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不登校の子の母として

娘が学校に行っても行かなくても

娘が娘らしくいてくれたら

どちらでもいいのだか、

娘の問題は

必ず母である私、父である夫へのメッセージだ。

自分事として向き合ってみたら

私自身、子供の頃

学校に行きたくなかった。

娘は私の願いを叶えてくれたのだ。 

集団で、個を確立するのが困難で

ひとりでいるのが心地よい。

私は専業主婦として

子育てに専念させてもらっている。

このポジション、

私は心地よかった。

そろそろ社会に出るのもいいが

居心地がよいと

なかなかそこから出れなくて

主婦として生きた時間は、

守られていて

夫に大いに感謝だ。

同時に、

私の内面は生きているという感覚はなかった。

私の生命エネルギーは

夫の添え物、

子供の添え物、

として使い、

自分を愛し、

自分の生命エネルギーを表現することがなかった。

ほんとうの私に出逢う時間もなく、

誰かのための私が

私自身だと思い込み、

ほんとうの私を知らないでいたのだ。

私もチャレンジしなければならないのだ。

社会で

私という個性を表現するということを。

私は何に喜び、

私は何を求めていて、

私はどこに向かいたいのか。

娘の不登校は、

私と向き合うこと。

私に向き合うことで、

娘にも変化があった。


つづく

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