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「ボンドでくっついてしまった思考」から「夢見がちな思考」への帰還

my mental development 


特に何も起きたわけではないのに年に数回落ちる。
冬は絶対に一回落ちる、春が来るまで。

大学生の時に気づいて4年ぐらい経った。何回も乗り越えてきたけど、それはあくまで短期的な治療みたいなもの。

一昨年、本当に落ちて落ちた。人生で泣くという行為は物理的に痛い時だけしか泣かなかったのに、過去の年数分いっぱいいっぱい泣いてた。それは原因が明確なものだったから解決策を見つけて、行動に移した。それでも、その前から続く”落ちる”ってのは続いてて、でも、人間ってそういうものなのかなって、勝手に結論づけてた。

でも、先週(1月末)、長年の友達(メンタル面のアドバイスくれるお姉ちゃんみたいな人)と、国を跨いだ電話をして、気づいたの!

「自分の中の人間が私を苦しめてたの!」

いろんな人の価値観に触れて成長して、それがいつの間にか私のものになって、その価値観で自分を縛ってた。

子供の頃って、「上の者には従え」みたいな感じで、身近な大人はみんな先生。
「これは、ダメなことだからダメ。そして理由は、こうなの。」って、ただただ教えられたことを鵜呑みにしていた。きっと子供だからそうすることしかできなかった。良い子にもなりたかったし。

そんな感じで世の中のことを受け取った私は、大人になって、自分の中にたくさんの矛盾が生まれていた。でも、「教えられたことが正しい」って「自分の気持ち」を押し殺していた。それに気づき始めたのは、新卒で入社した時。
子供と関わってやりがいがある仕事。でも、苦しくなっていった。それは、家族とか周りから見て、「良い仕事」で、「安定」で、って選んでしまったからだと思う。周りの人のために選んだって、誰の人生だよ!笑

仕事を選んだのは、自分だからもちろん自分の責任。
問題なのは、物事を判断するときに自分の心に従ってないってこと。
頭で考えすぎてる。
「社会的には〜、(誰々の)の面目的に〜。」って。

ふと、(読者感想文の度に読んできた)「星の王子様」の言葉を思い出した。

ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。

『星の王子さま』(サン=テグジュペリ/著 河野万里子/訳 新潮文庫)

一昨年、車で高速道路をビュンビュン走ってた。そして、去年、一回降りて、一般道を走り始めたんだ。

高速道路を降りた時点から、「世間の目」っていうのを気にしないように生きてきたんだけど、どうも上手く切り離せなくて、苦しんでた。
で、また、「問題」から目を背け始めていた・・・。

そんな時に、ドイツに来た。急に時間の流れがスローダウンして、一般道をスピードを落として走っていた。

環境の変化で、色々アップダウンあって、しかも思った以上に続いた。そして、この間、ガス欠になって止まってしまった・・・。

そこで、その友達に電話して、たくさん学んだ。
価値観の話をしたときに、「あれ?私のシステムに違和感感じる・・・」というかバグを見つけた。
それは、自分が、教えられた価値観が善人的で正しいと思っていて、それを密かに他の人に押し付けていたということ。

それに気づいた時に、今までいろんな価値観を受け入れるみたいなスタンスで生きてきたのに、「自分の価値観が正しい」って押し付けてたのかって、「WHAAAAAAT!!」って感じだった。
人生で大きな発見をその友達が見つけるのを手助けしてくれた。

そこから、自分で整理して、気持ちの持ちようがだいぶ楽になったし、世の中にはいろんな価値観の人がいて、誰が正しいのかを問うんじゃなくて、ただそれで良いっていう感じになった。
(今は、椅子の背もたれに持たれてリラックスしている感じ〜)

自分の意見を持つというか、ちゃんと気づいてあげる。
そして、それを人に押し付けない。
相手が違う意見なら、「そうなんだね!」

それだけ。

「意見が違うこと=悪いこと」
みたいにも考えてたから、相手に合わせてしまってた!円滑になるようにって。

でも、そんなの体に悪い食べ物ワースト3!(ぐらい?)
自分のこと潰さなくていい。重い石の下の漬物じゃないんだから!

そんな感じの大発見をして、今は、車なんか乗ってられるほど、リッチでもなければ、急いでもなくて、結局、田舎道を徒歩で歩いてる。

だいぶ楽になった。でも、積み上げてきた思考ってボンドで脳にくっつけられてるから、そんな簡単に剥がせないんだよねー。

だから、今は、野道を歩きながら、野花を摘みながら、新しい考え方で物事をとらえる練習をしてる。

ドイツは個人主義のジャンルに入る国だから、みんなそれぞれ意見を持っている。
ロングヘアの男の子と彼の友達は、政治の話から食べ物好みまで違う意見を持っていたりする。議論にはなるかもしれないけど、友達は友達だしっていう感じ。異なってるからって指摘したり攻撃したりはしない。

日本のように「人に合わせる」っていう技を使わない文化だったりもするから、その文化で育った人たちと一緒にいることは、私のメンタル面の変化へ相乗効果が期待できそう〜

でも、結果を出すために急ぐんじゃなくて、ゆっくり歩いてく。

「普通」になってる思考をどれだけマッサージしてあげれるかが鍵だね!

life as a grown-up


あと、もう一つ気づいたことがあった。

「私は、大人になってしまった!」

高校生の頃、インスタで自分の作品や表現したいことを何のバリアもなく発信していた。
なのに今は、人にどう思われるかが心配になって、日本人の平均的な投稿の内容を意識して、あたりさわりもなく発信してることにその友達は気づかせてくれた。

昔は、平凡な日々のなかのキラキラした出来事を見つけるのが得意だったし、それをシェアしてた。今は、「キラキラは夢見がちだ」なんて、大人びたフリをしてどっかに追いやってた。

でも、その「キラキラ」こそ毎日を明るくしてくれるものだって気づいた。
そして、より自分らしくいることが、心にもずっと良い。

「夢見がちにキラキラとものごとを見る心」を取り戻していこう。

いつまでも心をみずみずしくしておきたい〜

thank you!
(P.S. 友達へ、迷っている時に手を差し伸べてくれてありがとうございます)





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