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後楽園球場で、サヨナラホームランに興奮したこどもの日

子どもの頃というのは、特に深く考えることもなく、親が好きなものを好きになることが多い。プロ野球の巨人、もその一つだ。

覚えている限り、巨人戦がある日の家のテレビはナイター中継だったし、気づいたら自分も巨人ファンだった。生まれる前からすでに決まっていたんじゃないかというくらい、何の疑いもなくそう思っていた。今考えると、単純に接触回数が多かったからだと思うけれど。

町のあちこちにバッティングセンターがあり、よく父親に連れていったもらったし、休日には公園でキャッチボール。放課後の学校の校庭ではカラーバットとゴムボールでの野球か、サッカーボールで「キックベース」をして遊んでいた。

そして年に数回は、父に連れられて後楽園球場に巨人戦を観に行った。家では読売新聞をとっていたので、たまに外野席の入場券をもらえた。休日だけでなく、平日に学校から帰って行ったこともある。

野球観戦の醍醐味は、外野席での応援だ。だが、当時は(今も?)朝早くから行って並ばないとライトスタンドにはほぼ座れない。良くてセンター、だいたいレフトスタンドの相手チームの応援団の近くになってしまう。だが、当時は今よりも巨人ファンの数が圧倒的だったので、レフトスタンドの半分くらいまで、オレンジに染まっていることも多かった。

球場では、選手が米粒のようにしか見えなくても、生で試合を見られることがうれしかった。そしてそれ以上に、オレンジのメガホンを持って、応援団や他の観客達と一緒に大声を出して応援するというその行為が楽しかった。当時、自分のメガホンには油性マジックで「8」と「TATSUNORI」と自分で書いた。

試合中、雨が降ってきても全然平気だった。当時はもちろんまだドームじゃなかったから、どんなに土砂降りでもカッパを着て応援し続けた。

そんな風に何度も観に行った中で、特に印象に残っている日がある。何歳だったか忘れたけれど、子どもの日のことだ。球場に行く前に、後楽園ゆうえんちで遊んだ。

いくつかのアトラクションの中で特に覚えているのが、スカイフラワーだ。上までゆっくり上がっていってパラシュートで降りてくるだけだが、その昇り降りのときに、球場で練習している選手の様子が見えた。それだけでワクワクが止まらなくなってくる。

ゆうえんちで遊んだあと、外野席に入場するための列に並び、レフトスタンドに座った。

その日、巨人は負けていた。
最終回、(たしか)2アウト。
原辰徳が打席に入る。
スタンドの応援が一段と大きくなる。
私は「たつのり~!!!」と腹の底から叫ぶ。
スタンドのオレンジ集団の目がバッターボックスに注がれる。

「カーンッ」という音が響いた直後、ボールがレフトスタンドに飛び込んできた。
その瞬間、熱狂を通りこして、スタンド中が狂喜乱舞した。
かなりの時間喜んだなあと思ったあとでもまだ、万歳が続いていた。

今、調べてみると、これは1983年のことだった。
私にとってはこの日が、集団的熱狂の原体験となった。

そんな後楽園球場も、1987年に最後の試合が実施されたあと解体され、その後巨人のホームグラウンドは東京ドームに変わった。

自分の中の記憶も、後楽園球場よりは東京ドームでの記憶の方が多くなっている。しかも野球以外のことも含め、より多様にだ。

大学生の頃Jリーグが発足し、東京ドームで行われた何とかカップというサッカーの試合を観に行った。アルシンドの頭は、テレビで見るままのあの頭だった。

社会人になってからもたまにナイターを観に行った。野球場で飲むビールは何でおいしいんだろうねえと言いながらよく飲んだ。野球より、広い空間で飲むビールが目的だったんじゃないかというくらい。

長男の妊娠中は仕事をしていなかったので、巨人ファンの友達と何度もナイターを観に行った。朝から待ち合わせをして、炎天下の中「あっちー」といいながら地面にしいた敷き物に座りながら並ぶ。開場と同時にダッシュし、なるべくライトスタンドの公式応援団のそばに座って、応援を楽しんだ。

東京ドームでの一番の思い出は、2001年のK-1の決勝トーナメントだ。当時、長男は2歳になったばかり。妹にベビーシッターをお願いし、夫婦で試合を観に行った。

当時私は次男を妊娠中だった。次男が生まれたらしばらく出かけられなくなるだろうと、観に行ったのだった。

その年の10月、まだそこまで有名ではなかったマーク・ハントが敗者復活トーナメントでレイ・セフォーとノーガードで殴り合うという衝撃的な試合を見せた。

そして12月のその日、敗者復活枠から出場したマーク・ハントの1回戦の対戦相手は、当時全盛期ともいえるジェロム・レ・バンナ。おそらく会場の誰もが、バンナが勝つだろうと最初は思っていただろう。

だが、試合が始まってからのハントのタフな戦いぶりに、いつの間にか会場全体がハントを応援するような雰囲気になっていった。

そして、ハントがバンナをKOで倒した瞬間。

ゴォォォ~っという地鳴りのような振動とともに、聞いたこともないレベルの大歓声が一瞬で沸き起こった。龍が身体を突き抜けていったような、一度も体験したことのない感覚だった。

野球の逆転サヨナラホームランの瞬間よりも、競馬のダービーのゴールの瞬間よりも、自分が経験した中で最も熱量の高い、集団的熱狂だった。あれから19年経っているのに、いまだに飲みに行くとあのときすごかったねえと話をするくらいに、まだまだ興奮が残っている。

そして、そのときお腹の中にいた次男は、最近よくK-1の試合をyoutubeで見ているという。昔のK-1はほんとおもしろかったね、と言っている。

おそらく本人の記憶にはまったくないだろうけれど、彼の身体は、あの振動と大歓声を子宮の中で感じて、しっかり記憶しているのではないかとひそかに思っている。

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