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働くために生きるか、生きるために働くか

数年先まで未来が見えるようになって、嬉しいんだけど、ちょっと嫌だなとも感じていた

敷かれたレールを進むようで、どうも退屈に感じられた

でも、今回に関しては完全に自分で選んだ道だ
それでも退屈に感じてしまうのはなぜか

考えていくと「敷かれたレールを進むのが嫌だ」という感覚は、過去にそれをしたことがあるからな気がしてきた

大学に入って間もない頃は、自分の人生は先が見えている、と感じていた
大学を出たら就職して、そこで長く働いて、給料が上がって、家庭を持って、こどもを育てて…

結果としてそうはならなかったが、そもそもその生き方に前向きだったかというと、そうでもなかった
それはなぜか

ずっと、その理由は「(社会によって)敷かれたレールだから」だと思い込んでいた
だが、よく考えたら「そこに希望がなかったから」かもしれない

希望というのは相対評価のようで、自分の知っている世界の中で比較的よいものに対して感じる
なので、厳密には「希望」自体を感じてはいた

ただ、それは人生に対して前向きになるほどのものではなかった

そして、この未来の中身は「働くために生きる」という未来だった

話が逸れるが、ごく最近、こちらで髪を切った
日本人が経営する美容室で、担当してくださった方が良かったので、訪れるのは3回目になる

10年以上カナダに住まれている方なので、「カナダは肌に合いますか」と聞いてみた
すると「カナダでは、働くために生きるのではなく、生きるために働いているように感じる」と答えてくださった

「日本では働くために生きる、カナダでは生きるために働く」という言葉はネット上で見かけたことがあった
ただ、実際にカナダで暮らしている日本人の口から聞いたのは驚いた

大学時代の自分が見ていた未来は、このうちの「働くために生きる」方の未来だったように思う
それは親の生き様から読み取ったものだ

対して、美容師さんの言葉が正しければ、カナダでの暮らしは「生きるために働く」の方なのかもしれない
自分のすべてを仕事に注ぎ込むのではなく、生活の一部として仕事をし、残りの時間やお金で自分自身の人生を送る、というものかもしれない

もし、今自分に見えている未来がこちらの方だったら
自分はその未来に進むことを厭わない



今回はここまで
…9割5分完成していたのに、アップロードを忘れて翌日になってしまった

またね
読んでくれてありがとう



(なんでも送ってね)


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