小林信也『カツラーの秘密』〈元気出せよ、ハゲてもなんとかなる〉
スポーツライター小林信也は「カツラー」である。
たしか、私は小林信也を恵俊彰が司会を務めるTBSの昼の情報ワイド番組「ひるおび」で認識した。彼は「ひるおび」にパネリストの一人として出演していたのである。
2015年ごろ、東京オリンピックの開催が決定し、ザハ・ハディドのデザインした新国立競技場の建設費用などが話題になっていたときだった。
スポーツの専門家として、小林は広い見地からどのようなスタジアムがオリンピックを開催するにあたって必要なのかを説いていた。
小林のコメントはどれも的確なもので、私は彼に好感を持った。
いったいこの人は、どのような文章を書いているのだろうか。
そう思い、小林信也の著作を探しているときに、この『カツラーの秘密』に行き当たった。
「カツラー? このひとカツラだったのか!」
彼が「カツラー」であることは何度かテレビを視聴している限り、まったく気づかなかった。
不思議なことだった。
これほど自然に、バレないカツラを装着している人が、カミングアウトするなんて。
たとえば綾小路きみまろのようにカツラが公然の秘密となっているような人であれば理解できるが、なぜハゲを隠すためのカツラの存在をわざわざ自分から明かしてしまうのか。
そのことの答えが、本書には書かれている。
なぜ小林信也は「カツラーの秘密」を告白するに至ったのか。
2000年に刊行されたこの本は、カツラ使用者であることのカミングアウトだけにとどまらない、めちゃくちゃ面白い著作だったのである。
二十代後半でやってきた危機
小林信也は、20代から早くも頭髪が薄かった。
小林は父親もハゲだったのでいつかはハゲることは覚悟していたが、「その時」がこんなに早くやってくるとは思っていなかった。
鏡に向かい、いや、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせる小林に、客観的な視点が残酷な現実を突きつける。
スポーツライターである小林は、アスリートとともに写真に収まる機会がある。当該の写真は、雑誌に掲載されたあの長嶋茂雄とのツーショットだった。
国民的スター、長嶋茂雄。憧れの選手との写真。うれしくないわけがない。だが、フラッシュが焚かれた写真を見ると、長嶋の横に収まった自分の前頭部が、明らかに光っているのがわかったのだ。
こうして小林は自分がハゲなのだと自覚するにいたる。
しかし、カツラだけはイヤだ。そんな思いがあった。
スポーツライターである小林には、身近にカツラ使用者の先人がいたからである。
バレバレのカツラが、周囲の人間にどのような印象を与えるのかを、彼はよく知っていた。
「暴力的なカツラ」という表現が生々しい。
ハゲはイヤなんだが、カツラを被るのはもっとイヤだ。
カッコ悪いから。
だけど、もし、カッコよいカツラがあったなら…。
そんな思いを、長いこと小林は抱いていたのである。
カツラーとしてのデビューと挫折
一本の電話から始まったカツラー人生
小林信也28歳の春。
ある休日の朝、結婚して二年になる妻に朝刊に載っているカツラの広告を見せた。さして興味はなさそうだったが、
「いいんじゃない?」
という妻の言葉に背中を押されて業界最大手のAD社に電話をかけてみると、なんとその日のうちに社のアドバイザーが訪ねてきた。
「育毛」というのは謳い文句にすぎず、「今ある髪を育てていく」というモデルは、メーカーにとってはカツラ購入に誘い込むための入口であるようだった。
(※この「育毛」に関する状況は投薬治療を除いて2024年現在もそう変わっていない)
そのためひと度小林の頭をのぞき込んだアドバイザーは型を取り、ハナからカツラをつくる前提で話をズンズン進めていく。
小林は目まぐるしいスピードで進んでいく成り行きに内心ドキドキしているしているのに、傍らで眺めている妻は身をよじらんばかりに目をケラケラさせている。
「一ヶ月ちょっとで製品ができあがります。そのときは新宿のほうにお越しいただきます」
終始AD社のアドバイザーのペースに巻き込まれ、いつのまにか小林はマイ・カツラの持ち主になっていた。
いや、まだカツラでなくとも、「育毛」という選択肢はないものか。
だがアドバイザーの答えは「もう、生えません」という残酷なものだった。
その言葉にショックを受けているうちに、小林はカツラ三枚で計100万円というローン申込書にしっかり銀行印まで押していた。
それまで小林が買ったもののなかで、自宅マンション、小型乗用車に次ぐ、三番目に高い買い物だった。
藤巻潤事件
小林信也がAD社のカツラに希望を抱くのは、ある原体験があるからだった。
それは“藤巻潤事件”と呼ばれる。
藤巻潤といえば、宇津井健主演の人気ドラマ『ザ・ガードマン』(1965-1971放送)のレギュラー出演者にして、二枚目スター。
その藤巻潤が、「徹子の部屋」に出演中、いきなりカツラを脱いで視聴者の度肝を抜いた事件があったのである。
カツラをとった藤巻は、額から頭頂部にかけてほとんどクリクリツルツルだった。
藤巻は、その後長くAD社の広告にイメージキャラクターとして出演した。
そのことで「あの、誰もがわからなかった藤巻潤のカツラなら大丈夫かもしれない!」と小林を含む世の薄毛男性は希望を抱いたのである。
カツラとの対面
百万円の契約を結んでから1ヶ月後、カツラが仕上がったとの連絡を受けて、小林は新宿にあるAD社のショールームへと赴いた。
専属の理容師がカツラを小林の頭に乗せ、止め金で固定する。はじめは肩までの長髪だったものをカットし、髪型を整えていく。
カツラであるだけに、髪型の自由度は狭まる。いくつかの選択肢の中から、小林は七三分けを選んだ。
ぜったいわからない、とは言えないが、ぜったいにわかる、とも言えないギリギリの境い目。
しかしカツラのまま帰宅した小林を出迎えた妻の第一声は、「変。」というものだった。
帰宅途中にセットが乱れ、カツラが浮いていたのである。
もっと自然に見えるよう、妻は前髪を斜めに崩してくれた。
カツラデビュー
休みが明けて月曜日、意を決した小林は初めてカツラをつけて「ナンバー」編集部へと出勤した。
しかし仕事が始まっても小林は、頭に装着したカツラがどうなっているか気が気でない。
同僚と会話をしていても相手の視線ばかりが気になって仕方がない。
勤務中何度もトイレに駆け込みブラシで髪を整え直す。
被害妄想と自己嫌悪のスパイラルに陥り、ついにカツラを外し、自毛をグシャグシャに掻きむしって目立たなくした。そうすれば、ヴォリューム的に違和感はない。
素のままの自分。
そうだ、まだ自分はまだカツラをつけるほどのハゲじゃない。
こうして重圧に耐えきれなかった小林のカツラ・デビューは散々な結果となり、それから数ヶ月、二度とカツラに触らなかった。
それでもカツラを被る
スポーツライター界の【第三の新人】
しかし現実は容赦しなかった。
カツラ使用を中止した小林の頭髪は日に日に抜け、ますます薄くなっていく。
小林の髪が薄くなりはじめたのは、彼が新鋭スポーツライターとして周囲から期待を受けはじめた時期と重なっていた。
1980年代の成熟した日本社会。エンターテインメントやスポーツに世間の注目が集まっていく中でスポーツ批評、スポーツノンフィクションというジャンルが日本の中で確立されようとしていた。
『敗れざる者たち』の沢木耕太郎、『江夏の21球』の山際淳司といったスポーツノンフィクションの先駆者につづく「第三の新人」の座をめぐる争いに参戦できるチャンスが、小林にはあった。
だが、自分はハゲだという自信のなさが、そのチャンスを奪ってしまったのである。
カツラに挫折したちょうどその頃、小林にテレビ番組のスポーツキャスターの依頼が舞い込んできた。
世の中に顔が売れる仕事。願ってもないチャンスのはずだったが、小林はろくに条件も聞かずにきっぱり断ってしまった。
「自分は活字の世界で生きてゆく人間です。テレビを仕事の舞台としては考えていません」
しかし潔い言葉の裏には、情けない本音があった。
華々しいスタジオのライトを浴びれば、頭頂部の薄さはイヤでも目立つだろう。
(禿げがテレビに出てどうする)
単純な恥の意識、劣等感。
ただハゲのことを気にして、小林はスポーツキャスターの仕事を断ったのである。
あのときテレビ出演を引き受けていたら自分はどうなっていただろう。そんな後悔をいつまでも引き摺っていた。
こんなミスをもう重ねたくはなかった。
この年の秋、小林信也は文藝春秋「ナンバー」編集部を辞し、フリーのスポーツライターとして独立した。
カツラを被るには、このタイミングしかない。
小林は、長いこと仕舞っていたカツラをついに取り出し、真の「カツラー」となるべく覚悟を決めた。
風、スポーツ…カツラーの天敵
こうして小林信也はカツラーとなった。
しかし、カツラの着用には種々の困難がつきまとう。
カツラーのなによりの大敵は風である。
小林がカツラにして初めて気づいたことだが、東京は案外、風の強い日が多い。
高層ビル街、地下鉄、東京ドームの出口…。
吹きつける風に、カツラが飛ばされやしないかと、カツラーは風に対して敏感になる。
さらにはスポーツ活動のとき。
スポーツライターとして野球経験がウリだった小林は、神宮外苑の草野球場ではちょっと名の知れたアンダースロー投手だった。
しかし、カツラ常用者になって最初の春。バッターボックスに入り外野のあいだを抜ける長打をかっ飛ばした小林に、一二塁間で悲劇は訪れた。
上から帽子を被っているのだからと安心しきっていたが、全力疾走して一塁を回ったところでフワッと帽子が飛んだ。そしてカツラも一緒に飛んでいったのである。
インプレー中にも関わらず小林は二、三歩戻って帽子と一緒にグラウンドに落ちていたカツラを拾い上げ、なんとか二塁までたどり着いた。
なんとも間抜けな失態。このとき幸い周りにはバレなかったが、以来、小林は野球をするのが怖くなってしまった。
スポーツができない、屋外では常に風を気にして仕事をしなければならない。それはスポーツライターとして致命的な足枷になった。
「ADで積極派人間になりましょう!」というAD社のキャッチコピーとは裏腹に、カツラを着けたことで小林はすっかり消極派人間になっていった。
カツラーの見分け方
さまざまな不安やハンディを背負っているカツラーは、行動にも特徴が出る。だから行動から、その人がカツラであるかどうかを見分けることが出来る。
①頭を触らせない、異様なガードぶり…触られればほぼカツラとわかってしまうので、カツラーは頭を触られることを極端に嫌う。
②目的地に着くとすぐにトイレに入る…髪の乱れが心配なものだからすぐにトイレに駆け込んで髪を直す。
③前髪より後頭部をよく触る…カツラは後頭部が浮きやすいので、いつもそこを気にしている。
④後頭部やこめかみばかりをボリボリかく…頭頂部にはカツラのベースがあって爪が届かないため、こうなる。
これだけ行動に制約があるカツラーになって、小林信也の文章までもが変わってしまった。
実際にアスリートとともに過ごし、アクティブに行動することこそがスポーツライターにとって必須の条件だが、フットワークを失った小林の文章は月日を経るにしたがって理屈っぽいものへと変っていった。
そしてスポーツもせず、自転車にも乗らなくなった小林のストレスは、酒を呑み、たくさん食べる、という方へ向いた。
ハゲはじめる前に68キロだった体重は、最盛期には85キロにまでなり、ついには糖尿病一歩手前の血糖値にまでなってしまった。
カツラを被った「消極派人間」のなれの果てであった。
それでも小林は、カツラをやめるという決断は出来なかった。
意地になってもカツラを守り続けた。
それはなによりも、鏡に映った自分の頭に髪があることの魅力に抗えなかったからである。
だから多少の苦労はあっても、不便なカツラをいつまでも小林は使用しつづけた。
カツラーに射した光明
閉鎖的な男性カツラ業界
「もっといいカツラはないだろうか…」
そう思っても、いったんAD社のカツラ使用者になってしまうと他社へと乗り換えるのは相当難しい。
そこには、閉鎖的なカツラ業界の事情がある。
月に一回、小林は新宿のAD社に向かいカツラー専用のカットをしてもらい、その間にカツラの洗浄などのメンテナンスをする。
当然カツラを一旦被ってしまうと、人前で脱ぐわけにはいかない。AD社との関係なくしては社会生活さえ営めなくなるように、がんじがらめにされてしまうのである。
しかしAD社のカツラを使用しはじめて早12年。小林は別人のようにスケールが小さくなっている自分を直視し、つくづく自分がイヤになりはじめた。
このままでいいのだろうか。
AD社のカツラにさまざまな不便とストレスを感じていた小林は、何度となく他社のカツラを試してみたいと考えた。しかし、そう思うことはあっても、実際に行動に移すことはなかなかできなかった。
なんといっても、AD社は国内最大のシェアを誇る男性用カツラメーカーである。もうひとつの選択肢はAN社だが、トップシェアを奪えていないところをみると、結局はAD社の製品の方が良いのだろう……。
なぜ一歩が踏み出せないかと言えば、現在のようにインターネットが普及した世の中ならまだしも、当時カツラ業界に「口コミ」というものは存在していなかったこともある。誰も、自分がハゲでカツラーであることを開陳するわけがないからである。
情報がない、比較できない、そして高い。
そんな条件によって、世のカツラーたちは最初にユーザーになったメーカーに囲い込まれてしまうのである。
そうこうしているうちに小林は41歳になっていた。
カツラによって、逆に消極的になり、僻みっぽくなっていく自分。
「いっそのこともうカツラなんて外してしまおうか」
そこまで思い詰めていた小林に天啓が訪れる。
コラムを連載していた雑誌「Tarzan」がいつものように自宅に届くと、そこには「髪を鍛えて5歳若返る」という特集がデカデカと掲載されていた。
その中には二強であるAD社とAN社への突撃取材もあり、さらに小林が以前から気になっていた第三のメーカー、SV社についての記事も載っていたのである。
SV社といえば、私はサッカー解説者の松木安太郎のCMが思い浮かぶ。確かにカツラと聞いていちばん先に思い浮かぶブランドではないが、そんなメーカーがあることは男性ならばけっこう認識しているのではないだろうか。現在は、ヤスケンこと安田顕がイメージキャラクターを務めている。
「Tarzan」の記事によるとSV社のカツラは「編み込み式増毛法」を謳っていた。毎日取り外しをするのではなく、既存の髪に編み込んで自然な髪型をデザインする。
どんなに激しく動いてもビクともしないし、風にも水にも強い。
ほんとうにそんなことがあるだろうか…。所詮はマイナーな会社に過ぎないし…。猜疑心は消えなかったが、やはりメジャーな雑誌である「Tarzan」に掲載されたことが、小林の心を動かした。
始めたばかりのインターネットでSV社のホームページを熟読し、意を決した小林はSV社へ10の項目を明記して質問状を送りつけるという行動に出た。
ここにはカツラ使用者の悩みが凝縮されているだろうから、ほぼ全文を引く。
一週間後、SV社から返事が届いた。
その内容は、ぜひ直接会って説明させてもらいたいというものだった。
そしてそこには、「必ずや現在のご不満を解消出来るものと確信致します」と書かれていた。
ついに見つけた!これこそが理想のカツラ
妻をともなって小林が新宿のオフィスを訪ねると、自社の製品を使用しているSV社の社員ふたりが出迎えた。つまりSV社のカツラのサンプルである。
二人の髪を見たとき、小林は正直ガッカリした。
(見るからにカツラとわかるじゃないか……)
一般の人の眼からは自然かもしれないが、小林のカツラ観察眼をもってすれば、一目でそれとわかるレベルだった。
かなり落胆しながら説明を受けていた小林だったが、ややあってSV社の広告にも登場している社外アドバイザーのYさんが姿を見せた。
明るい声で入ってきたYさんのヘア・スタイルに、小林は衝撃を受けた。
やや長髪。前髪を軽くあげ、髪全体を自然に後ろへ流している。カツラの最たる弱点である生え際を、こともあろうにYさんは堂々とみせつけていた。
(わからない。ぜったいに自毛にしか見えない!いったい、どういう仕組みなんだ!)
Yさんは興奮する小林の気持を察したのか、頭を触らせてみせた。太くしっかりとした、三つ編みのヒモのような感触。
そしてYさんは手ぐしで髪をかき上げてみせた。
今までのカツラの常識では信じられない仕草である。
最初に会ったSV社の営業社員のふたりは前頭部にほとんど髪がなく、前側に編み込めないため両面テープを使用していることでカツラ感が出てしまうようだった。
しかし小林のような頭頂部が薄くなるタイプのハゲには、SV社の製品は抜群の力を発揮する。
SV社の「編み込み式増毛法」は小林にとってピッタリのカツラだった。
(また人間に戻れる。これで自然な自分を取り戻せるかもしれない)
SV社のカツラはひとつ60万円のシロモノ(下取り有りで55万円)だったが、期待に胸の膨らんだ小林にはさしたる問題ではなかった。
SV社のカツラによって積極性を取り戻した小林信也は、勢いそのままに本書の執筆へ向かうことになる。
「せっかく絶対にバレないカツラを手に入れたのに、それをわざわざムダにするようなことをするなんて!」
そういう向きも、出版時に周囲の人間から言われた。
だがSV社に替えた途端、隠したい気持ち、後ろめたい気持ちがほとんどなくなったのだという。
小林は既存のカツラ大手メーカーの顧客囲い込み、過剰な営業方針について批判を加え、さらにカツラが「ハゲ」に悩む男性たちの選択肢となり、解決策となるような未来に向けてのメッセージを残し、この書を閉じている。
われわれはこの本をどう捉えるべきか?
誰もが抱える男の悩み
「最近、人の生え際ばっかり気になるんですよ」
2、3ヶ月に一度会うような間柄の後輩が、居酒屋のカウンターでふと漏らした。
十年以上の付き合いになるこの後輩くんも、もう30を過ぎている。
私が見る分には、特に髪が薄くなったとも感じないが、やはりそんなことを気にせずにはいられない年代なのだろう。
これは私だって無関係な問題ではない。
おそらくほとんどの男性は30代あたりに差し掛かると、多かれ少なかれアタマの、もとい髪の悩みというのが出てくるものだと思う。
(もしかしたらもっと早くから)
明確に髪の量が減っているかはわからないが、どうもボリュームが減った気がする。
手鏡と姿見でつむじの辺りを気にし出すと、もう止まらない。
「これはハゲているのではないか」
一旦そんなふうに思うと、もはや仕事も手につかなくなるほどにテンションが落ちてしまう。
加齢というのは残酷なもので、動けていたはずの動きが出来なくなり、体重は増え、胃袋は脂っこいものを受けつけなくなる。
薄毛も、そんな加齢による変化の一つだ。
誰しも、変わらない。
だけど、自分はハゲたくない。自分だけは。
みんな、そう思っている。
しかし、ハゲてしまったら。
今回紹介した『カツラーの秘密』は、不安を抱えるそんな男性たち全てに勇気を与える。
男にとってハゲるとはどういうことなのか。
そして著者はどのように対処したのか。
そこには、悲喜こもごものエピソードが満載されているのである。
刊行から二十年あまりが経つが、おそらく本書以上にハゲと向き合った書籍は他にあるまい。
身を以て取材対象と格闘し、苦悩する人間の本質を炙り出したという点で、『カツラーの秘密』の著者である小林信也はスポーツライターの先達である沢木耕太郎や山際淳司と肩を並べたのだと言えるのではないだろうか。
「ハゲてもなんとかなる、大丈夫だ」
そう、我々を勇気づけてくれる希望の書である。
結論を言おう。
この書は、人間存在の本質を突いたルポルタージュの傑作なのである。
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