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【コラム】言葉はみんな生きている

生殺与奪せいさつよだつの権を他人に握らせるな  

すみません、いきなり物騒な文言からはじまります。
とあるアニメの台詞セリフです。
この台詞を耳にして、あるいは原作のマンガを読んで、え、と思われた方、多いんじゃないかと思います。私もそのひとりです。

  生殺与奪せいさいよだつ、じゃないの?

私には確かにそう習った記憶があります。
「『せいさつ』と書くけど『せいさい』なんだよ」
辞書にもそう書いてあったハズと思って、本棚から分厚い国語辞典を取り出します。

がーーーーん。「せいさつ」だった。OMG…

どこでどう間違えたのでしょうか。誰が私に違う記憶を植えつけたのですか?

私はどこ、ここは誰?

もしかしたら、相殺と混同したのかもしれません。
「『そうさつ』と書くけど『そうさい』なんだよ」
記憶がミックスジュースのようにとろけているのかもしれません。正しくは「せいさつ」。「せいさい」は誤用ではないけど、慣用的表現として寛容された読み方。憶えておくことにしましょう。とほほほ。

世の中には、こうした言葉がいくつもあります。
明らかな誤用。あるいは、誤用とまでは言い切れない、昔から使われているので「まぁいいか」的な表現。昔はそうだったけど、今は違う表現。

例えば「まとる」。

まとるものとうるもの、として私は覚えました。その的を大事にかかえて持っていかれたら、私、射ることできないじゃん、と。
けれども最近では「的を得る」でもおかしくない、とされてきています。「得る」の意味を「うまく捉える」と解釈するならば、それは誤用にはあたらないのではないかと。

例えば「海老で鯛を釣る」。

わずかな元手でがっつり利益を得ようとする様子をこう例えます。安く手に入るエビでもって高級魚のタイを釣りあげちゃおう、という意味です。
ところがその海老もどんどん高くなってきたせいか、主に若い世代の人たちによって「大きな利益を得るならそれなりの投資が必要だ」と誤解される現象が起きています。

「オキアミ」のような安いエビではなく「伊勢海老」や「車エビ」を想像したせいなのかもしれません。
現時点ではこれは誤解です。けれども、将来的にはどうなるかわかりません。後者が正しく前者が誤り、そんな時代が到来するかもしれません。

言葉は生きています。時代によって変化します。かつて在原業平朝臣ありわらのなりひらあそん

ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは

と詠んだ平安の世と、今の時代の言葉が同じであるはずもありません。

だからこそ、ある程度の誤解や誤用にも寛容でありたいと思っています。SNS やブログに溢れかえる文章を読んで、

「それ間違ってるよ。正しくはこうだよ」

なんて、あたかも鬼の首を取ったように指摘するのも、ある意味、無粋な気がしてきます。今は誤用であっても、将来はそれが正しくなるかもしれません。そう考えれば、ことさらにあげつらうのは違うと思えてきます。生温かい目でもって「くすっ」とする程度にとどめておくのが無難のような気がしてきます。

言葉はみんな生きています。生きているから楽しいのです。
そんなふうに実感しつつ、どこかの歌にように手のひらを太陽に透かしてみま…

クシュン…( >д<)、;'.・

す、すみません。
私、光くしゃみ反射の持ち主でした。

でも、こうも思う古い自分がいるのも確かです。
「違わない」を「違くない」と表現する若い世代には、どうしてもついていけません。ああ、また言ってるや、と思わず眉をひそめてしまいます(「眉をしかめる」でも誤用とは言えなくなってきています)。最近では小説やアニメにもこの言葉が出てきます。ちょっとうんざりです。

いいですか、「違う」は動詞です。ワ行五段活用です。「黒い」を「黒くない」と否定するような形容詞ではありません。

だからこそ。

それって、違くない?

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