【芥川賞】すべてのオタクにお勧め【宇佐美りん『推し、燃ゆ』感想】

◆後半からネタバレを含みます(標識あり)

僕は高校時代、ある男性アイドルの熱心なファンだった。
高一の夏、推しをテレビで初めて一目見たとき、「美少年と言われるために生まれてきた人だ」と思った。
それくらい完璧な顔立ちだった。
その後、別の番組で推しのデビュー当時の映像を観る機会があった。
そこで観た3年くらい前の推しは、輝きに満ちていた。天使そのものだった。
僕はこの人のファンになった。

芸能人の追っかけをし始めて最初にすることは、次にいつ推しに会えるかをチェックすることだと思う。
僕は公式サイトで、推しのテレビの出演予定を調べた。
次にテレビで推しを観るまでの月日を待つ期間はとても長い時間に感じられた。
その隙間を埋めるために、過去に推しがテレビが出演していたときの模様をYouTubeで観た。
他のファンの方のブログに目を通したりもした。
ファンもアンチも混在する2ちゃんねるに入り浸ることもあった。
今は5ちゃんねるだっけ?知らんけど。
とにかく、僕の生活は推しで満たされていた。
推しの新たな一面を知るたびに、さらに推しが尊い気持ちが強まった。

しかし、徐々に僕の推し活(オタ活?)に歪みが生じ始めた。
自分の生活が推しに支配され始めたのだ。
1週間強の春休みの間、毎日朝から晩まで推しのことをネットで調べた。
CDの特典でついてくるDVDは何十回と再生し、何分何秒から推しが何を喋るかを把握しているほどだった。
もちろん宿題に充てる時間は残されていなかった。やる気もなかった。
さすがにヤバいという自覚はあったから、なぜ僕がここまで推しに執着するのかと考えた。
たぶん僕は彼に憧れているんだろうな、と思った。
眉目秀麗な容姿。
女性ファンから浴びせれる歓声。
カメラに無邪気な笑顔を向けられる素直さ。
推しは僕が持っていないものをたくさん持っている。
羨ましくて仕方がなかった。
自分を推しに重ね合わせているときだけは、僕は満たされない欲求を満たすことができた。
もちろん、擬似的に。

ここからは物語の核心部分に触れられます。小説をまだお読みでない方はブラウザバックをお勧めします。





誰かを推すというのは、他人の人生をなぞることだ。
推しに大きな仕事が入ったときは嬉しい。逆にしばらくテレビに出てこないと悲しい。
そんな他人の動向に一喜一憂する人生って、果たしてそれは僕の人生を生きていると言えるのだろうか?
もし推しがアイドルを辞めたら、僕はこれから何を支えに生きていけばいい?
推しに依存する生活に、幸せはあるのか?

ちなみに、僕は誰かを推すことを否定したいのではない。
学校から帰ってきて心身ともに疲れ切っているときに、推しの映像を観て癒しをもらう。
気分が落ち込んでいるときに推しの歌声を聴いて、前向きな気持ちになれる。
これらは人としてごく普通のことだと思う。
そもそも人は何かしら心の支えなしでは生きていけないのだから。
ただ、推しが自分の生活に入り込みすぎていたとしたら、「自分のために人生を生きよう」と心に働きかけることが必要かもしれない。


『推し、燃ゆ』を読んで、そんなことを考えました。
筆者の宇佐美りんさんは21歳だそうですね。
21歳にしてこれだけの表現力があることに驚嘆するとともに、21歳でなければ書けない小説だという気もします。
推しのいる人(オタク?)なら皆が共感できる内容ではないかと思います。

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