見出し画像

小鬼と駆ける者 −その2


 長は困惑していた。この話の結末が見えない。いやそもそも我々が望む結末なんてもう無いのだ。今日はひとまず解散にしようではないか。急激な疲労感が重くのしかかる。

「あんた、いったい何者なんだ」そんな長の様子に構わず、ブウムウが不安げに訊ねる。

 男は少しだけ間を空けて、ブウルの父親だけを真っ直ぐに見つめ、こう答える。

「駆ける者」そう呼ばれている。

 一瞬の沈黙。それから大人たちはざわめき出す。

 ストライダ、ストライダ。

 顰めき声があちこちで聞こえる。

 この人はストライダだ。

 そこで灰色の男は立ち上がる。もうこの話は終わったと言わんばかりに、灰色のマントを整え直す。

 大人たちは口々に何かを言っている。ブウルには、途中から大人たちの話が理解できずにいる。怒号のような声も上がりはじめる。これ以上なにを奪うというのか! この村には何もありゃしねぇぞ! そんな怒鳴り声が聞こえる。そうかと思えば請うような声、求めるような声も聞こえる。村の女性たちは部屋の隅で不安そうにその様子を見つめ、中には祈っている者もいる。

「とにかく!」長は両手を広げて混乱する村人たちをなだめる。そのかたわらで、男に早口で告げる。「今日はこれで解散とします。ダンナもどうか今日はお引き取りください。寝床は隣に古い小屋があります。長旅で申し訳ないのですが、そこでよろしいのなら、どうぞ勝手にお使いください。」

「遠慮無く使わせてもらう」男は踵を返す。

「念のため申しておきますが…」

 部屋を出て行こうとする男を長が呼び止める。

「我々がダンナに差し出すような報酬は何もありません。第一、我々はもうこの地を出て行くと、もう決めています。」気を許したわけではないのだぞ。長の伏し目がちな視線が男にそう釘を刺す。

 男はそんな長をしばらくじっと見つめていたが、何も言わずに部屋を出て行く。

 大人たちは喧騒と混乱の中、方々で話し合いはじめ、やはり男が出て行ったことにしばらく気がつかずにいる。ブウルはどうしていいのかわからずにいる。男を追って行きたい気持ちもあるがそうはしない。そうは出来ない。ただ、頭の中で歌をうたっている。

  村人は分からない その穴が兎の穴か 小鬼の穴か 

  兎の穴に 手を入れる 首を突っ込むばかは居ない

  村人は誰も分からない 兎の穴か 小鬼の穴か

  小鬼の穴に 手も入れない 首を突っ込むばかも居ない

  そんなばかはストライダ そんなばかはストライダ


  それは、村の子どもならば、誰でも知っている歌だった。

 翌朝はよく晴れている。ブウルは早起きして急いでぼろ小屋に向かう。男はすでに小屋には居ず、水路の側で見つける。他の子どもらもすでに男の動向を遠巻きに眺めている。皆、興味津々ではあるが、決して近寄ろうとはしない。

 男は長雨で増水した水路には目もくれず、水車小屋の側から道に逸れ、朽ちかけた囲い柵沿いに歩いていく。時折しゃがみ込んだり、羊皮紙と取りだし、何かを書き付けたり。いったい何をしているのか。ブウルにはまるで見当もつかない。

 少し距離を縮めて木陰から見ていると、「こっちに来たらどうだ?」そう声を掛けられる。突然のことにブウルはびくりと身震いし、固まってしまう。少しだけ逃げ出したい気持ちもあったが、他の子たちとの手前そうもいかず、とぼとぼと男の元へ歩いていく。

 改めて近くで見ると大きな男だった。種族が違うのだろうか。灰色の髪もはじめて見る。男は呼んでおいてこちらに見向きもせず、柵沿いを物色しては、ずいずい進んでいく。ブウルは仕方がないので数歩あいだを空けて、半ばかけ足で、男の大股に付いて歩く。

 男が再びしゃがみ込む。土の中から何かを取り出し指で拭う。身を乗り出して覗いてみるが、それが何なのかはよくわからない。

 「村に咒師(まじないし)が居なくなってどのくらい経つ?」男は背を向けたままで唐突に言う。

 言っている意味がよくわからない。が、「…ずっと居ない」ブウルはとりあえず答えてみる。それから少し考え、思い出す。「たぶん、爺さまの爺さまの代にはいた。」 …と思う。父ちゃんがそう言っていた。ぽつりぽつりと付け加える。

 男は立ち上がり、ここでようやくブウルのほうを見る。

「失礼した。きみの名前は?」

「ブウムウの息子、ブウル」

「ではブウムウの息子よ、文字は読めるか?」

「読める」

「そうか、歩きながらすこし話をしないか?」

 ブウルは頷く。少し誇らしい気持ちになる。遠巻きに眺める他の子らをちらりと見る。

「この村はよほど平和だったとみえる。」男は先ほど拾った物を差し出す。「これに見覚えは?」

 いくつかの割れた破片、赤く塗られた貝殻と、動物か何かの骨が白い糸で結わかれている。

「トゲ芋畑で、同じものを見たことがあるような気がする。」

「これはありふれた魔除けだ。咒師や司と呼ばれる者たちが簡単な魔法をかけた咒具だ。ベラゴアルド中の人々が、これと似たようなものを村の境界線や玄関先に飾り、下等な魔から身を守る。」そう説明しながら、男はブウルにそれを渡す。

「壊れてる」

「そうだ、壊れている。おそらくこれはその昔、ここいらにいた咒師が残していったものだ。このコルカナは、長いこと魔が寄り付かない土地だったようだ。だから村に元々いた咒師も廃業したか、別の土地に移っていったのだろう。それで、残ったこの古い魔除けも、力が弱まったり、壊れてしまったりして、人々から忘れ去られてしまった」

 ブウルは貝殻と骨を組合わせてみる。どこかで見たことはあるが、本来の形がどうだったのかまるで思いだせない。

「これが魔法の道具?」言葉に出してみると、それが本当に魔法を帯びたものだという気持ちになる。

 そこで男は瞳を細める。瞳の虹彩が青白く輝いたような気がする。

「…確かに、これは魔法とも言えるものだ」男はブウルの頭を撫でる。彼は壊れた魔除けを男に返す。男は「ふむ、」と息を吐き出し、魔除けを見つめ、それから、「お前は賢い子だな」そう呟き、彼の瞳を覗き込む。照れ臭いが少しだけ怖い。

「ねぇ、ストライダには名前はあるの?」

「ああ、もちろん」男はブウルから目を離さずに言う。

「ラームのガレリアン・ソレル」

 ガレリアン・ソレル。頭の中で繰り返す。ソレルは未だ真っ直ぐにブウルを見ている。まるで瞳の奥の何かをのぞいているようだ。ブウルはだんだん怖くなってくるが、目を逸らさずにいる。どれくらいそうしていたことか、ソレルは「なるほど」そう独りごち、魔除けを再び彼に手渡す。

「それは持っているがいい。わたしに同じものは作れぬが、それさえあればお前が小鬼にさらわれることはあるまい」

「けど、壊れてるって…」

「壊れてはいるが、それはふたたび力を取り戻しているようだ」

 ソレルは立ち上がり。村の囲いに沿って歩き出す。

 “取り戻している”ソレルはそう言った。当然のごとくしてブウルはその言葉を気にする。取り戻したということは、一度無くなったものがまた戻ったということだ。それはどういうことなのだろう? ソレルが触って、魔力を取り戻したということだろうか。だとしたら、ストライダは魔法使いでもあるのだろうか?
 様々な疑問が浮かびもするが、ブウルは何となく、直接本人には尋ねられずにいる。


 −その3へ続く−

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?