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ただの日記 in Germany week 3-4

愛する植物

ドイツのスーパーに入って滞在時間が長いコーナーは、ガーデンコーナー。
球根と室内用の観葉植物が売ってある。

私は大の植物好きで、中学生の時には、担任の先生と日記(全員提出の日々の予定と一言を書くもの)で、観葉植物についていつも意見を交わしてた。新しい多肉植物を買ったとか、この植物が大きくなってきたとか、次はこの植物を狙っているとか。

それから高校生、大学生、社会人と、部屋は沢山の植物で溢れていた。引越しのたびに手伝ってくれる親を悩ませるほど。

そして、ドイツ、ここでも根をはりはじめた。

2ユーロで沢山の球根が入っているものが、更に安くなっていて、1ユーロだった。種類は、ムスカリ、ラナンキュラス、チューリップ、、、いろいろあった。

私の中で、冬の室内栽培といえば!のヒヤシンスを買って、空き瓶とかを使って水栽培を始めた。
水栽培だと気軽にできるからとっても良い。

でも、もっと欲しい〜
スーパーに行くたびにガーデンコーナーを見つめていた。

まだヒヤシンスの水栽培と、アボカドの水栽培しかしたことがなかったから、他にも挑戦してみたくなって、検索した。

そしたら、ネットで見たガラスの瓶に入ったムスカリが可愛くて仕方なくなってしまった。

数日後、ムスカリを手に入れた!

2週間経った今、10-15cmくらいに成長した。
まだ蕾はできてないけど、これからの成長が楽しみ。上手く花が咲くといいな〜。

外国への憧れの思い出とその8年後 


インスタに初めて登録した中3の時、(欧米で流行っていたってこともあって)海外の子たちを一気にフォローし始めた。

彼らのページには、「最近買ったもの」、「(観光地)に行った」とかって、日本しか見たことのない私にとっては、とってもキラキラして見えた。

特にヨーロッパの街並みは、「これが日常で見る景色なの?」って、驚いていた。

そして、閲覧を続けていくうちに、欧米諸国でティーンがハマってるものを、自分でも欲しくなった。

その時は、ファストブランドが流行っていたから、そういうお店で買い物してみたり、雑貨とかなら、Yankeeキャンドルも買ったりした。
もちろん片っ端から真似して買うんじゃなくて、これいいな!って思って買い込んでいった。気づけば身の回りは、キャスキッドソンのペンケース、H&M、Monki、ZARA、TOP SHOPで買った服、IKEAで買った白い家具、いろんな種類のYankeeキャンドル、窓辺には多肉植物が並んでいた。
明らかに彼らにインスパイアされた部屋になった。

それから、8年。
“ヨーロッパの街並み”がすぐそばのドイツのとある街で暮らしている。私の住所だってここ。

中3のシャイすぎてネガティブな自分に教えてあげたい。
「未来は明るいよ」って。笑

この間、ドラッグストアに行った。
初めて、ぐるってお店を一周したら、あれがあった!
Yankeeキャンドル!

しかも、日本未発売のやつ!瓶に入っていて、とってもかわいいの。

お店で、一人で湧いてた。

でも、昔よく知ってた子と共鳴した感じもした。

これは後で見つけた限定バージョン


英語が通じないこと

感覚的に、ここドイツでは英語が通じないような気がして、ショックな気持ちになっていたりした。

暮らしたことのある国は英語圏だったから、拙いけどなんとか会話できてた。
でも、今回はちょっと違う。

この間、市役所に行った時、若い女の人に英語で話したら、返答がドイツ語だった。市役所の別の女の人も、「英語できるはできるけど、あまり使わないから、伝わるかな?」って少し心配だったって終わり際に言ってた。

ドイツ人と会話する機会が少ないし、ここは小さな街だから、一概には言えないけど、基本全てがドイツ語で、プラス英語わかる人もいる、っていう感覚。

買い物する時も、英語が見当たらなくて、絵や写真とか、ドイツ語から予想するしかない。幸い、似てる単語もあるから良いけど。
(まだシム買ってないからGoogle使えなくて不便さが目立つのもあるけど、、)

まず、スーパーで買い物する時のちょっとした会話はできるようになってきたから、今度は、質問できるように練習していこう。

あ〜言語が通じなすぎて、こっちの幼稚園に切実に入りたいくらい〜。笑

人生って勉強だね。 


ネガティブな幻想を脳内で再生中


長年蓄積された経験が、私の足を引っ張っていたりする。

「この状況だと、これが起こりそう。じゃあ、今はこうしておいた方がいい。」こういう風に未来に起こりそうなこととかを予想するのは当たり前。

そして、人間関係でも、「この人はこう思っているのかな?いや、こう思っているはず。」とかって、予想する。

でも、この『予想』が行き過ぎて幻想の物語を作り上げてしまう。

私の過去の経験から、「こういうことをしたら、相手は絶対にこう思う。」って結論づける。そして、ネガティブな思考は、「・・・そして相手は、心の中では、私のことを嫌いだと思っている。」とかって、ネガティブな方に進むストーリーが出来上がる。

そんなストーリー、本当は通用しない。ただの思い込みでしかない。
でも、自分の経験からってことと、自分を守るために、創作する。

でも、結果、悲しくなる。

その『幻想』は、『幻想』でしかない。
手離したい、けど、離れない・・・。

ふにゃふにゃな自分軸

自分の意見を言える人が羨ましい。

人前に立つと特に自分の意見なんて言えない。
だから、基本、流れに身を任せている。

そんなこと言うと、気楽そうなんだけど、本当は違う。
根本には自分の強い意見があるのに、控えめであるのがいいとか、いろんな社会の暗黙のルールを得てしまったせいで、もうその意見なんて、底なし沼の奥底に埋まっている。

例えば、「何食べたい?」って聞かれた時とか、高確率で、相手に質問返しする。

心から欲している食べ物がある時は言えるけど、それ意外は、言えない。
たぶん、気を遣ってとかを通り越して、無になってしまったんだと思う。

でも、相手にも迷惑だから、何か食べ物のジャンルでも絞り出そうとすると、もう脳内が真っ白。

余計にわからなくなる。

もう自分の意思を牢獄に入れてしまったんだと思う。

私の軸、ふにゃふにゃ過ぎない?

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