未来のためにならない、楽しいだけのことをする
最近はバイトが週3だ
バイトより全休の方が多い
今日も全休だったが、何もする気にならなかった
16時ごろまで、シリアルとポテチを食べたのを除いてずっとベッドにいた
ものを考える気にもならなかった
昨日のIELTSが原因かはよくわからない
疲れているわけでもないのに、頭を一切動かしたくなかった
どうしたのだろう
本当に何もせずに朝から寝ているというのは、東京で一人暮らしをしていた頃以来かもしれない
先を見据えた休息ではなく、先の見えないバタンキューという意味ではね
「自分には未来がある」と考えてもダメだった
最近はそれで力が湧いていたのに
原因はわからないが、一つ気づいたことがある
自分は未来のためにならないことをするのが苦手だ
今楽しむためだけに何かをするのが苦手だ
そうは言っても、余暇の過ごし方は散々研究してきたつもりだ
ただ、始めてしまえば楽しいものの、始めるまでに躊躇する、という点はあるかもしれない
改めて自分を顧みると、「今を楽しむ」ということへの抵抗感は強迫的でさえある
そうなっている理由を考えた
もしかしたら、こども時代が辛すぎて、「未来のために生きている」と思わなければやっていられなかったからかもしれない
自分は小学生の頃からいくつも習い事に行っていた
テニス、ピアノ、塾、体操、水泳、工作などを経験したが、楽しかったのは塾だけで、他は苦痛でしかなかった
特にピアノは、毎週教室で泣くくらい辛かった
また、習い事のために友達と遊ぶ時間が取れず、常に時間に追われていた
そんな日々をやり過ごすために「常に未来のために行動しなければならない」と信じ込むようになったのかもしれない
「楽しいだけのことをするのは悪だ」と思い込んだのかも
実際はどうだろう
未来のためにならない、楽しいだけのことをするのは悪いことだろうか
そんなことはない
未来を犠牲にしてまでやるべきではないが、それ自体を否定する必要はない
当たり前だが、人は楽しいことがあるから生きられる
楽しいことは生きる理由になる
「未来のために行動する」という考え方には罠がある
未来がいざ来たら、今度はそのまた未来のために行動しなければならず、楽しめる日が永遠に来ないのだ
未来のためにならない、楽しいだけのことをするにも時間と労力をかけよう
それは幸せに生きるのに必要なことだ
じゃまたね
読んでくれてありがとう
(なんでも送ってね)
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