻そうとすると苦しくなる。

進行役コメント

普段の哲学対話は10名前後で行いますが、対話型鑑賞は6~8名と人数を少なくしています。私自身がまだ対話型鑑賞の進行役の経験が浅いということもありますが、6名くらいが一番お互いの話をじっくり聴けたなあという感覚になりやすいのではないかと思っているからです(あくまでも個人的な感覚ですが)。2日間かけて行うソクラティク・ダイアローグも、6~8名で行うことが多いです。ある程度多様な視点や意見が出されつつ、それぞれの考えを相互に理解していくという両方の側面を考えると、6~8名というのがちょうどいいのかもしれません。

一方、人数の多い哲学対話は、その分1人の発言量は相対的に少なくなるかもしれませんが、思いもしない考え方に触れられたり、ついつい考えてみたくなる問いが飛び出してきたりと、人数が多いことによるおもしろさもあります。

何のためにその場を行うのかを、主催や進行はしっかり考える必要がありそうです。

次回は6/15(木)です。あと数名募集中です!
平日午前ですが、ご都合つく方はぜひ!


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