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母へ。貴女は失敗したのです

虐待を受けて育ち、今もそれなりの虐待とその後遺症に苦しんでいる。
そんな僕は現在母親と2人暮らし。
許すでもなく、裏切るのでもなく、罰するのでもなく。
この度僕は母親を他人として切ることにした。

母は虐待と差別を受けて育った、今でいう虐待サバイバーだ。
そんな実家から逃げる為に、そして仕返しをする為に、周囲から大反対された歳の離れたバツイチ子持ちと結婚をした。

彼女の夫、つまり僕の父親は結婚した当初から度々帰宅しないことがあった。
そんなパートナーの気を引くべく、彼女は子供をつくった。
「我が子が産まれれば毎日帰ってきてくれるに違いない」
そんな希望的観測で、自分の目的の為に僕を産んだ。
当然結果は伴わなかった。
そりゃそうだ。そもそも新婚で妻をないがしろにするような人間が、当人からしてみれば2人目の子供に執着するはずがない。
まだ1人目なら物珍しさで釣れたかもしれないけれど、彼女にとって初産であっても彼にとっては『2人目』なのだ。

さて、子育てをするにあたって彼女には信念があった。

1.自分の母親のような親にはならない
2.自分がされて嫌だったことは子供にしない

過去から現在に至るまで、僕が知る限り彼女はそれを貫き通している。
だから彼女は自分が失敗したとは毛の先ほども思っていないだろう。

彼女が子供から見て失敗した個所はただ1つ。
『自分がされて嫌なこと以外は子供も嫌とは思わない』
という徹底的な主観のみで行動しているところだ。
彼女の行動基準は彼女自身であり、僕のことなど1度たりとも考えたことはないと思う。

僕が幼稚園生になる年に、彼女は離婚の為の準備を始めた。
そして僕が小学校を卒業する年に離婚した。
そこまで年月を要したのは、僕が離婚という言葉やその意味を理解し受け止められる年齢になるのを待っていたからだと言う。
その理由は腹違いの兄が両親の離婚の際その意味が分からず『置いていかれた』と判断したのを見たからだそうだ。
小さな子供に置き去りにされたという思いをしないでほしい。だから私はさせない。
結果的に僕は小学校卒業までの期間、時々帰ってきては怒鳴り散らす父親と、それがストレスで僕に怒鳴り散らす兄と、家族全員を無視して言葉も交わさない母親との生活を強いられた。
自分の気分次第で怒鳴ったり笑ったりする父親の機嫌を窺い、極力兄の逆鱗に触れないよう静かにし、喧嘩が始まらないように何も分からず空気も読めない馬鹿を演じた。物心ついた時からずっと。
彼女はそれを
「お前の為に待っていた」
と平然と言ってのけた。

小学生になる時、母親からこんなことを言われた。
「これからテストや試験がある。私は点数が悪くても何も言わないし怒らない。私がばーさん(母親の母親)から100点を取って当たり前、それ以外は許されなかったのが嫌だったからお前には言わない」
実際どんな点数を取っても彼女は何も言わなかった。
100点を取ろうが30点を取ろうが、何も言わなかった。
ただ返却されたテストを受け取るだけだった。
35年間の人生で褒められた記憶はただの1度もない。その代わり、テストや素行が悪くても何も言われたことはない。

離婚してから彼女の信念に1つ項目が追加された。

3.片親だからという理由で何かを我慢させたりしない

父親は自己破産済みの無職だったので養育費の請求はできなかった。
母親は仕事を掛け持ちして朝から深夜まで働いた。そして家事も全てこなした。
大黒柱としての役目も、母親という家事をする役目も完璧に果たしていた。
その代わり母親との会話はおろか顔を見る機会もほとんどなくなった。
顔を合わせても彼女は家事で忙しいので、必然的に欲しい物や必要な物、学校からの連絡を報告する以上のことはなかった。
一方で季節の行事は全て行っていた。誕生日、クリスマス、年末年始。
これはとてもイレギュラーなことで彼女が『子供の頃にやりたかったこと』の実現だった。
そしてそれは『僕がやりたいこと』として換算され、誕生日やクリスマスには何が食べたいのかと何が欲しいのかを列挙させられていた。
僕はといえば行事に興味がないし献立や欲しい物リストを作る面倒臭さの方が勝っていたし、クリスマスツリーを飾り付けるのにうんざりしていた。
何より各行事に近い休日に行われるそれらに意味も感じられなかった。そういうのって普通当日にやるから意味があるんでない?というのが本音。
「必死に取り繕ってんな」
が当時の僕の心境だった。

彼女が自分の全てに完璧を求めているので、子供である僕は当然それに巻き込まれていた。
しかし彼女はそれで僕が満足していると信じて疑わなかった。そもそも初めから僕の意見や感想など求めてすらいなかった。
『私は家族を養うだけの稼ぎも、少しの贅沢をさせる余裕も、そして忙しさにかまけて家事や育児をないがしろにすることも絶対にしない。だから夫がいなくても私の家族は全て順調で完璧である』
そんな風に考えていたのだと思う。

そもそも仕事をするにあたって自分の両親に僕を預ける時点で『子供の視点』は考えていないのだと思う。
普通自分が虐待されていたのだから、そんな実家に子供を預けたりはしないだろう。おかげで僕は家族と母方の実家の両方で虐待を受けていた。
教育方針の違いから目の前で口喧嘩している所も幾度も見た。
どんな時でも当事者である僕はよそ者だった。

大人になった今なら分かる。
彼女がどれだけ独善的で、メンヘラの構って察してちゃんで、その実一人前以上の人間だと錯覚しているのか。
そして同時に年齢と共に偏って硬くなったその主観に対してこっちが動くことがどれだけ無意味で徒労か。

だから全てを手放す準備をしている。
僕は精神障害者で就労不可と診断され国民年金を受給している。その上今住んでいる家の名義は僕自身である。
それでも彼女を僕から絶たなければならない。自殺に失敗し、生きるしかないと覚悟したのなら、自分の人生を生きなければならない。
血を見るか恨まれて堕ちるかだったとしても、僕は彼女を絶つと決めた。

貴女は知らないだろうと思うし、知らないままでいい。
だけど僕は結論を出しました。
貴女は失敗した。家庭を持つことも、子育てにも。だからこうして失敗作の僕がいる。
僕はこれ以上貴女の失敗に巻き込まれない為に、せめて自分の失敗だけを被る為に、貴女を切ります。
説明しても理解できないでしょう?
だからこのまま、知らないままさようなら。

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