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クリエイティブの有限性

社会人と学生の違いはなんですか、と新人研修で訊ねられた。

自由時間。
お金の余裕。
責任感。

二次方程式の答えみたいに決まった答えがあるわけでもないのに、自称キャリアマスター?みたいな名前の講師はなぜか自信ありげに
「消費側から生産側に回ることだよ。」と教えてくれた。

無からお金は生まれないという常識に従うとたしかにそうとも言えるが、大学生がいくら生産性のない日々を送っているからといって何も生産していないわけではない。
大学生のアルバイトが全て生産性のないルーティンワークだとすると、そこと同列で働いている社会人は無価値であるのか。
否、そんなことはないはずだ。

しかしながら、何かを生み出しているという実感はある程度のやりがいをもたらす。
ぼく/わたしは毎日世に価値を創造している。
これが世に言うクリエイティブだ。

クリエイティブはなんとなくかっこいい。
デザインとかアートとか、それっぽい言葉で飾られるだけでたちまち学生は何か特別なモノになれたような気がする。

東大より藝大の方がおしゃれ。
科学館より美術館。
論理的思考よりデザイン思考。

芸術は偏差値を淘汰する。
クリエイティブ至上主義。
分かりやすく劣等感を刺激されることの多い勉強より、比較することが難しい自由で楽しいアートに対して好感のある人が多いのも当然か。

だからコンテンツを生み出す映画・出版・TV等のマスコミ業界はいつの時代も、最近斜陽気味と言えども、一定数人気がある。

そういった業界に入った人々はいつの間にか、会社以外での創造をやめてしまう。
学生の時代は何の見返りも求めず、情熱をもって色々なものを作り出していたのに。

甘くない。
忙しい。
疲れている。

社会人は言い訳を沢山並べて休日に休む。
なぜなら創造は会社というハコの中で発揮することを平日に限界まで求められるから。

何が言いたいか。

クリエイティブを職にしているヤツで、プライベートでもクリエイティブしているヤツは異常じゃね?(褒めてる)



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