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アルゼンチン生まれ・東京とパナマ育ちの大学生がミャンマーで起業した話

ミャンマーからこんにちは!みつはしさき( @flor3284 )です。
のっけから情報過多なタイトルですみません。

Facebookでイベント告知をしたり、Wantedlyで求人を出したりタイモブでインターンを募集したりする中で、「あれ、そういえばわたし、そもそも起業しましたという報告をまだどこにも出していないのでは…」ということに思い当たり、このたび noteの #自己紹介 タグに乗じて文章を書くことにしました。

長文になりますが、パラレルキャリア・複業・学生起業・海外就職などに興味を持っている方々に、「こんなやつもいるんだな〜」と思っていただけたら幸いです。

IT × Creativity × 教育事業 Kids Labo

現在、ミャンマーは最大都市ヤンゴンにて設立したTIAM Incという会社で、小・中学生を対象にしたプログラミング教室「キッズラボ」をやっています。今年の5月に始動し、9月に本格開校したばかりの出来立てほやほやベンチャーです。

英語のコピーではよく Where creativity meets technology (創造性がテクノロジーと出会う場所)という言い方をしているのですが、プログラミングに限らず、広くテクノロジーを使って STEM/ Art/ Maker Education を提供できればという思いのもと、中国・深センまでハイテクおもちゃを買いにでかけてみたり、シンガポールのメイカーフェアに勉強に行ってみたり、教室でドローンを飛ばしてみたり、科学実験のイベントをやってみたりと幅広く活動しています。
(今はマイコンと3Dプリンターを調達すべく、情報収集中です。 詳しい方、おしえて〜〜)

ミャンマーと出会うまで

ミャンマーとの出会いは2016年7月(当時大学2年生)、現地で活動する医療系NGO Barefoot Doctors Myanmar の代表にたまたまお会いし、「おもしろそうなので一週間ボランティアに行かせてください!」と無理やりお願いしたのがきっかけです。初対面にも関わらず快諾していただき、1ヶ月後にはヤンゴン空港に降り立っていました(その節はほんとうにありがとうございました)。当時はミャンマーへの興味より、NGOの活動内容への興味の方がまさっていました。

もともとアルゼンチンのMar del Plataという田舎町で生まれてからの3年半を過ごし、12〜15歳までの4年間パナマに住み、大学に入ってからは2ヶ月半かけてメキシコ〜アルゼンチンまでを縦断したりしていたので、中南米にはそこそこ馴染みがあったのですが、ミャンマーについては事前情報ゼロ・渡航経験のある友人もゼロという状況でした。

ですが、空港に降り立って一番はじめに湧き上がってきたのは「なんだか懐かしいな」という感覚でした。亜熱帯に特有のもわっとした湿気、クセのあるにおい、街灯のオレンジ色、ひっきりなしに呼びかけてくるタクシーの運ちゃんたちの叫び声。そのどれもが、かつて住んでいたパナマを想起させるものばかりで、直感的に「あ、ここ、住める」と思いました。

ミャンマーという国は中国・タイ・インドに国境を接しているため文化的にもその3国の影響がミックスされており、しかも130を超える民族を抱える多民族国家でもあるため、他の国々と比べても非常に特殊でおもしろい文化が形成されています。

(中華っぽい味のする麺料理)

馴染み深いパナマとどこか似通いつつも、全く違う文化・歴史を持ち、全く違う仕方で経済発展を遂げようとしているミャンマーという国に対する興味は尽きず、気づけば2017年9月から大学を休学・半年間のインターンを申し込んでいました。
(加えて、滞在中会ったミャンマー人が全員めちゃくちゃに親切で、嫌な思いを一度もしなかったことも大きな要因でした。これは1年住んだ今も変わらない印象です)

起業しよう!という気持ちになるまで

これは性格的な話になるのですが、わたしは基本的に根暗で、かつ社交性がほぼゼロに等しく、しかもあらゆる欲求の中で「自由でありたい」という欲求が最も強い、大変に面倒くさい種類の人間です。

こういう人間が世の中でマトモに働こうとすると、思い浮かぶ選択肢としては
①フリーランスになる
②自由な社風の会社で働く
③経営者になる
の3つくらいでした。①については大学3年生の時からグラフィックデザインの仕事を細々とさせていただいており、②についても知り合いの会社からリモートワークのお仕事をいただいていました。

大学卒業後の動き方はこれら3つを元に決めるつもりだったので「あと経験したことがないのは経営者だけだな…在学中にやってみたいな…」という思考に至り「じゃ、経営、やってみるか!」という気持ちになりました(いま思うと短絡的すぎてびっくりします)。

経営者になるには自分で起業するか、経営メンバーとしてどこかの会社に入るかの2択だと思うのですが、なんの実績も経験もない大学生にとって後者はハードルが高すぎるので、起業を決めました。
起業の地としてミャンマーを選んだのは、単純に(そしてものすごくありがたいことに)「大好きな友人と、相談に乗ってくれそうな先輩起業家がたくさんいた」からです。会社経営という超ストレスフルでハードモードな選択をする上では、最重視ポイントでした。

教育事業を始めるまで

さて、起業を決めたはいいものの、当時のわたしにはろくな計画がありませんでした。デザイナーをやっていたこともあり、何かを創るということが大好きだったので、それに関連するスモールビジネスがしたいな、くらいの気持ちでリサーチを重ねる日々。

プログラミング教室を始めることになったきっかけは、現在のパートナーである二人の日本人との出会いです。一人はヤンゴンでITのオフショア開発をしている会社のオーナー経営者で、一児の父でもある岩佐さん。もう一人は同じくヤンゴンで人材会社の現地代表をつとめる田村さん。

「ヤンゴンで子育てしているけれど、自分の子どもに受けさせたいと思える教育がない」という岩佐さんの問題意識と、「人材会社を経営しているけれど、人材云々の前にそもそも教育システムが圧倒的に足りていない」という田村さんの問題意識に触れ、私自身も少しずつこの国が抱える教育の課題*に目が向くようになりました。
*ミャンマーでは軍事政権下で教育システムが徹底的に破壊され、大学でさえノート丸暗記・自分で考える授業一切なし、という状態なのです。

とはいえ、小学校1年生の時から精神的ひきこもりを発揮していたわたしは学校教育というものにいい思い出がほとんどなく、学校の先生はすべからく敵だと本気で信じていましたし、教育事業はおろかこどもに接することにさえかなりの苦手意識を持っていました。

そんなわたしが前述の二人と一緒に会社をたて、代表をつとめる覚悟を決めることになったのは、テストマーケとして実施した無料のプログラミングイベントに参加してくれた子どもたちの表情を見たからです。

こども用のプログラミングツールを使って簡単なゲームを作るという内容のイベントだったのですが、目をキラキラさせながら夢中になって取り組む子どもたちのあまりの熱量、集中力、想像をはるかに上回るクリエイティビティに圧倒されました。

「自分がこどもの頃にこんな場所があったら、どんなによかったかな」
と、素直にそう思いました。

コンピュータ・プログラミングは、画面上で表現できることが無限にあるのでこどもたちがクリエイティビティを自由に、のびのびと、思いきり発揮するのには最高です。加えて重視するのは「何を作ったか(結果)」に限らず「どうやって作ったか(過程)」なので、失敗を失敗として捉えず、成功までのステップとして再定義できます。

小学校からずっとクラスになじめず、今でもどこかで学校教育へのコンプレックスを抱え続けているわたしですが、この事業なら、過去の自分を救うつもりで取り組めるのではないか。誰よりも自分ごととして、熱量を持って、真剣に、価値提供のために尽力できるのではないか。自由に生きたいという気持ちで決めた起業だったけど、この事業なら、そんなちっぽけな自分の欲求を超えていけるのじゃないか。

そんな思いで、前述の二人と共に創業し、社長になりました。
まだまだ始まったばかり・至らないところばかりの小さな会社ですが、豊かな創造と学びの場をつくれるよう、誠意と覚悟を持って一歩一歩前に進めていきます。

皆さま、これから(も)どうぞよろしくお願いいたします!

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