見出し画像

哲学対話「選択」の開催レポート

毎月第4土曜日の定例のオンライン哲学対話に加えて、昨年11月からは進行役をお迎えして平日にも開催しています。1月18日(水)に開催した際の様子を、進行役のたからんさんがレポートしてくれました。

哲学対話の概要

哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。過去のテーマはこれまで「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」、「信じる」、「読む」、「書く」、「聴く」、「楽しさ」、「無駄」、「不安」、「記憶」、「努力」、「考える」、「協調」、「変化」、「労働」、「プレゼント」、「味わう」、「ハマる」、「共感」、「旅」、「役に立つ」、「自尊感情」、「ほめる」、「本音と建前」、「違和感」、「配慮と遠慮」、「成長」、「鈍感」、「ユーモア」、「沈黙」など。
38回目となる今回のテーマは「選択」で、参加者は10名でした。

※以下、当日出た意見を、個人が特定されない範囲で紹介します。進行役の解釈・編集が入っていますのでご了承ください。

◉チェックイン

音声確認の意味も含め、①ニックネーム、②今の気分、を一人ずつ話していただきました。

◉前半(フリートーク)

前半は、「選択」というテーマに関して思うことを出し合いました。
今回は、下記のような観点が出されました。

・選択は怖いと思っている。1つの可能性を選んで他を捨てる事。
例えば、今日は洗濯をしないという選択をしたら明日はやらなきゃいけない。明日の楽さを奪ってしまう。選択は何かを得る事でもあり、捨てる事でもある。

・コンビニで買い物している人の脳内を知りたくなる。
人は買い物かごを持って立ち止まっている時、何を考えているのか?
元々の自分の基準で、買う・買わないを決めているのか?
それとも、今の感情と戦っているのか?
この店に来たら買う、売っていなかったら買わない…など、システム通りの買い物をしようと思っているのか?

⇒システム通りのシステムっていうのは何のこと?
⇒その人それぞれのシステム。値段だとか、健康を意識したものとか。目的を持って店に入ったのか、それとも、棚の前に立った時の感情のままに買うのか。

・どれくらい、自分の意志で選択しているのだろう。売る側の戦略にまんまと乗っかってコントロールされているな…と感じる。コンビニの陳列やYouTube動画、ゲーム、広告。回転寿司も、タブレットに動画や期間限定メニューが流れて影響を受けている。自分で選んでいるようで、意外と選んでないのではと思う。

・最近よく自由について考える。選択もそれに似ていると思う。自分の意思で何かを決めて行動しているように見えるが、本当にこれは自分の意思なのか。進学や就職や結婚。本当に純粋な意思でどれだけ選択できているのか。
また、自由に選択できるとしたら、それは幸せという事になるのだろうか。

・選択という言葉について、意思がないもの・意識がないもの・考えてないもの、それらも、選択としていいのかどうか考えたい。選択という言葉は、意識がある対象について使うのではないか。意識がない対象については、選択という言葉はあてはまらないのでは?選択ではなくて結果。選択という言葉とは違うのではないか。意識しないことも、選択という風に言えるのか?

⇒意識しない事で選択に入れられがちな具体例は?
⇒コンビニの例のように意識しないで買ったもの。または、気づいたら店を出てしまっていた場合もそうだと思う。

・反射という事を考えた。右利きの人が多いから、コンビニは右側に売りたい物を置くらしい。意識せず、右側を取ってしまっている。昔、「何事も選択で人生が決まる」と聞いた。やはりそうだと思う。

・選択って楽しみ?苦しいもの?選択は、したくてたまらないという感情か、それとも選択をしなければいけないという側面なのか。もし両方あるとすれば、この違いは何だろう?

・したくてしょうがない選択と、したくない選択…両方ある。好きな物が2つあって、どちらか選ぶのは楽しい選択。イヤな事を選ばなければいけない事は苦しい選択。どちらでもない選択もある。どちらを選んでも葛藤が起きる。片方を選ぶと片方を選ばなかった事により次の側面が変わってくる。
やはり、人生は選択によって決まるという事もあるのでは。選ぶという事に対して自信が持てる人生はどういう人生だろう?どうやったら後悔のない選び方ができるだろう?

・「選択しない」行為自体も、選択だと思う。意識的に「選択しない」という行為を選ぶ行動。

・選択って感情なのか?行動だと思っている。その行動の原因として、「何々したい」「何々しなければならない」があるのでは。「無意識の行動」は、何かの背景が原因で、選択という行動をするのでは。そしてその結果で、感情が沸き起こってくるのではないか。
また、「人生は選択で決まる」という話が出たが、そうだろうか?自分が選択した事でも、その通りにいかない場合もあるのでは。周りの人達の選択や、環境・身体的能力など、色々な要素が絡み合って、人生はできているように思う。

⇒「選択イコール感情なのか」と思ったのはどこの話から?
⇒「したくてたまらないのか?しなければならないのか?」っていう話から。
⇒「する」っていう動詞を使っているので、行動と受け止めた。感情を元にする行動という事ではないか。
⇒選択は「行動」だと、今の話で理解できた。

・自分は、感情だと思う。「選択中」っていう言葉がある。選択中…何かを選択している途中。考えている途中。「決断」が行動では。選択は感情で「頭の中の事」っていう感じがする。

・選択には、意識も無意識も両方大切だと思う。「選択中」という言葉、初めて聞いた感じで面白いと思った。選択で大事かなと思うのは、直感。直感で選択しているが、結構信頼できる。直感っていうのは感情に近いのかもしれない。無意識の選択。例えば、カレー屋に行くつもりで歩いていたのに、途中でラーメンが食べたくなってラーメン屋に入る…みたいな感じ。

・無意識の選択。靴下を履く時に意識してないが、いつも右から履いている。これは無意識の選択なのか、それとも癖なのか?

◉問い決め

前半のフリートークのなかで出された問いかけや多くの人が言及していた論点のなかから、後半深めていく問いを決めました。

1 選択とクセの違いは何か? 
2 幸せな選択とは何か。 
3 自分の選択に影響している要因は何か? 
4 ひとはどれだけ自分の意思(のみ)で選択しているのだろうか? 
5 後悔のない選択は存在するか? 
6 選択をしないという選択とは何か? 
7 選択(中)と選択の結果とどう違うか 
8 選択にはどのような種類があるか? 

◉後半(対話)

投票で選ばれたのは、「自分の選択に影響している要因は何か?」という問い。この問いを入り口に対話をスタートしました。

・選択の要素としては、3つあるのでは。
論理的思考による選択
感情による選択
直感的な選択

直感っていうのは、選択する前に出来ているような行動パターン。

論理的思考による選択は、例えば、原発はあるべきかどうか。皆が考えておかないといけない。知識・思考で選択しなくてはならない事。

感情による選択。身内が重い病気で、手術を「する」「しない」の判断をしなくてはいけない時。真ん中はない。第三者だったら論理的思考で決断できるが、家族にとってはどうやっても感情に関わる選択になる。

・この3つ、「論理的・感情・直観」の関係はどうなっているのだろうか。
どれが支配的になっているのか?階層的になっているのか?
同等なのか?また、直感に影響を与えているものは何か?
論理的な考え方に影響を与えているものは何か?
感情に影響を与えているものは何か?
というところまで掘り下げてみたい。

・「ちょっかん」には、2種類ある。「直感」と「直観」
自分のイメージとしては、直感は、情緒的なもの。
直観は、将棋名人のような感じ。更に、脳を介す・介さないで4つに分かれるのでは。

・「自分の選択に影響している要因は何か?」という問いに関連して、同じ土俵で具体的に考えらえるような例があれば出して欲しい。それを元に、直感・感情・論理的と分けて考えたり、先ほど出た「3つの関係は?階層的なのか?影響を与えているのか?」という問いも考えられるのではないか。

・例1
夫が単身赴任したことにより、今まで自分に課してきたルールに縛られなくなった。夕食の時間、外食、就寝時間、エアコンの温度設定…フレキシブルに対応でき、選択肢が増え自由になった。

・例2
震災後に家を建て替えた。
選択肢は3つ有った。
①修繕 ②転居 ③建て替え
③を選択
論理…コスト面
感情…夫の故郷への思い。それを共に大切にしたいという感情。
直観…同居を見据えたタイミングへの直観。匂いみたいなもの。

・自分自身、選択で後悔ばかりしている。人類の選択でいうと、2000年前とか、「これは食べられるのかどうか」など大きな選択をしてきたと思う。選択には、社会的時代背景がものすごく影響している。自分の1番大きな選択は、結婚だった。今、多くの若者が結婚をしないという選択をしているのも、やはり社会的背景が大きいのでは。

⇒選択は、後悔ばかりだという事だが、後悔したのは「考え方そのもの」「結果」どちらだったのか?
⇒結果だった。
⇒結果が良ければ、どんな考え方であれ後悔はなかったという事なのか?
⇒そう思う。

・「選択をする」の中に、どういう結果になるかどうかは含まれるのか?含まれないのか?結果まで含んで、選択なのか?例えば、結果が出るのが50年後だとしたら、それは「選択」に含むのか?選択するというのは、一連のプロセスがあるのでは。「選択肢を並べる」「考える」…その中で、選択をした「瞬間」があると思う。選択をした後の事も、選択に含まれるのか?含まれないのか?という問いが浮かんでいる。

・最初は、そこまで考えていなかったが、結果も含めて選択だと思っている。答え合わせじゃないが、そこまで含めて選択なのかなと思う。

・誰もが選択をする時は、より心地よくなるよう、より幸せに近づくようにというのが前提。結果がどうなるかわからなくても、選択は「今、しなければ」という場合もある。うまくいかなかった時、自業自得というか、責任も負わなきゃいけない難しさもある。

・直感的な選択は、結果をあまり考えてない様な気がする。逆に、仕事で「絶対にこれだけの利益をあげなきゃいけない」という場合、結果を出すための選択をしていくことになる。私の感覚だと直感で選んだことは、結果が悪くてもあまり後悔しない感じがある。できるだけ直感に近づいて選択をできるような人生を選んでいけるといいのかなと思っている。バブルの頃、土地を売って欲しいという話があった。地元へのこだわりや売り手に関わらない方がいいという直感で断って良かったと思っている。論理的な中に、心とか直感みたいなものが入って選択ができるといいのかなという事を感じた。

◉進行役感想

皆さんの力をお借りして、とても深い対話になりました。
選択の要因について、印象的な3つのワード「論理・感情・直感」。また、「選択中」という、意識していなかった場面。それぞれ、新鮮な出会いでした。「選択中」に立ち止まり、3つのワードに照らし合わせた交通整理ができれば、後から調整可能な余白を残したり、気持ちに折り合いを付けたり、…ひょっとしたら役立つ事があるのでは?と思いました。「カレー屋に行くつもりが気づいたらラーメン屋」という直感のお話も、「あるある♪」と共感。楽しい対話の時間でした。ありがとうございました。

今後の開催予定

最新の開催情報は下記ページに掲載しています。

#対話
#問い
#哲学対話
#選択
#哲学カフェ
#オンライン哲学対話
#開催レポート

サポートいただけたら跳ねて喜びます!そしてその分は、喜びの連鎖が続くように他のクリエイターのサポートに使わせていただきます!