日報 10月4日(火)「運動会の朝」
「運動会の朝の匂いがしたら、10月が来たって感じがする」
10月生まれの友人が放ったこの一言を、四季の変わり目に必ず思い出してしまう。
朝の冷たく湿った空気。少し浮足立った心地。俵型のおむすびを重箱に詰める母親の姿。
詳細を話したわけではないが、恐らく私とその友人とは、同じくそんな場面を回想したに違いない。
年を取ると、毎日がとても速く過ぎていくと誰もが言う。周囲の環境や生活に慣れた大人は、新鮮な驚きを得ることが少ない。平坦な日々を過ごすうち、体感時間がどんどん短くなるらしい。
20代の終わりにはすでにその気を感じていたが、2020年以降は更に、一日があっという間に終わっていった。仕事、生活、仕事、生活、の繰り返しが、自宅で完結していたからだ。心身の不調で会社を辞めるまで、私は時間の価値をすっかり軽んじていた。
退職してからは、自身の感覚機能を取り戻すリハビリの日々だった。
あるときは身体の外にある世界を感受し、あるときは体の内に潜り、心に何を感じているのかを問うた。そうして五感の可動範囲が広がると、不思議なことに、身体や思考が能動的に変わっていった。
2022年は、四季の移ろいがはっきりしていた。感染症が拡大する中でも、春は春らしく、夏は夏らしく過ごしたからだ。
桜の盛り、地元の公園に花見に出かけた。広い敷地には人が溢れ、さながら絵画『グランド・ジャット島の日曜日の午後』のようだった。そこでは、髪を鮮やかなコーラルピンクに染め上げた知人と遭遇した。春らしい色にしたくて、と彼女は照れながら話してくれた。
初夏には旅行にも出かけた。夫がいつか行ってみたいと話していた、保養地として名高い高原だ。澄んだ川のほとりで、周囲に誰もいないことを確認して、マスクを外した。めいっぱい息を吸い込むと、冴えた空気が肺を膨らませ、肋骨が軋んだ。深呼吸という何気ない行為さえ、もはや当たり前ではなくなっていたのだ。
最近は、新しい仕事を覚えることが楽しい。
以前なら疎んじていた同僚との何気ない会話や、休日に会う約束をすることが楽しい。
業務で分からないことがあったり、迷惑を掛けたときは心の底から悔しくなる。
「楽しい」とか「悔しい」とか、小学生みたいな感想だが、本当にそう感じるようになったのだ。
30代になった大人でもこんな心境を抱くのかと、自身でも驚いている。
初めての経験、場所、人、感情。これまで極端に恐れていた「初めて」を、なぜだか積極的に求めている。
今日を代わり映えのない日にするのか、代替の効かない日にするのかは、結局自分が決めているのだと、リハビリ期間を経て気がついた。
今年は例年になく、一日を長く過ごすことができている。
仕事に復帰して、一か月が経つ。
いつもは自宅勤務だが、9月最後の出勤日は数週間ぶりにオフィスに赴いた。下半期の開始に先駆け、社員一同の会合が開かれたためだ。コロナ禍以降、誰もいない日さえあったオフィスだったが、久々に席が埋まるほど人が集まった。
大きな窓から差し込む日光が、少し和らいでいる。残暑は厳しいが、季節は確実に秋へと近づいている。
直に空気も冷たくなり、あの「運動会の朝」もやってくるだろう。私はその日を感じ取ることができるのか、今から楽しみだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?