見出し画像

二次創作作者について

二次創作小説界隈にいると、高頻度で様々な用語を見かけることがある。オリジナルキャラクター、最強設定、原作改変、キャラ崩壊。基本的にそれらは作品にタグ付けされていることが多く作品を読む際に書き手と読み手それぞれの自衛手段に使うことが出来る。

探せば探すほどキリのない作品。自分の好みのものと、そうではないもの。お互いが不快にならない為にも一目で判断して自衛することが出来るというのは、書き手からの配慮がされている証だろう。ただそんな書き手にも時々憤りを感じることがある。

私が昔よく読んでいた作品は二次創作文化が強い。ゲームの作者が二次創作を公認しているどころか、原作者自身が二次創作の楽曲を手掛けているまである。大元の作者が自分の作品の二次創作を作るってどういうことだ!思うところはあれど、公式からの栄養は実に美味しいもので。何と言っても原作者。オリジナルに勝るものはない。

原作者が公認したことで増えに増えた二次創作は少なくとも400以上はあると聞く。それだけ増えてしまうとどこかしらで綻びが出るのも仕方なく、ついには検索の邪魔になる程迷惑になるケースまで現れた。

その中でも有名なのが原作タグと派生タグの混合である。原作を舞台にした話なのに派生タグが付いている物、派生を舞台にした話なのに原作タグが付いている物。原作(派生)作品の二次創作が読みたい!という時に、それぞれのタグがお互いを邪魔し合うのだ。

他の例ならファンの間で浸透している名称をあたかも公式設定のように明言する作者がいるという話。ファンが付けたキャラ名を作品元の呼び名だと勘違いしている層が、一定数存在している。しかもその呼び方をしないと煽られたりニワカ扱いされる始末。見た目や性質は違っていても彼らは同じ名前のキャラクターだと言うのに。

とはいえ、読み手がいる以上は「読みやすさ」が重要視されるのもよく分かる。同じ名前ばかりが登場していては読みにくい。なら名称を変えて読みやすい配慮をするべきだ。そういった試みも理解出来るものの、やはりそれが正規の物であるように振る舞われるのには納得がいかない。せめて、無闇に他人を煽らないで欲しい。

長く書き連ねてしまったが、まとめると読み手だけでなく書き手にもある程度のマナーが欲しいという話である。書き手の間違ったタグ付けのせいで本来読みたい作品が探せなくなることもある。正しい情報を流布しなければいつしかファンの間だけでのそれが「正しいもの」として罷り通ることにもなる。そもそもの話──これを言ってしまっては元も子もないが。二次創作という物が黒に近いグレーな判定の以上、私達は公式に迷惑が掛からないように努めるべきではないのだろうか。そんなことを考えつつ、版権モノ二次創作を受肉させた上に完全なオリジナル作品として商業化、基、販売した人を静観している。──お前はやりすぎた、やりすぎたのだ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?