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20th anniversary

 20歳。大人。twelve?いやいやtwenty。「もう大人だよ」なんてカレンダーに言われても実感がない。事実なのに。感覚も意識も記憶もピースの足りないパズルのよう。「4月に成人迎えたじゃねえか!」と言われたらそこまで。でも酒と煙草は今日から。どちらも嗜む予定はない。お酒を飲むなら最初は両親がいいななんて思う。

 地球へ出てきてはや20年。早いか遅いかは個人の感覚だから多少の差異がある。ぼくにとっては早いようで遅かった。20年生きてきたけど、20年分の記憶はない。小中の記憶なんて曖昧であまり覚えていない。海馬の容量が小さいのかもしれない。もしくはよくない思い出が忘却されていたりして。

 20年=7305日。様々な一日を積み重ねてきた。けれども、有益な一日はどれくらいあったかな。半分はあってほしいけど、一分、一秒を無駄にした日がちょくちょくあった。三割有ればいい方だ。首位打者も狙える。ちなみにぼくはホークスファン。大関友久選手と渡邉陸選手の“大陸バッテリー”には、千賀選手と甲斐選手の“千拓バッテリー”を超えるような活躍を期待している(非常に勝手ではあるが)。

 基本的に人に期待しないし、信用しない。期待や信用をして裏切られるのが怖いのかも。わからない。人に頼ったり、甘えたりするのは苦手だ。とは言いつつも、親や友達には助けられてばかりな気もする。助けてもらった時には、ちゃんと感謝を伝えていこう。思ったことは消費期限が切れる前に言ったほうがいい。

 小学校の校長先生、中学校の部活の顧問に「君の一番の武器は素直な心だ」と言われた。ぼくはこの武器を今でも大切にしている。一時期なくしかけたけど。自分に厳しく、人に優しくできるような大人になろうと思う。なんてありきたりな目標だろうか。

 20年は人生の長さでいうと1/5かもしれないし、もう折り返しの地点を過ぎたのかもしれない。いつ死ぬかわからない。死ぬのは怖い。でも、始まったからには終わりがないと物語にならない。始まりは終わりの始まり。逆もしかり。朝を迎えてから夜に床に就くまで、後悔のないように。

 ぼくはヒーローや主人公のような光やインパクトを持ち合わせていない。誰かの人生の脇役Aかもしれないし、名前が書かれないエキストラの皆さんかもしれない。でも、「三谷幸喜の脚本より泥臭いけど生々しく不器用なぼくらしい脚本だったな」なんて思えたら最高な人生だと思える気がする。



 数少ない友人たちから「おめでとう」が届いた。あまり連絡を取らない人からも連絡が来ていてそこはびっくりした。人に期待せずに生きているぼくには、このような連絡だけで嬉しい(ポーカーフェイスだけど)。ほかの人たちからすれば普通のことだとしても、ぼくは嬉しい。SNSって必要ないと思ってるし、全くやってない。でも、LINEだけはやっててよかったと思ってしまう自分がいた。

 ぼくの名前には“陽”の文字がある。太陽の陽であり、紫陽花あじさいの陽でもある。ぼくは太陽のような明るいキャラではない。どちらかというと、晴れた日が苦手で大雨も苦手な紫陽花みたいなキャラだと思う。でもどんな状況でも負けない、芯の強さを持つ紫陽花。派手な薔薇や綺麗な桜にはない独特の美しさと力強さがあると思う。僕はそんな紫陽花のように生きていきたい。まあ、家の庭に紫陽花があるし、6月だしということで少々こじつけが強いと思うけど。

 何はともあれ、僕にとってはめでたい日だ。コンビニに行ってチーズケーキでも買って食ってやろうか。なんて思いながら、ワンピースとキングダムの最新話が気になってしょうがない。あー、あれだな。引っ越ししてきてから最近運動できてないな。ケーキ食べたら、腕立て伏せと腹筋しないとな。成人式にぶよぶよの体で行きたくないからね。中学生の頃のストイックさを、勉強と運動にぶつける時だ。今が楽しくなかったとしても、これから楽しくなると思えば気が楽になりそう。


 「自分らしく」って意外と難しい。いつかオリジナリティーを出していけるようにしたい。そんな20歳になったばかりの若輩者の恣意的な宣言。皆様、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

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